表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/45

2-02 恋敵

「きゃっ」


中庭の奥から悲鳴が聞こえて、聖騎士の青年は足を止めた。

声のした方の藪を回りこむと、明るいライムグリーンがぱっと目に入る。よく見ると、木の下に踞った若い令嬢のドレスだった。


「やだ、もう……」


こちらに背を向けたまま、令嬢は泣きそうな声で呟く。ギルは慎重に歩み寄って、「……どうされました?」と声をかけた。

すると、令嬢はビクリと肩を震わせて、ゆっくりと振りかえった。


ギルは思わず目を瞪った。振りかえったその令嬢が、息をのむほど美しかったからだ。


豊かな亜麻色の髪は優雅に背を流れ、大きな闇色の瞳は磨かれた黒曜石のように煌めいている。

あどけない、少女のような顔立ち。そこに落とされた、右の小さな泣き黒子。それがほどよい色気となって、彼女の美貌を引き立てていた。


つい見とれたギルを、令嬢は、困り果てて助けを求める表情で見上げた。


「見苦しいところをお見せしてしまって、申し訳ありません。実は、お庭を散策していたら供とはぐれて、それで慌てて……転んでしまいましたの」

「なるほど。失礼ですが立てますか?どこか痛むところがあれば、治癒で治して差し上げますが」


我に返ってそばに屈むと、相手は「まぁ」と呟いて目を丸くした。


「あなたは……聖騎士様でいらっしゃるの?」

「ええ、そうです」

「わたくし、どんくさくて本当にダメね。あの、治癒をしていただくほどではありませんが、主礼拝堂まで案内して頂けると助かりますわ」

「もちろん構いませんよ。ご案内しましょう」


手を貸して立ち上がらせると、令嬢の足首で何かが光った。牙のような形の深紅の飾りがついた、細い金の鎖のアンクレットだ。

娘が立ち上がると、その飾りは長いドレスの裾に隠れてしまう。

……美しい令嬢と、獣の牙のような形の装飾品。あまり似つかわしくない組み合わせだ、と内心首をかしげる。

貴族の間で流行っているのだろうか。

だが、ギルは女性の装飾品にうとい。それ以上気にとめず、「こちらです」と令嬢をエスコートした。




令嬢をともなって主礼拝堂に着くと、入口でクラウスと鉢合わせた。リーヴェとの用事は終わったらしい。

短い訪問だったな、と思っていると、向こうから声をかけられた。


「アドニア嬢。姿が見えないと供の者から聞いて、探しに行こうと思っていた」

「申し訳ありません、殿下。お庭を散策していたら、はぐれてしまいまして……こちらの聖騎士様がご案内してくださって、戻って来れましたの」

「ああ、リーヴェの護衛殿か。また会ったね。彼女を助けてくれてありがとう」


ほっとしたように言って、クラウスは令嬢の細い手を取って引き寄せる。そしてギルをにこやかに紹介した。


「アドニア嬢、彼は聖女専属の護衛なんだ。さっきリーヴェのところで会ってきたんだよ」

「まぁ、聖女様の……」


アドニアは、大きな目を零れ落ちそうなほど丸くさせた。


「わたくしもいつか、四英雄の聖女様にお会いしてみたいと思っておりますの。とてもお強くて、誰より高潔でいらっしゃるそうですね」


アドニアは無邪気にギルに笑いかけた。強い……はそうだろう。高潔……もそうかもしれない。


「……リーヴェ様は少々人見知りですが、素晴らしい御方です」


型通りの返答をすると、クラウスは横を向いて咳払いした。その肩がかすかに震えている。

嘘をつくのは後ろめたいが、仕方ない。これも(あるじ)のためだ。


ギルが二人に愛想笑いを向けた、ほんの一瞬。

輝いていたアドニアの瞳の奥に、暗い光がふっと浮かびあがった。

思わず、黒い瞳を探るようにじっと見つめる。だがそれは、泡沫(うたかた)のようにすぐ消え去った。

気のせいだろうか。……それにしては、妙に引っ掛かりを覚えた。


「彼女が大神殿を見たいと言うから、ついでに連れてきたんだ。……いつかリーヴェにも会わせてあげよう」


茶目っ気のある笑顔を見せて、王子はアドニアを愛しげに見つめた。そして「では失礼するよ」と言って、仲睦まじい様子で立ち去った。


一礼して二人を見送ったギルは、緊張を解いた。先ほどの違和感はかすかに残っていた。だが、単に気のせいかもしれない。

彼はそれを、自分の胸の内に留めておくことにした。




そういえば。

改めて鍛練場に向かって歩きながら、ギルは最近耳にした噂を思い出していた。さる夜会で、クラウス王子が身分の低い令嬢を見初めた、という噂だ。

その令嬢がさっきのアドニアだろう。


あれが主の恋敵。

うーん、とギルは唸った。いかにも庇護欲をそそる、あの美しい令嬢とクラウスの寵愛を競っても、わが主に勝ち目はない気がする……


そもそも、素の聖女を好きになる男がいるのだろうか。いるとしたら、よほどの特殊性癖の持ち主に違いない。

聖騎士はそんな感想を抱いた。……近い将来、自分がその「特殊性癖」になってしまうなど夢にも思っていない。


「……次の非番になったら、リーヴェ様に菓子でも買って帰ろう」


庭を歩きながら、聖騎士は呟く。それが、恋敵が現れたリーヴェの慰めになればいいが。




+++++




…………神殿の奥まった場所を改装して造られた第二鍛錬場は基本、聖女専用になっている。

十歳で大神殿にやってきたリーヴェは、この鍛練場で神術や剣術の特訓を受けたという。

ギルも今はこちらを使うことが多い。第一の方だと、ほかの聖騎士にリーヴェのことを聞かれて煩わしいし、こっちならリーヴェがひょっこり現れて手合わせすることになっても、問題ないからだ。

……特に、あの女好きの同僚はしつこい。あいつはいつか冥界に落ちる。


しばらく無心で剣を振っていると、エミリを伴ったリーヴェが顔を出した。

裾が長くゆったりした白いローブから、動きやすい騎士服のような上下に着替えている。


「……よぉ。殿下は帰ったぞ。というわけで、手合わせしようぜ!」

「ええ、よろしくお願いします」


肩をぐるぐる回して柔軟をはじめた彼女に、ふと尋ねてみる。


「リーヴェ様、殿下に頼んだ用事って何だったんですか?」

「秘密だ!」


きっぱり答えを拒否された。予想通りだったので、もう一つ気になったことを聞いてみる。


「リーヴェ様とお会いになったあと、殿下は誰かと約束があると仰ってましたか?」

「特に何も言ってなかったぜ。なぜそんなことを聞く?」


リーヴェが怪訝な顔をした。

───今頃、クラウス王子は、アドニアを伴って神官長と会っているはずだ。

だが、リーヴェが知らないなら、わざわざ耳に入れる必要もない気がした。天敵や恋敵の話など、あまり聞きたくはないだろう。

彼はそれを表情には出さず、「いえ、何でもありません」と返す。そして、リーヴェに模擬戦用の剣を渡し、「でははじめましょう」と一礼した。




────気になる事が多かったせいか、今日はまったく奮わなかった。普段ならリーヴェから三本に一本は取れるのに、一本も取れずに終わってしまう。


「だらしねえな。お前、弱くなったんじゃないか?」

「今に見てろと言っておきます」


……勝ち誇ったリーヴェの顔は、頬を引っ張りたくなるほど憎たらしい。だが、聖騎士は軽口を返すだけに留めておいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ