恩返しに来た美少女と偽のお付き合いをする事になりました
「お邪魔します」
袋に詰められた食材を抱えている天宮。
両手が塞がっていたようなので、扉を開けて迎える。
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯なんですか、人のことをジロジロ見て」
「いや、別に⋯⋯」
自分の家かのようにずかずかと踏み入る天宮。
男の家に入るのが初めてではないのだろうか? 緊張した様子は見られないが⋯⋯。
その能面に感情はなく、三者視点ではわからない。
真相は彼女のみが知る、といったところだ。
「キッチンはどちらですか」
「こっち」
正面のドアを指さす。
ドアノブを回して入ると、キッチンとリビングが一体型となった部屋に天宮は目を見開いていた。
一人暮らしにしてはかなり広い部屋なので、俺も気に入っている。
「こんなに⋯⋯」
「すごいだろ」
「⋯⋯はい」
天宮は驚いているようだった。
ふふん、そうだろう。自慢の――って、あれ?
てっきり部屋の広さに驚いているものだと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。
天宮はキッチンの調理器具を凝視して、目を輝かせていた。
「なんだ、そっちかよ⋯⋯」
「⋯⋯なんですか、見られて困るとでも?」
呆れのため息を漏らした俺に、天宮はむっ、と不満げに反応した。
「⋯⋯いや、そういうわけじゃない。宝の持ち腐れだったから、使ってくれて助かる」
「⋯⋯そうですか」
実際、うちには未だに使っていない調理器具が多数存在していているので、こうして天宮が役立ててくれるのは大いに結構。
そういった意味では感謝するべきだ。
「⋯⋯羨ましいです。わたしの家にはこんなに種類がないので」
「そうなのか?」
「はい。使ったことがないものもあるので、楽しみです」
天宮は腕まくりをし、袋の中から食材を取り出した。
「⋯⋯言っておくが俺の趣味じゃないぞ。家族が勝手に買い揃えたんだ」
「はぁ、そうですか」
勘違いをされるのは癪なので弁明したら、割とどうでもよさそうだった。
そんな俺の申し開きは置いといて、天宮は心做しか張り切っているようだ。
普段使わない調理器具を使うのが楽しみだと言っていたし、自信はありそうだ。
後は任せても問題ないか。
「まあ、好きに使ってくれ」
「言われるまでもありません。⋯⋯普段から料理はされてないようですし」
「う――」
ぐさ、と天宮のジト目が俺に刺さる。
「⋯⋯別に、俺の勝手だろ」
料理は苦手だ。
一時期は自炊していたが、毎回、どこかしらで失敗するのだ。
不器用さも相まってまともに完成したことはなく、自炊は長く続かなかった。
そのうち、まずい飯を食うくらいならジャンクフードで生きていく方がマシだという考えに至って、いつしかジャンク人間になっていた。
「関心しませんね」
「⋯⋯お前に関心される筋合いはない」
これは本心だ。
なにも俺は健康な食生活を送ったからと言って、褒められたいわけではない。
それ自体はこいつも周知の事実だろう。だが、同時にこうして口に出すことで、相手からの評価を下げようと俺は試みていた。
俺は頑固で、感じの悪いやつだと。
好感度が下がれば、俺に構う確率は減るはず。
これから先のことを見据えた完璧な作戦だ。
「いつもどのような食事を?」
天宮は冷蔵庫を開け、中身を見ながら俺に問いかけた。
「なんでお前に言わなきゃいけないんだ」
「⋯⋯別にあなたのことが知りたいわけではありません」
どこか不機嫌そうに言う天宮。
そもそも、こいつに教えてやる義理はないのだ。
他人に興味を示さないことで有名な天宮だぞ、なんだって俺のことを知りたがるのだろうか。
「あなたが死んだ魚の目をしているので、どんな食生活を送っているのか気になっただけです」
「⋯⋯⋯⋯」
こちらの考えなど筒抜けなのか、天宮は釘を刺してきた。
なんて失礼極まりない女だろうか。やはり美少女は性格がひん曲がっているものなのか。
「⋯⋯目は生まれつきに決まってるだろ。痴呆か?」
「冗談ですよ。一種のジョークも見抜けないようでは、人付き合いで苦労しそうですね」
「うるさいな」
そんなタチの悪いジョーク、アメリカ人でも言わねぇぞ。
「だいたい、お前には関係ないだろ」
「反抗的なのは結構ですが、大人になってからひねくれますよ。これはアドバイスです」
「いらねぇ⋯⋯」
なんてはた迷惑なアドバイスだろうか。
嫌味がぽんぽん出てくるあたり、口は回る方らしい。
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯どうしたのですか、いきなり黙って」
「⋯⋯いや」
そういえば、なぜ俺は説教じみた反省を強いられているのだろうか?
おかしい、ここは俺の家だ。なのに、どうしてこうにも居心地が悪いのか。
「って、おい。勝手に袋を見るな」
「⋯⋯沢渡さん。あなた、病気になりますよ」
「いいんだよ。俺の勝手だろ」
ごみ袋を目にした天宮が、ため息とともに呆れの視線を向けてきた。
そこにはカップラーメンの容器やレトルト商品なんかが入っていて、弁解の余地もない。
まあ、元から言い逃れする気なんてないが。
「好きなものを食ってなにが悪いんだ?」
「⋯⋯先程の言葉は訂正します。既にひねくれていました」
天宮がまた嫌味を言ってくる。
先程までの俺だったらそのまま言葉を詰まらせていたが、今度は違う。
こうなることは既に想定済みだ。
「俺がひねくれてる? なんだ、今更知ったのか」
「本当にいい性格してますね⋯⋯」
「似た者同士だろ」
自信たっぷりに言ってやると、天宮はため息をついた。
っと、話しすぎたな。
とにかく、そろそろ料理を始めるだろうし、退散してやるか。
「俺はテレビでも見てるから、できたら教えてくれ」
「すこしくらい手伝っても――ああ、手伝うんじゃなくて手伝えない、でしたね」
こ、こいつ、なんて嫌な女だろうか。
いつまで経っても口が減らない。
「⋯⋯⋯⋯」
俺は口を噤んだ。
作ってくれるというのだから、嫌な女であっても文句は言えない。
「⋯⋯一応聞いておくが、メニューは?」
「酢豚と野菜炒めです。沢渡さんは栄養を摂るべきなので」
「余計なお世話だ⋯⋯」
作ってくれること自体はありがたい。
だが、こいつの減らず口には意地でも言い返さないと俺の気が済まなかった。
「わたしの主観ですが、高校生ならもっと栄養のあるものを食べているでしょう」
「そんなの人それぞれだろ。それに、俺にそんなの作れるわけがない」
「だからこうしてつくっているのではありませんか」
ああ言えばこう言う。
やはり俺たちは、どこか似ている。
「それでは、できたら呼びます」
「ああ」
俺はキッチンから離れ、こたつへと向かう。
その途中、一度だけ振り返った。
――小さい背中だ。
天宮の後ろ姿を見て、彼女は本当はか弱い存在なんじゃないか、なんて柄にもないことを思っていた。
*
「ご馳走さま」
「お粗末さまです」
ふぅ、と一息つく。
「うまかったよ」
「そうですか」
天宮は特に喜ぶ素振りも見せず、紅茶を啜る。
一挙一動に気品があって、やはり美少女、ということを改めて再認識させられた。
「⋯⋯沢渡さん」
「なんだ」
「恩返しの件、ですが」
天宮は改まって、背筋を伸ばした。
俺は務めて平成を装い、お茶を口に含む。
「――沢渡さんは、恋人がいますか?」
ぶっ。
「お、おま、いきなりなんだ!」
「これといって意味はありませんが⋯⋯」
いきなりなにを言い出すのかと思えば、恋人がいるかだって?
爆弾発言が過ぎる。おかげでお茶を吹き出してしまった。
「⋯⋯いない」
「そう、ですか⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
またしても沈黙が訪れる。
なんなのだ、一体⋯⋯。
「あのっ」
「⋯⋯なんだよ」
訝しげに聞くと、天宮は間を置き、深呼吸をした。
「わたしの、彼氏になってくれませんか?」
「⋯⋯⋯⋯」
手に持ったマグカップが震える。
お、おお落ち着け沢渡契十六歳一人暮らし彼女なし独身一般高校生。
ど、どうせあれだ。
恋人を演じてくれ、とかだろう。
俺は騙されないぞ!
「⋯⋯それは本心か?」
「いえ、形式上での話です」
ほらな! 言っただろう!?
だから俺の読みは合ってたんだって! だから、別に⋯⋯がっかりなんて、してないし⋯⋯。
「⋯⋯理由は?」
「美少女のわたしが彼女になれば、沢渡さんに箔が付くかと思いまして」
「なんだそれ。逆に男どもからヘイトを買うのは目に見えてるし、第一お前が困るんじゃないのか」
「いえ、むしろ⋯⋯」
天宮は言いにくそうに口ごもった。
――ああ、なるほど。
やっとわかった。
こいつはきっと、俺を利用したいのだ。
美少女で有名な天宮は、月に何回も告白されていると聞く。
天宮はそれを、どうにか回避したいのだろう。
「彼氏がいるとなれば、告白は極端に減る、か」
「⋯⋯⋯⋯」
天宮は答えない。
決して自分からお願いしたくはないのだろう。
だが、沈黙は肯定だった。
もしそうなれば、少なくとも俺に迷惑がかかる。
天宮はそこまで知った上で、俺に利用されてくれないかと頼んでいるのだ。
なるほど確かに、取り繕うわけだ。
「わ、わたし、こう見えて人気なんですよ。沢渡さんも自慢できると思います」
「別に自慢する相手がいないからな⋯⋯」
ぐ、と天宮は言葉を詰まらせる。
選択権は俺にあるから、天宮としては苦しい話だ。
「⋯⋯すみません、やっぱりいいです。忘れ――」
「まあ、それでも」
俺は天宮の言葉を遮り、そっぽを向きながら言う。
「一回くらいは彼女が欲しい、とは、思う」
「⋯⋯⋯⋯」
驚いたように、天宮が目を見開く。
なんだ、そんなに意外だったのか。
「⋯⋯なんだよ」
「い、いえ、でも⋯⋯」
「うるさい。急に彼女が欲しくなったんだよ、悪いか? それともなんだ、やめるか」
「や、やめませんっ。ぜひ、お願いします⋯⋯」
急に恥ずかしくなったのか、天宮は白い頬を赤く染めた。
というか、意外なのはこっちのセリフだ。
こいつ、俺のことが嫌いなんじゃなかったのか?
偽だとはいえ、俺に頼るのは天宮のプライドが許さないはず。
――あれ?
ここに来て、俺は気づいた。
なんだか、先程より天宮との距離が近くなっているのだ。
物理的な話ではない。もちろん、俺の気のせいかも、という可能性は否定できないが⋯⋯。
「で、具体的になにをすればいいんだ?」
「いえ、特になにもしなくて構いません。形式上の話ですから、聞かれたらわたしと付き合っているとだけ言ってもらえれば」
「⋯⋯やけに簡単なんだな。周りのやつが疑うとは思わないのか?」
「当然疑われるでしょうが、わたしが口でねじふせます。それに、嘘だという証拠もないのですから」
「⋯⋯なるほどな」
天宮だからこそできる策だと言える。
他の男女がやればすぐに嘘だと見抜かれるが、天宮の無表情では真偽の判断がつかない。
加えて口が回るし、口論になれば十中八九嘘を貫き通せるだろう。
「いつまでだ?」
「明確には決めていませんが、一ヶ月くらいが妥当かと」
「わかった。勘違いしないように聞いておきたいんだが、あくまで偽の恋人関係だよな」
「はい」
確認を取り、お互いに納得。
そして、俺は天宮に向けて片手を差し出した。
「よろしく」
天宮は出された手を見つめる。
「はい。よろしくお願いします」
「⋯⋯⋯⋯」
のだが、その手が取られることはなかった。
天宮は悠然と言葉を返し、ティーカップを傾ける。
こいつ、意地でも俺と馴れ合う気はないってか。
「⋯⋯性格悪」
「お互い様では?」
「ったく⋯⋯」
ため息をつき、天井を見つめる。
こいつと話すと嫌味ばかり飛んでくるけれど。
不思議と、居心地の悪い沈黙ではなくなっていた。