002 踏むな危険。それは〇〇キノコ
父親から「自分の未来は自分で切り拓け」そう言い付けられ、魔法学校にある意味放り込まれたヨシュア・ヴィトリーは後がない子爵家の三男だ。
その上この国で一番多いと言われている、焦げ茶色の髪と瞳を持ち中肉中背。残念ながらキラキラした要素はゼロ。
ただしヨシュアは、魔法省に入り細々と暮らして行きたいというささやかな夢を叶える為、それなりに日々勉学には勤しんでいる。しかし遊んでいるようにしか見えないシャルルやその取り巻きを成績で抜いた事は一度もない。
持って生まれた魔力の質が関係すると言われている魔法。それは何故か昔から王族を筆頭に、公爵家、伯爵家、子爵、男爵という順に、魔法に長けているのは歴史が証明している。
つまりそれは子爵家程度では大したことがないということを意味する。ヨシュアの実力では幾分背伸びして入学した魔法学校で、どんなに努力しても一番にはなれない。頑張っても中の中が精一杯といった所。
つまりヨシュア・ヴィトリーは至って平凡。平均的を地で行く男なのである。
そんなヨシュアは本日、魔法学校に隣接する生徒用の森にいた。
明日の薬草学の授業で使う薬草を採取するためだ。
ここに来る前、図書館に立ち寄り見つけた新刊をつい読み耽ってしまった。その結果、友人達に置いていかれ、一人で森に来る羽目になってしまったのである。
(おっ、あの草、キズナオール草だ)
ヨシュアは教科書代わりの図鑑を片手に見つけた薬草の前にしゃがみ込む。
(採取した時点で薬の仕上がり度が変わるからな。ここは慎重にしないと)
ヨシュアは根っこからしっかりと薬草を抜き取る。それから優しくハンカチに包み、斜めがけにした布製のバックに丁寧にしまい込んだ。
(あと一種類なんだけどな。というかこの辺じゃ無理か)
森の手前は、同じ課題を出された生徒達にあらかた取り尽くされた感じだった。
(ま、同じ課題を出されたらこうなるのは目に見えてたけど)
ヨシュアは愚痴をこぼしながら、グングンと奥に進む。するとポツポツとした水滴がヨシュアの頬を濡らした。
「うわ、最悪」
空を見上げるも、そこに広がるのは生い茂る緑の葉ばかり。しかし確実に雨雲がこちらに迫ってきているようだった。ヨシュアは慌てて腰に下げた杖を引き抜く。
「リュシュタパラ、ヴァーユ」
ヨシュアは左から右へ半円を描くように杖を大きく振りながら呪文を唱える。すると、自分の周囲に透明な魔法のバリアが張られた。ポツポツと雨が自分に触れる前に見えない何かに弾かれているのが見て取れる。
「大成功だ」
得意げにヨシュアは杖を腰に巻いたフォルダーに戻し、更に森の奥に足を進める。
そして、しばらく歩いたヨシュアはひたと足を止めた。
「えっ」
思わず声を出してしまうほど驚いたのは、前方に艶々と緑色に光る小さな物体を発見したからだ。
「ま、まさかエメラルド?」
大きくはない。けれどあまりに美しい輝きにヨシュアは思わず手を伸ばす。
「それはワカクサヌルヌルタケです。残念ながらエメラルドではありません」
「えっ、誰?」
ヨシュアが振り向くと魔法学校の白いワンピースの制服に黒いローブを頭から羽織った、森の妖精がいた。
(うわ、ドロシー嬢じゃないか!!)
しかも自分に満面の笑みを向けている。
(まずい。魅了魔法にやられる。くそう、可愛い)
ヨシュアの心臓は早鐘を打ったかのようにドクドクと音を立てる。
(あ、これもしかして、僕を見ているわけじゃない?)
残念ながらドロシーの完璧な微笑みはヨシュアを通り越し、その先にある緑にぬめったキノコに向けられているようだ。
(僕はキノコにも勝てないのか)
ヨシュアはガックリと肩を落とす。
ヨシュアがキノコに敗北した歴史的瞬間である。
「これはね、雨に濡れると魔力を帯び艶々と光るんです。だから今日この瞬間は絶好のワカクサヌルヌルタケの観察日和。きれい。そして可愛い」
「そ、そうだね」
「因みにこの緑色の要素は葉緑体ではないことが確認されています」
ワカクサヌルヌルタケと呼ばれるらしい小さな緑色のキノコの前でしゃがみ込むドロシー。
「光合成をしてその色になっているというわけではないということ?」
自分に微笑みかけているわけではないと気付いたヨシュアはふと冷静なった。そして何故かキノコにやたら詳しそうなドロシーに素朴な質問を投げかける。
「正解。しかもこの子達は一度に二十本以上摂取すると消化器疾患に陥るそうです。それに幻覚作用も。ふふっ」
ドロシーが笑い声を漏らす。
(ふふって何だよ。怖い。やっぱ絶対この子やばい)
見た目に騙されているだけで、相当おかしな子なんじゃないか。そう気付いてしまったヨシュアは即座にこの場を立ち去ろうと話をまとめる事にした。
「つ、つまり食用ではないという事だよね。じゃ、僕はこれで!!」
(人気者であり、かつ、滅茶苦茶可愛い女の子と二人キリという夢のようなシチュエーションではあるが、さらばだ。僕は平凡にこの世界を生き抜く)
ヨシュアは未練がましい気持ち満載で、しかしドロシーに背を向けると大きく一歩踏み出した。
「あっ、そっちは駄目です。マリオーノキノコが!!」
「えっ!?」
そう思った時には大抵既に時遅しの場合が多い。今回もまた例外ではなく、ヨシュアはムニュッと左足で何かを確実に踏みつけた感触がした。
ヨシュアは咄嗟に下を向く。すると赤くて白い水玉模様のわりと存在感たっぷり。大きなキノコをしっかりと右足で踏みしめていたのである。
「落ち着いて聞いて下さい。そのマリオーノキノコは踏むと」
ドロシーがパタパタとヨシュアに近づいた。なんだか甘くていい香りがするとヨシュアは鼻の下を伸ばしかける。
(そうじゃないだろ!!)
「ふ、踏むとどうなるんだ?」
おそるおそるドロシーに尋ねるヨシュア。
「それは……ふふふふ。あはははは」
ドロシーが突然ヨシュアの顔を見て、お腹を抱えて大笑いし始めた。
「な、何だよ。何がおかしいんだよ」
ヨシュアはムッとした顔をドロシーに向ける。平凡な顔である自覚はある。しかし笑われるほどではないはずだ。
「ご、ごめんなさい。三日間ほど口髭が生えるんです」
「えっ。まさか、既に!?」
慌ててヨシュアは自分の口元を触る。すると鼻の下と上唇の間に既にもっさりとした感触があった。左右にビヨンと伸びたそれは明らかに髭のようだ。
(まじか……)
ヨシュアは友人達に笑われる未来を想像しげんなりとした。
「何でこんな危険なキノコがここに」
「私が栽培してるんです。ごめんなさい」
ドロシーは眉根をハの字にしてヨシュアに頭を下げた。
(くそう、可愛いからって、こんな危険なキノコを栽培して許されると思ったら大間違いだからなッ)
ヨシュアはキノコを踏んだら突然生えた謎の口髭を撫でながら、心で思い切りドロシーを罵った。その結果――。
「そっか。まぁ、僕が不注意だったのが悪いし、仕方がないよ。気にしないで」
高感度アップに全振りした。
「でも、私のせいです。えーと、寮に帰れば口髭にとても良く効く万能薬があるので、それをお届けします。だからもしお時間があれば寮の談話室でお渡ししたいのですが……」
(口髭によく効く万能薬って一体何だよ……って談話室でお渡し!?)
それはまずいとヨシュアは青ざめる。
何故なら魔法学校は全寮制。つまり全ての生徒は一つの建物で寮生活をしている。しかしそこはきちんと男女で別れ節度ある生活を送る日々。
(そこは問題ない)
そしてそんな健全な寮生活に許される男女共用の談話室も確かに存在する。
(いった事ないけど)
何でもカップルの巣窟になっているとか何とか。つまり婚約者のいないヨシュアは生憎、逢引きを楽しむ相手なんて者は存在しない。その結果、男女兼用だという怪しい談話室に近づいた事すらないのである。
(そんな部屋に僕がいて、さらにドロシー嬢が僕を尋ねて来たらそれこそ大ニュースになってしまう!!)
平凡に生きたいと願うヨシュアは目立つ事を望んではいない。
(そりゃドロシー嬢は可愛いし、案外話しやすくていい子だけど)
それでもあのシャルルの、この国の第一王子殿下にとってドロシーは意中の子なのである。
そんな子にちょっかいを出していると思われたら、そこで人生は終了。そこから先は暗黒の世界でしかない。
(僕が傍にいていい子じゃない。というかシャルル様に目をつけられるのは御免だ。就職に響きかねないし)
ヨシュアは早々と結論に達した。
「大丈夫だよ髭くらい。三日だよね?」
「そうです。私が自分で試してみた時は三日で綺麗になくなりました」
「えっ、自分で?」
「はい。父が何事も恐れず自ら進んで経験しておかないといけないと。やってもらうばかりでは人の気持ちは本当に理解出来ないと。小さな頃からそう言われてましたので」
「なるほど。立派なお父様なんだね」
「はいっ!!」
ドロシーは嬉しそうな笑みをヨシュアに返した。
天使の微笑みとはきっとこの事だろうと、ヨシュアは思った。そして気付いてしまった。
(この神々しい笑みは、今僕だけに向けられている)
現在ドロシーはキノコを見ていない。しっかりとヨシュアに顔を向け、そして微笑んでいる。
(もう充分だ。僕はこの笑顔を一生の思い出にして生きていく)
ヨシュアは本気でそう思った。
「ま、ひげ剃りで剃ればいいしね」
そう。ヨシュアは楽観的に考えていたのである。
「あっ、その髭は特殊みたいで、多分キノコの漲るパワーのせいだと思うんですけれど、髭を剃っても、すぐに横に伸びたその髭の形に生えてくるんです」
「えっ」
「ごめんなさい。まだ新種改良中で。とてもポテンシャルを秘めたキノコだとは思うんですけど、イマイチまだ謎を秘めていて」
「そ、そうなんだ……」
ヨシュアはがっくりと肩を落とす。
「でもまぁ、三日だし。大丈夫だよ」
ヨシュアはドロシーと居る所を見られるよりは、髭の方がマシだと思う事にした。
「でも。髭に効く万能薬があればすぐに……あ、でも談話室は駄目なんですよね……えっとじゃ、どうしよっかな……」
ドロシーは責任を感じ納得がいかないようだ。
(ま、いつも注目されているのが当たり前みたいな人には、何故そんな談話室で落ち合うのが嫌なのかなんて、絶対理解出来ないよね)
ヨシュアは心を悪魔に売り払う事にした。
「君の気持ちは本当に有り難いと思ってる。だけどさ、僕は子爵家の三男だし継ぐ物もない。となるとこれからは自分で生きて行かなきゃいけないわけで。だから将来は魔法省で働きたいんだ。そうなるとシャルル様の敵にはなりたくないっていうか。目をつけられたくないって言うか。わかるよね?」
ヨシュアが俯いたまま、勇気を出してそう告げる。
すぐにドロシーの顔を見る勇気が出ない。
(結構キツイ事口にしたし、自分勝手だし。もしかして泣かせちゃったかな)
「…………」
ドロシーからの返事がない。けれど確かに目の前。枯れ葉が落ちる地面の上にはこちらにつま先を向けた黒いストラップシューズが存在している。つまりそこにドロシーが存在しているという証拠だ。
「あいつ、絶対許さない」
低い声が目の前から聞こえた。ドロシーの声のような気もするが、口調が先程までと明らかに違うとヨシュアは訝しむ。
「キノコを食べ残した上に、折角キノコ友達になれそうな人の明るい未来まで奪おうとするなんて、もう堪忍袋の尾が切れそうなんですけど」
沸々と怒りを込めつつ、しかしキノコ愛に溢れる言葉を耳にし、ヨシュアはおそるおそる顔を上げた。
(嘘だろ……)
そこには先程まで確かにそこに存在していたはずの優しい天使は完全にその姿を潜めていた。それどころか、何故か片方の手の平の上にピチピチと杖の先を当て、苛々とした様子に見えるドロシーの姿があった。
(可愛いけど、相変わらず可愛いけど、何か違う!!)
もっとふにゃりとしたはずの子だった。それなのに醸し出す雰囲気が何だろう。
(女王様っぽい)
ヨシュアは驚きで思わず髭から手を離した。
「大体あの男は婚約者がいながら私にデレデレするとか王子としてありえないし。いくら一夫多妻が許されてると言え、まだニーナ様と婚約期間中なのよ?それなのに既に浮気する気満々って、全く馬鹿じゃないの?」
「な、なるほど」
「自覚が足りないと思うの。それに隙あらば私に触ってこようとするんです。気持ち悪いったらありゃしない。あぁ、思い出しただけで寒気がする。やっぱりキノコを愛せない男は駄目ね」
(そ、そういうもんなのか?)
ヨシュアは人の善し悪しをキノコで判断するドロシーに激しく動揺する。
「それであなたは、ああいう男の下で働きたいと仰るのですか?」
「魔法省は国の管轄だし。い、一応自国の王子殿下ですから」
「折角あなたはキノコ好きなのに?」
「まぁ、わりとキノコは好きです」
「あいつ、こんなに可愛くて、時々気持ち悪くて、美味しくて、だけど毒持ちの場合もあって。そんなギャップ萌えの塊。尊きキノコが嫌いなのよ。そんな人の下につきたいの?」
(これ絶対「はい」って言ったら駄目だと思う)
ヨシュアの動物の勘が明らかに警笛を鳴らしていた。
「いいえ。最低だと思います」
ヨシュアの返事にドロシーの目がキラリと輝いた気がした。
「あなたお名前は?」
「ヨシュア・ヴィトリーです」
「ヨシュア様……ふふっ。では、ヨシュア様の部屋には後でしっかりと髭によく効く万能薬をお届けしますね」
上機嫌になり天使の姿に戻ったドロシー。その姿を見てヨシュアは自分が生き延びた事を確信した。
(だけど一体誰が僕の部屋に届けに来るんだ?)
その疑問がどうやら顔に出ていたようだ。
「ご心配なさらないで。キノコを愛する会の仲間にヨシュア様のお部屋に届けてもらうよう頼むだけですわ」
「な、なるほど」
「あ、キノコを愛する会は秘密結社ですの。だから無闇矢鱈に口外なさらないで下さいね?」
「は、はい」
「ふふ。楽しい時間をありがとう。ヨシュア様。お会いできて楽しかったですわ。では失礼致します」
ドロシーはヨシュアに膝の角度が見事な淑女の礼を取った。
それからご機嫌な様子で雨の中、鼻歌交じりに森の入り口に消えて行ってしまった。
(一体何だったんだ)
呆気に取られたヨシュアはただひたすら、鼻の下に生えた髭を無意識で撫で付けていたのであった。