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ステマで稼ごう

 今から10年前、当時小学6年生だった老倉(おいくら)やかげは初めての恋をした。


 それは夏休みの早朝、彼女の管理する安納芋畑での事だった。


 そこは農場を営む両親から与えられた10㎡程度の畑。決して大きいとはいえないその畑だったが、両親から初めて管理を任された畑で、責任感の強い老倉少女は日に何度も畑の様子を窺いに行っていた。


 その日、朝六時に目を覚ました老倉少女はパジャマを着替えるといつものように安納芋(あんのういも)畑に向かった。


 芋の苗を植えたのは今から3ヶ月前、老倉少女の過保護とも言える管理の甲斐があって苗はすくすくと成長し、地中に立派な根を下ろした。


 恐らくは既に根には芋が実っていることだろう。


(来月には収穫できそうですね)


 自分が初めて作った芋はさぞ美味しいことだろう。収穫を間近に控えた老倉少女はその日を今か今かと待ちわびていた。


 だが老倉少女はまだ知らなかった。


 収穫が近いからと言って油断してはならない、寧ろ収穫時期にこそ注意を払わなくてはならない存在がいる。


 そう、害獣である。


 早朝、老倉少女が一人向かった安納芋畑、その中心部で得体のしれない黒茶色の物体がもぞもぞと蠢いていた。


(なんでしょうあれは?まさか芋泥棒!?けどまだ収穫にははやいはず……!)


 老倉少女は慌てて畑へと走り近づいた。その足音に物体が反応し、老倉の方へとその巨躯を向ける。


(!……イノシシ!?)


 振り向いたのは全長1mを優に超えようかというイノシシ。凶刃な牙こそ生やしていないがその太く、筋肉質な四本の足からは牛にも引けを取らないような力強さが感じられる。


 11歳の少女がどうこうできるような相手ではとても無い。ここは芋のことは諦めて家へと泣き帰る他に老倉少女に選択肢はない。


 恐らく、老倉少女の両親はバリケードも何も施されていない老倉少女の畑がイノシシに荒らされることを知っていた。知っていて敢えて彼女に伝えなかった。


 それは農場の跡取り娘である老倉少女に身をもって害獣の恐ろしさ、有害性を知って欲しかったからなのだろう。


 だが一つ、老倉両親には計算違いがあった。普段大人しく、我儘の一つも言わない自慢の愛娘、そんな老倉少女がまさか拳一つでイノシシに立ち向かう等とはまるで想像だにしなかったのだ。


 老倉は謎の物体がイノシシだと気づいても畑へと走る足を止めない。それどころか拳を握りしめさらに加速していく。


「わたしの畑からでていけぇぇぇぇぇ!」


 あろうことか、老倉少女の全体重をかけたその拳はイノシシの頭部へと放たれてしまった。

 だが所詮は少女の拳、如何に助走を付けようとイノシシの分厚い脂肪を貫通しダメージを与えることなど到底できない。拳を放った老倉は弾き飛ばされ、ゴロゴロと畑を転がった。


「くっ!!」


 老倉は直ぐに体勢を立て直しイノシシの方へと視線を向ける。そこで初めて気がついたのだ。イノシシの大きさ、その筋肉、そして自分に向けられた敵意に。


 老倉は普段、イノシシより一回りも大きな牛の世話をしている。だが牛は老倉に対して敵意を向けない、乳が溜まって苦しいから早く搾れ、草がねぇぞ早く寄越せとモーモー鳴くだけだ。

 老倉少女にとって動物は管理の対象だった。だから彼女は動物の怖さを知らなかった、動物と自身の力の差を理解出来ていなかったのだ。


 イノシシの敵意に気づいた老倉は突如金縛りにあったかのように体が動かなくなった。


 ただ、その場にヘタリ込みブルンブルンと鼻を鳴らすイノシシの前で震える。


(うう……おとうさん、おかあさん……助けて)


 恐怖から声を出すことも出来ない老倉はただ両親に助けてと願った。だかその願いは届かない。イノシシは真っ直ぐに老倉目掛けて突っ込んだ。老倉は諦め、目を閉じてしまう。


──────パンパンパンと轟音が畑に轟いた。


 老倉が吹き飛ばされた音ではない、直ぐ近くで何かが爆発したような音だ。


 老倉が恐る恐る目を開けると既にそこにイノシシの姿はない、今の爆発音に驚き逃げていったのだ。


(何がおこったの……?)


 わけがわからず辺りを見渡す。すると畑の外から自分と同年代くらいの少年がこちらに歩いて来るのが見えた。やがて少年はへたり込む老倉の目の前までやって来て彼女に手を差し出した。


「怪我してねーか?」


「……うん」


 少年に起こしてもらいながら老倉は困惑した。ここは老倉家の畑で敷地の中だ。だというのにこの少年は何故ここにいるのか、まさか彼も芋泥棒なのか。ならば倒さなくては。


「この辺、カブトムシとかレアな虫めっちゃ捕れるけどイノシシとかいてあぶねーんだよな」


 どうやら芋泥棒ではないらしい、ただ虫を捕まえようと敷地内に侵入しただけのようだ。


「ほら、これやるよ」


 そう言って少年は老倉に赤、青、黄の三つの小さな玉を差し出した。


「なに……これ?」


「かんしゃく玉だよ。地面に叩きつけると爆発するんだ。イノシシはでかい音を鳴らすとビビって逃げるから、これで追っ払うんだ」


 先程の爆発音はこのかんしゃく玉によるものだった。つまり老倉はこの虫取り少年に助けられたということだ。


「んじゃ、俺もう行くわ」


 そう言って少年は直ぐに姿を消してしまった。


 嵐のような少年だった……。その時の老倉はそう思った。


 だが数分おいて、老倉少女は少年に礼を言っていないことに気がつくとともに、自身の内になんだか甘い、だけど切ない、そんな訳の分からない感情が渦巻いていることに気がついた。


「おれい……言わないと」


三色の小さなかんしゃく玉、老倉少女はその玉を見つめながら自身の内に渦巻く感情について考えた。


 だが分からない。いくら考えても老倉少女の胸を覆う謎の感情の正体が分からなかった。


 経験のない老倉少女には知る由もないが、彼女の胸を覆っていたのは間違いなく『恋心』だった。自身のピンチを颯爽と現れ救ってくれた同年代の男の子。11歳という多感な年頃の少女が恋に落ちるには充分過ぎた。


 この日を切っ掛けに、老倉少女は少年に急接近する。まず少年の名前が『倉敷 良』であること、彼が老倉の一歳上で中学一年だということをつきとめる。そして数年後、ストーカー行為……ではなくアプローチ(?)の甲斐あって婚約者の関係まで仲を発展させるのだが……それはまた別のお話。




□□□







 八月の真昼間エアコンもなく、蒸し風呂と化した六畳間の一室に滝のような汗を流す男女二人の姿があった。


「本当にこんな動画でいいんすか?」


 男はこの部屋の主、倉敷 良(くらしき りょう)。倉敷はノートパソコンに流れる自身が作成した動画を見ながら納得いかないといった表情を浮かべていた。そんな倉敷に対し隣に座る女、庭瀬 小春(にわせ こはる)団扇(うちわ)を扇ぎながら質問に答えた。


「いいのよ、そんなので。ステマ動画一件にマンパワーを割き過ぎちゃ割に合わないわ。倉敷くんはもう少し手を抜くってことも覚えたほうがいいわね」


 現在、倉敷は初めて『動画配信者』として企業案件依頼を受注していた。案件の内容は『ソーシャルゲームの宣伝動画の作成』、ようはステルスマーケティングだ。


 動画配信者となって1年、婚約者『老倉(おいくら) やかげ』の影に怯え、一切の仕事依頼を無視してきた倉敷。その彼がなぜステマ案件を受注しているのか?……それは今から一日前に時を遡る。


 1時間前、庭瀬は自身の所属するMCN『BUUUM(ブーム)ネットワーク』に倉敷を勧誘した。庭瀬にとって倉敷はようやく捕まえたフリーの大物配信者、ここで何としても契約を結んでしまいたい。だが、庭瀬の必至の勧誘も虚しく、倉敷の反応は芳しくない。そんな時に庭瀬のスマートフォンに一本の着信が入った。


『もしもし……老倉と申します。庭瀬さんの携帯で間違いないでしょうか?』


 まさかの相手に庭瀬は目を丸くした。対面に座る倉敷は何故か身を震わせている。どうやらスマホから漏れる僅かな声から相手が老倉だと認識したらしい。


「庭瀬さん!その電話早く切って!」


 突如倉敷が声をあげた。その必死の形相に庭瀬は少し困惑する。


「え?どうして?」


「いいから!切ってくれたら仮契約結びますから!」


「がってん!」


 こうして老倉との通話は切られ、倉敷とBUUUMとの仮契約は結ばれた。


 そんな投げやりな感じで結ばれた契約後、その場で倉敷に一件の仕事が依頼されたのだ。


 それがソーシャルゲームの動画宣伝。


 宣伝するゲームは王道RPG、『スカイブルーファンタジー』。だが請け負ったはいいが倉敷にはどのように動画を作ればいいのか分からない。今まで何本も動画を作ってきた倉敷だが『依頼』、つまり正式な仕事として動画を作ったことがなかったのだ。


 なので倉敷は担当である庭瀬に指示を仰ぐことにしたのだが……庭瀬は『動画は編集をしなくていいわ。ただ貴方がゲームをプレイする動画……それだけで充分宣伝効果があるから』と言うのだ。結果作られた動画は本当に無編集の撮られたままの動画だった。初めての案件動画だけに、倉敷は本当にこれでいいのかと不安を覚えていたのだ。


「でもこんな垂れ流し動画でゲームの魅力が伝えられているとは思えないんですけど……本当にいいんですか?先方にクレーム入れられません?」


「分かってないわね倉敷くん……」


 動画のクオリティに不安を抱く倉敷に対し、庭瀬はちっちっちという音と共に指を揺らす。


「倉敷くん、どうしてステルスマーケティングが『ステルス』と呼ばれていると思う?」


「えっと……視聴者にそれがマーケティング行為……つまりはそれが『宣伝』だと気づかれないように商品を宣伝するからですよね?」


「正解。じゃあどうして『宣伝』行為だと気づかれないようにする必要があるの?」


「……考えたこともなかったですね」


 倉敷がそう答えると庭瀬は少し得意げな顔になる。倉敷は少しこの庭瀬という女がどういう人間か分かった気がした。


「ぶっちゃけた話、視聴者はゲームに何てたいして興味は持っていないの。本当に興味があるのは貴方達配信者なの」


「僕達ですか?」


「そう、当然よね。興味がなかったら貴方達の動画なんて見たりしないわ。そして視聴者の興味の対象はもう一つ……それは貴方達が何に興味を持っているのかってこと」


「どういうことですか?」


「倉敷くんだって好きな女の子がいたらその子がどんなものが好きなのか気になるでしょ?それと同じ。視聴者は貴方達の好きな物を知りたい、そしてそれを共有したいの」


「なるほど……あ、じゃあ『ステルス』マーケティングにするのってそういう……」


「そっ、『宣伝』じゃあダメなの。本当に貴方達配信者が好きで紹介しているんだって視聴者に認識させた方が『宣伝』としての効果は高くなる、だから『ステルス』するのよ。仕事だから嫌々紹介してるなんてバレたら視聴者も萎えちゃうもの」


「納得しました。じゃあこの無編集動画はそのままアップロードしていいんですね?」


「うん。実はもう先方に確認も取ってるしね。報酬は1再生につき30円、さらに貴方の動画URLからゲームがダウンロードされれば1DLにつき100円が貴方の収入になるわ」


「1再生30円!?」


 倉敷は驚愕した。今現在、倉敷が受け取っている収入は動画の広告再生によるもののみとなっていた。しかしその収入は動画1再生=0.1円。仮に100万(ミリオン)再生されても10万円にしかならなかったのだ。だから倉敷は庭瀬の提示した金額に度肝を抜かれた。当然だ、1再生=30円ということは単純に考えて300倍の収入を得ることになるのだから。


「ただし、再生数がカウントされるのは今日から一ヶ月間だけ。それ以降は再生されても報酬は貰えないわ。それに報酬の上限額は100万円までだからそれも覚えておいてね」


「それでも十分ですよ!」


 通常、倉敷は一本の動画を作成するのに莫大な時間と労力を掛ける。だがその動画がヒットしたとしても得られる収入が100万円には到底届かない。それを1時間にも満たないような時間で作成した動画で得られるかも知れない。倉敷に取って破格なのだこの条件は。


 倉敷は一も二もなく動画をアップロードしパソコンに浮かぶ【公開】の文字をクリックした。これで動画は全世界に公開された。


「よし、これであとは待つだけね。初めての案件お疲れ様。……ところでなんだけど……倉敷くん、このあとちょっとついて来て欲しいところがあるんだけどいいかな?」


「ついて来て欲しいところですか?どこです?」


「まあその……なんていうんだろ……」


 珍しく庭瀬が煮え切らない様子をみせる。倉敷は庭瀬と出会ってまだ間もないが一日行動を共にして彼女がどういう人間かだいたい把握していた。初めて会ったビルで老倉に追い詰められた倉敷に交換条件(脅迫)を提示したことからも分かるように『ガンガンいこうぜ!』タイプなのだ庭瀬は。その彼女が口ごもっている……これは何かやましいことがあるなと倉敷は直感的に理解した。


 だが今の倉敷は機嫌がよかった。今回のステマ動画で大量の収入を得られるかも知れない。捕らぬ狸の皮算用で倉敷はウキウキして他のことは割とどうでも良くなっていたのだ。


「しょうがないっすね~今回はいい仕事を回して貰いましたしそのお礼としてついて行きましょう!」


「ほんとう!?助かるわ!じゃあこのスーツに着替えて!」


「……へ?」


 そう言って庭瀬は自身のショルダーバッグから男物の真っ黒なスーツを取り出した。


「パーティーだもの、ドレスコードは守らないとね」


 



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