救世主天宮の打開策
「その人から、離れてください」
教室の入口に立ち尽くした天宮は、不機嫌そうに言い放った。
「⋯⋯⋯⋯」
突然の介入に陽葵は顔を歪め、天宮をきつく睨む。
「なにか用かな?」
陽葵は依然として抱きついたまま、天宮に問いかけた。
美少女に身を寄せられ、普段であれば喜んで受け入れたかもしれない。
だが、陽葵に抱きつかれてから俺の鼓動は早くなるばかりだ。
いい意味ではなく悪い方で、動悸が治まらない。
なんだ、この――懐かしい感じは。
陽葵の匂いは、嗅いだことがある⋯⋯?
今日知り合ったばかりなのに、なぜか彼女の匂いには覚えがあった。
「――っ」
ズキリ、と頭が痛む。
思い出すことができない。
俺の体が、陽葵千冬を拒否していた。
「その人はわたしの彼氏です」
「だから? 彼氏でも天宮さんのモノじゃないよね」
お互いに一歩も譲らない。
俺は早く、この状況を抜け出したくて仕方がなかった。
「いいえ、彼はわたしの半身です。既に将来を誓い合った仲ですから、不用意に他の女性に触れられるのは困ります」
「ふーん⋯⋯」
陽葵は少し思案し、それから挑発的な笑みを浮かべる。
もちろん、天宮の言っていることは嘘だ。
だが、そこまで言うのにはなにか策があるはず。
ここまで来てつべこべ言ってられない。
俺は天宮を信じるしかないんだ。
「そもそも、あなたが沢渡さんにそうする意味がわかりません」
天宮は本当に理解できない、と言った顔で陽葵を睨みつける。
しかし、陽葵はふっ、と息を吐いた。
「天宮さんさ、そんな口利いていいの?」
特に動揺した素振りもせず、スマホの画面をひらひらと天宮に見せる。
あれは、俺に見せた動画⋯⋯!
まずい、こんなのさすがの天宮でも無理なんじゃ⋯⋯。
「⋯⋯脅しですか。卑怯な手を使うんですね」
「卑怯でもなんでもいいよ。私ね、自分のモノを盗られるのが一番嫌いなんだー」
モノ、それはおそらく俺のこと。
陽葵はにこっ、と人懐っこい笑みを浮かべ、そして。
「――だから、こうして取り返すの」
顔から笑みが消し、俺から離れる。
天宮も無感情だった目をさらに鋭くし、視線を外さないまま。
敵対心丸出しの瞳を、両者激しく向けあっていた。
「取り返す、ですか」
「だったらなに?」
「いえ、随分醜い行動だと思いまして」
「⋯⋯あんたになにがわかるの」
陽葵は俯き、それから天宮を睨んだ。
「才色兼備で文武両道。学校一の美少女って持て囃されて、調子に乗って。どうせその容姿で彼に付け入ったんでしょ?」
「違う、と言っても信じてはもらえないのでしょうね」
「当然だよ。でもね、そんな事はどうでもいいの。これが学校中に知れ渡れば、タダじゃ済まないんだから」
陽葵は口の端を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべる。
さすがに、打つ手なしか⋯⋯。
「――なら、そうなさっては?」
「⋯⋯⋯⋯は?」
平然と言う天宮に、陽葵は少し動揺する。
これでも天宮が全く怯まないとは、一体どういう策だ?
「⋯⋯正気? 天宮さん、自分が何言ってるかわかってる?」
「当然です。友人なり教師なりに告げ口すればいいではないですか、さあ、ほら、早く」
囃す天宮に怖気付いたのか、陽葵はうっと言葉を詰まらせる。
「それとも、達者なのは口だけですか? 度胸もないのに脅していたと?」
「⋯⋯⋯⋯ほんと、いい性格してる」
陽葵はそれから舌打ちをして、スマホをポケットにしまう。
「いい、気が変わった。今日の所は見逃してあげる」
「見逃す? 逃げるのですか?」
「邪魔が入っちゃったしね。キミを取り返すのはまた今度にする」
陽葵はまたね、とこちらを一瞥して、反対の扉から出て行った。
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
嵐が去った後の静けさが残る。
場には俺と天宮が佇んでいた。
「⋯⋯あの、大丈夫⋯⋯でしたか?」
「ん⋯⋯特にはなにもされてないから、心配いらない」
天宮がおずおずと聞いてくるので、なんだか俺も緊張してしまう。
なんだろう、天宮が介入してきた時はすごく頼もしい気持ちだったのに、今はなんだか気まずい。
「⋯⋯知り合いだったんですね」
どこか悲しそうにする天宮。
「いや、俺も今知った⋯⋯というか、思い出したというか」
「思い出した、ですか?」
天宮が上目遣いで聞いてくる。
「ああ⋯⋯昔の記憶が思い出せなかったんだけど、あいつに抱きつかれてやっとわかった。俺は小学生の時、あいつに会ってるんだ」
「小学生⋯⋯」
「それがどこなのか、なにをしたのかはわからない。ただ、俺はあいつと会っている。それだけは思い出せたんだ」
知り合いであったのは確か、という中途半端な要素だけだが。
それでも、昔の記憶を思い出せたのは一歩前進だろう。
「⋯⋯そうですか」
「それより、よくここだってわかったな」
「声がしたので。陽葵さんの蕩けるような声が、廊下まで聞こえていましたよ」
「あー⋯⋯」
抱きつかれた時のやつか。
恥ずかしい限りだが、実際は動悸が止まらなくてそれどころじゃなかった。
「⋯⋯ありがとな、助けに来てくれて」
「別に、助けたわけではありません。あなたは、わたしの彼氏ですし⋯⋯」
「それでも、来てくれるとは思わなかった」
「⋯⋯そうですね。ついて行ったら偽の恋人関係をバラすとまで言われましたし」
「わ、悪かったよ⋯⋯」
俺は平謝りし、天宮の様子をうかがう。
よかった、怒ってはいないみたいだ。
あれは間違いなく俺が悪いからな⋯⋯。
「⋯⋯それで、どうなるんですか」
「どうなる、とは?」
「バラすんですか? わたしたちの関係」
「⋯⋯⋯⋯」
ほ、本気で言ってるのか、こいつ⋯⋯。
⋯⋯はぁ、なんだか、気が抜けた。
もしかしてこいつ、天然なんじゃないだろうか?
そう思うと、無性に笑いが込み上げてくる。
「ぷ、ぷくくく」
「⋯⋯なんですか、いきなり笑い出して」
「い、いや、なんでもない⋯⋯」
「おかしな人⋯⋯」
目の前で笑う俺に、不満そうにする天宮。
それから息を整えて、俺は言った。
「バラさない。これからも、よろしく頼む」
「⋯⋯はぁ、そうですか。そういう事なら、こちらこそ」
俺は天宮に向き直り、片手を差し出す。
その手はまたしても取られなかったが、それは天宮なりの照れ隠しなんじゃないかと感じた。
だって、ほら。
「いつまでそこにいるんですか。帰りますよ」
「⋯⋯ああ、今行くよ」
本人は気づいていないんだろうが、天宮の頬が、少し緩んでいたから。