序 邂逅
「……あ゙あ゙ーん゙?誰だてめぇは」
若い娘とは思えない、ドスのきいた声。
これが"麗しの聖乙女"と名高い、聖女リーヴェの第一声だった。
+++++
聖騎士ギル・ガディット。
彼は、ゼラフィール王国の大神殿に所属する、ごく真面目な青年である。
聖騎士というものは、一般的に華やかな職業だと思われている。なかでも彼は、"朱炎"という称号を所持する、エリート中のエリートであった。
そんな誉れ高き"朱炎"の一人でありながら、ギル・ガディットという青年は、目立つことが全く好きではなかった。
野心もなければ、面白味もない。
地味に仕事を全うする、乾燥野菜のようなタイプ、というのが自己評価である。
女性から見ても、おそらくカサカサに乾いた人間なのだろう。
以前、猛アタックしてきた女性と付きあったら、「思ってたのと違うわ」と言われ、瞬速でフラれた。
以来、同僚が派手にモテるのを横目に、色恋から遠ざかっている。
ある同僚には、「お前、見てくれは良いのにもったいないな」と言われたが、女好きのそいつは五股をかけて、彼女の一人に刺された挙げ句、聖騎士廃業の寸前までいった。
そいつの生き方はまるで参考にならない。
ギルは、「無理は禁物だな」と改めて思った。
女性に興味ないこともないが、そこまで恋愛したいとも思わない。そもそも自分には向いてない。
プライベートの充実は不要とばかりに、ただ淡々と、ひたすら仕事をこなす。
…………心の奥に燻る感情にはがっちり蓋をして、なかった事にして。
それさえもいつしか慣れてしまった。
ごく地味で、平穏な日々。
だは、そんな毎日は、突然終わりを告げたのだった。
──大神殿に併設された鍛練場。
真夏の太陽がじりじり肌や頭を焦がすなか、ギルは日課の訓練に励んでいた。
一息ついた頃、彼はある神官に声をかけられた。
「ギル・ガディットとは、君だろうか」
何の用だろう、とギルは内心首を傾げた。
顔は知っているけれど、今まで言葉をかわしたことはない相手だった。
「ええ。何か?」と応じると、初老の神官は、「君に大事な話がある」と厳かな声で切り出した。
「おめでとう。君は、聖女の護衛候補に選ばれた」
「護衛候補?オレが、ですか?」
ギルは思わず聞き返していた。
────「聖女の護衛」とは、すなわち、大神殿で最も高貴な女性の専属警護である。
常に聖女に付き従い、いざという時は、自らを盾にしてでも聖女を守らねばならない。
実力は必須。それ以外に容姿、作法など、あらゆる面で秀でた者が選ばれる。そういう任務だ──と彼は考えていた。
しかしギルは、非常に地味で、目立たない男である。
それなりに実力があっても、派手な仕事なんてまず回ってこないものと思っていたし、聖女の護衛にふさわしいやつなら他にいくらでもいる。
自分が聖女の護衛とか、バラの花束に、人参が紛れこんでるくらいの違和感があった。
困惑していると、老神官は懐からペラリと紙を取り出し、すっと差し出した。
「そう、君が選ばれたのだ。よって、これから聖女様に目通りして貰おう。だが、その前に、この紙にサインをしてほしい」
「はあ……"聖女リーヴェについて、直接知り得た情報は口外しないこと"……?」
よくわからないが、怪しい文面はなかったのでサインしておく。
書類を返すと、神官はあからさまにほっとした表情を見せた。
「ではリーヴェ様の居室に案内するから、ついて来なさい」
「……はい」
書類を渡した時の、老神官の反応が若干気になったが、ギルは黙って後ろをついていった。
大神殿の奥まった一角で、二人は立ち止まった。
関係者以外、立入禁止の区画。ギルも足を踏み入れたのは初めてだ。
ひっそりと佇む重厚な扉の前で、老神官はギルを振り返った。
「ここが聖女リーヴェ様の居室であられる。かの御方は中においでだから、挨拶するといい。では、私はこれで」
そう言いおいて、老神官はそそくさといなくなってしまった。一人取り残され、ギルは何となく不安を覚える。
何だかとても……うさんくさい。
だが、たったそれだけの理由で、挨拶もせず立ち去ることなんて出来るわけもない。
仕方なく、ギルはコンコンと扉を叩いた。
すると向こう側から、「……入れ」という若い女の声がした。
「失礼します」
両開きの扉の片側を押し開け、室内に足を踏み入れると、そこには、見事な調度品が配置された広々とした空間が広がっていた。
中央の長椅子には、行儀悪く片膝を立て、背もたれに肘をついた美しい娘が座っている。
その娘は、刃のような白銀の瞳でじろりとギルを見るや、
「……あ゙あ゙ーん゙?誰だてめぇは」
と、ひどくドスのきいた声で、言い放った。
「…………」
「あ゙?何ぼさっとしてんだよ」
女は不機嫌に美しい眉をひそめる。
一方、ギルは激しく面食らっていた。石になったみたいにピシリと固まって動けない。
まさか幻聴……?
……いや、確かに今のは、目の前の美しい娘が発した言葉だ。
衝撃的すぎて、聖騎士は思考停止した。