猛獣の如きツインテールは飢えている
今日は珍しく短縮日課だった。
月に一度の職員会議。
昼には授業が終わり、加えて全ての部活動が休みときた。
そんなわけで、校内に残っている生徒はほとんどいない。
のだが⋯⋯。
「なんてこった⋯⋯」
靴箱に入っていた可愛らしいピンクの封筒。
中には女子らしい綺麗な文字と一緒に『放課後、話があります』と書かれ、D組で待っている旨が記されていた。
差出人は――
「――陽葵」
そう、あの陽葵だ。陽葵千冬。
朝初対面を迎えたばかりなのに、まさかその日の放課後にアクションを起こしてくるとは。
相当気が早いのか、俺のことが好きなのか。
「どちらにせよ、行くしかないな」
そうして教室に戻ろうとした、刹那。
横から、人影。
「――沢渡さん」
「っ、なんだ⋯⋯また天宮か」
振り向くと、天宮が立っていた。
よかった、他のやつに見られていたらどう噂されるかわかったもんじゃないからな。
ふぅ、と安堵した俺に、天宮はむっと顔を顰める。
「またわたしで悪かったですね。それより、どうかしたのですか」
天宮はなぜ帰らないのか、と怪しむ視線を向けてくる。
「⋯⋯教室に忘れ物をしたから、取りに行くんだよ」
顔を背けて言う。
迷ったが、本当のことは教えるべきじゃない。
陽葵のプライバシーにも関わるし、これは俺の問題だ。
「忘れ物ですか。なら、わたしも行きます」
「⋯⋯は!? いや、いいって。話があるなら戻ってからにしてくれ」
思わず素っ頓狂な声が出る。
咄嗟に断ったが、天宮は納得のいかない顔でさらに距離を縮めた。
「なぜですか? わたしがついて行くとなにか不都合でも?」
ぐいぐい詰め寄る天宮。
そうだよ、天宮に来られると困るんだよ!
⋯⋯なんて、言えるわけがない。
なんとしても誤魔化さなければ⋯⋯。
「ほ、ほら、二度手間だし」
「別に構いませんが」
「うっ――」
簡単に打ち砕かれる。
だが、ここで諦めるわけには。
「帰りながら聞くからさ」
「話をするのが早いか遅いかの違いですよね。それなら早い方がいいのでは?」
「で、でもだな⋯⋯」
こ、こいつ、意地でもついてくる気だ。
くそ、こうなったら。
「――ついてきたら偽の恋人だってみんなにバラす!」
俺は勢いよく駆け出し、捨て台詞を吐いた。
「なっ⋯⋯」
天宮はすぐに反応したのだが、『バラす』の部分で動揺したように動きを止めた。
俺はその隙に、階段を上って行く。
「はぁ、はぁ⋯⋯傑作だったな」
久しぶりに全力疾走したのですぐに酸素が足りなくなり、肩で息をする。
だが、息苦しい辛さより、天宮の面食らった表情が見れたのがなにより印象に残っていた。
「は、はは。あの天宮を動揺させてやったぞ⋯⋯」
悪いな、天宮に知られるわけにはいかないんだ。
それに、向かうのは俺の教室じゃない。
もし仮に天宮が追いかけてきたとしても、時間は稼げるだろう。
「確か、D組は⋯⋯」
二階。
息を整えながら歩く。
手前の学年室を通り過ぎ、A組、B組、C組⋯⋯と教室をパス。
それにしても、本当に誰一人として残っていない。
こんなに人気のない校内は、久しぶりだ。
――そして、D組。
中を覗く。
日が差し込んでいないのか、教室は薄暗い。
だが、その奥に華奢な人のシルエットが見える。
「ふふっ、やっと来た」
「⋯⋯陽葵」
目的の教室に入ると、窓を背に寄りかかっているツインテールがいた。
その目元には笑みが浮かんでいて、今朝の睨んでいた陽葵とは別人のように感じてしまう。
「こんなところに呼び出して、一体なんの用だ」
「怖いなぁ、そんなに睨まないでよ」
間髪入れず質問する俺に、陽葵はにこっと余裕を見せる。
悪いが時間をかけてられないんだ。こっちはあの恐ろしい天宮を待たせてるんだからな。
「⋯⋯用件を言え」
「うーん、どーしよっかなー」
「ふざけるなら帰るぞ」
「えー、待ってよー」
陽葵は笑みを絶やさない。
なぜこんなにも余裕綽々なのかはわからないが、こっちは頼まれて来てる側なんだぞ。
いつまでもお遊びに付き合ってられない。
「じゃあな」
呆れながら踵を返した。
――その時。
「仕方ないなー。これを見ても、まだ帰るって言えるかな?」
「一体なん――」
止まる。
動きも、思考も、なにもかもが。
沈黙が訪れる。
鼓動が早くなり、その音が煩わしい。
だが、そんなのはどうでもいい。
なぜ。
なぜ、こいつが。
――俺の家に天宮が来たのを知っている?
「――――」
驚きで声も出ない。
陽葵は予想通り、と言わんばかりの笑顔で、俺に向けていたスマホの画面を近づける。
「ふふっ。これね、偶然撮っちゃったんだー」
間違いない。
これは、天宮が恩返しに俺の家へ来た時の映像だ。
解像度が落ちていて明確には映っていないが、間違いなく俺と天宮。
服装や場所に見覚えがありすぎる。
「お、おま、どこで⋯⋯」
「これ、みんなに知られたらやばいよね?」
陽葵は当然、わかっていて俺に聞いている。
この状況を、楽しんでいるのだ。
まるで強者が弱者を襲い、じわじわと追い詰めるように。
「な⋯⋯なにが望みだ?」
「えー、望み? うーん、そんなのないよー」
嘘だ。
こいつの目は完全に、餌を捕食する肉食獣のそれ。
間違いなく、俺は食われる。
「――――」
声が出ない。
陽葵の顔が間近に迫り、美少女の顔を認識させられる。
「でも、強いて言うなら――」
ぺろっ、と陽葵が舌なめずりをする。
嫌な汗が頬をつたい、背筋が凍った。
「キミ」
陽葵は恍惚とした表情を浮かべ、体を寄せてくる。
やめろ、近寄るな。
こっちに、来るな⋯⋯!
だが、俺は止まってしまった。
それはまるで、蛇に睨まれた蛙のように。
「やっと、やっとだぁ〜」
陽葵は蕩けた顔で俺に抱きつき、頬を擦り付けてくる。
柔らかい。
女の子の体が、密着する。
背に回された両手にぎゅっと抱きしめられて、決して強い力ではないのに逃げられなかった。
「や、やめ⋯⋯」
――やめてくれ。
そう言おうとしたのに、言葉が出なかった。
動かない。
足も、手も、体も、顔も。
怖い。
こいつの笑顔が、他の誰よりも。
抱きつかれた嬉しさなんて微塵もない。
美少女ではなく、悪魔。
そう、悪魔だ、こいつは。
きっとこのまま、食われて死ぬ。
――そんな時、背後から気配が現れた。
「っ、誰!」
陽葵が叫ぶ。
それはちょうど扉の方で、たん、という足音がして。
俺は目を見開いて、その人物に心から安堵をした。
――そこには。
「その人から、離れてください」
いつもに増して不機嫌そうな、天宮が立っていた。