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恩返しするまで帰らないんだからねっ!

 ――なぜこうなった?


「⋯⋯⋯⋯」


 家の扉を開けたら、見覚えのある美少女がいた。

 俺が戸惑っている間も、彼女は睨むような視線を絶やさない。

 明確な敵意。少しの自惚れさえ許さぬ、厳しい現実を突きつけられていた。


「⋯⋯⋯⋯」


 俺は未だに喋れないでいる。

 お互いの間には居心地の悪い沈黙があって、とにかく解放されたいと一心に願った。


 訪問してきたのは彼女の方だ。

 当然、用があってのこと。

 しかし、なんだか厭な予感がして、俺から聞くのは憚られた。


「――あの」


 無色透明な声。

 あまりに綺麗だったものだから、居心地の悪さなど忘れて心臓が跳ねた。


 どくん、どくん。


 脈打つ、煩いそれを沈静化させる。

 そして、努めて平静を装った。


「⋯⋯なんだ?」

「恩返しをさせてください」

「⋯⋯⋯⋯」


 真剣に突拍子もないことを言ってみせる彼女に、俺の思考は急速停止した。


 落ち着け。そう、落ち着いて深呼吸だ。

 体内に立ち込めた二酸化炭素を放出し、新しい酸素を取り入れる。

 頭が冴え、脳をフル回転させた。


 まず、俺こと沢渡 契(さわたり けい)は、現在進行形で天宮 琴葉(あまみや ことは)と対面している。


 天宮 琴葉。


 容姿端麗、成績優秀で異性からの人気が高く、澆薄な美少女。

 その名を校内で知らない人はおらず、一部ではファンクラブが存在するほど。


 ――そんな天宮が、星の見える夜遅くに俺の家を訪ねてきた。

 しかもその理由が恩返し、らしい。


 うん、全く理解できない。


 アニメで表現するなら、俺の頭上にたくさんのはてなマークが浮かんでいることだろう。

 しかし、残念ながらここは現実だ。はてなマークなど浮かんでおろうはずもない。お前なに言ってんの? と呆れられるだろう。


 話が逸れた。特に理解しなくて構わないから、今の例えは記憶から抹消してくれ。


 本題に戻ると、彼女の言葉をイマイチ理解しきれてないのだ。

 言葉そのものの意味ではない。彼女がそれによってどうしたいのかが、明確には伝えられなかった。


 喩えるなら、訪問販売でとある物を勧められたとする。

 しかし、話の内容にその物自体の詳細が入っていないようなものだ。非常に悪質である。クーリングオフ確定。


 よって、丁重にお断り申し上げよう。


「そのような身に余る光栄、恐悦至極にございます。しかし、私には些か荷が重いと存じます。見合った宛てがいくつかございますので、私めの方から紹介させて頂きます」


 我ながら懇切丁寧な対応。これは完璧だ。


「だめです。宛てなど言わずとも、有栖川先生でしょう?」


 バレてた。ダメかぁ〜。


 脳をフル回転させ、数分と要さず考えたお断りの文章は、いとも容易く却下されてしまった。

 俺を見据える天宮の瞳には、譲らない意思が垣間見えている。

 これは強敵だ。


 ――しかし、恩返しか⋯⋯。


 十中八九天宮を助けた件に違いないだろう。

 俺自身、助けたという気は全くなかったのだが⋯⋯。

 むしろ、天宮にとって迷惑でしかないことは重々承知だった上に、てっきりその後口うるさく小言をぶつけられると覚悟していた。


 だが、蓋ならず扉を開けてみればどうだ。

 嫌味を言われるどころか恩返しだと? 常人であれば喜んで頷くところだろうが、俺は違う。


 ――その裏に企みがあるのでは、と疑いを持たざるを得なかった。


 それは灼然たることだろう。彼女は怪しすぎる。

 お礼ならともかく、現代において恩返しときた。おかしいに決まっている。鶴じゃあるまいし。


 ⋯⋯仕方ない。心苦しいが、とぼけてでも回避させてもらう。


「恩なんて売った覚えがない。人違いだ」

「違わないです。有栖川先生が教えてくれましたから」

「⋯⋯⋯⋯」


 一瞬にして回避策、打ち砕かれり。

 俺は頭を抱えた。

 ふざけんなよあの独身アラサー⋯⋯!


「それに、わたしにお願いをされて断る男性はいないと思います」

「自分で言うのかよ⋯⋯」


 自覚していますから、と天宮は付け足す。

 普通ならば性格の悪い女性として認識されるのに、本人にその様子はない。

 それもそうだ、自分が他ならぬ美貌を持っているからだろう。

 確かに、天宮が自分の容姿を否定すればそれは嫌味だ。


 ふぅ、こいつがその域に達した性悪女でなくて、少し安堵した。


「⋯⋯⋯⋯」


 その変わり、今もばちばちに睨まれているが。


「⋯⋯お願いです。借りは返させてください」

「そうは言われても、そもそもこっちは借りを作ったなんて思っちゃいないんだよ⋯⋯」


 天宮は服の裾をきゅっと握る。

 重苦しい空気。

 このまま時が経てば経つほど、俺は不利になるだろう。

 なんせ、こんな美少女の頼みを断っている、なんて罪悪感から逃れかねないのだから。


「もう夜も遅いし、帰ってくれ」

「承諾していただけるまで帰りません」


 どうしてこうにも頑固なんだ、こいつは。


「――大体、なんで俺の家知ってるんだよ」

「有栖川先生に教えていただきました」

「⋯⋯⋯⋯」


 天宮が当然のように答える。

 またしてもあの独身だ。

 自然とため息が出る。

 困ったものだ、俺のプライバシーもあったもんじゃない。


「あのな、俺は恩人なんかじゃないんだよ。助けたのは有栖川先生と貫地谷先生だ」

「ですが、あなたも同じです」

「んなことないっての⋯⋯」


 俺はぽりぽり、と頭を搔く。


 この会話が始まって、既に十分近くが経過している。

 冬の夜はさらに冷え込むというのに、長時間外で言い争うのは馬鹿げている。


「早く帰ってくれ」

「お断りします」


 天宮は動かない。

 俺は早く終わらせたくて、だんだん心に余裕がなくなっていた。


「俺は忙しいんだよ。これから夕飯作らなきゃいけないし」

「⋯⋯お断り、します」


 それでも、それでも。

 天宮はその場に留まるばかりだ。

 華奢な体は震え、指先は寒さで赤くなっている。


「頼むよ」

「⋯⋯⋯⋯」


 てこでも動かない気だろうか。

 いつまでもここにいられると、迷惑がかかる。

 近隣住民や俺にもそうだが、一番はこいつ自身に、だ。

 天宮はただでさえ体が弱いってのに、このまま外にいたらあっという間に風邪をひく。


 そろそろ追い返さなければ本格的にまずい。


「そろそろ帰ってくれよ⋯⋯」

「⋯⋯頼んでもいないのに、勝手なお節介でわたしは助けられた」


 急に弱気になり、そのまま冬の夜に溶け込んでしまいそうな声色。

 なら、畳み掛けるのみ。

 いくら天宮が、可哀想でも。


「そうだな、俺が勝手にした事だし。ならそこで話は終わりだ」

「それでも⋯⋯なにも返せないのは嫌なんです」


 天宮は俯きながら、心底嫌そうな顔をしていた。


 ――ああ、やっとわかった。

 ここに来たのは、たぶん、嫌いとかそういう感情を抜きにしても、恩を感じているから。

 九割九分九里嫌いだったとしても、残りの一里に恩があったなら、こいつはそれを返そうとする。


 ――度が過ぎるほどの、律儀さ。


「しつこいな。俺が気にしなくていいって言ってるんだからそれでいいだろ」

「それでも⋯⋯」


 冷たくあしらう俺に、天宮はなおも食い下がる。


「いいか? 俺は俺がしたいようにしただけだ。そこには同情とか哀れみの感情は一切含まれてない。ただあいつらに腹が立って仕方なかったんだよ」


 俺は本心をぶちまける。

 どうか、これで諦めてくれ。


「⋯⋯けど、わたしの力になると仰ったんですよね」

「う――そ、それは、おまえが発作を起こした時だけだ」


 その話をするのは卑怯だ。

 くそ、手強すぎる⋯⋯。


「――わたしは、わたしのしたい事をしているだけです」


 決意に満ちた表情。


「だから、帰りません」


 俺は、その言葉を頭の中で反芻した。


『俺は俺がしたいようにしただけだ』


 それは、俺自身が言ったこと。

 天宮を否定すれば、それは俺が自分を否定しているのと同じ。


 そんなことは、絶対にダメだ。

 負けを認めるのと同義。

 俺はそこまで、プライドを捨てた覚えはない。


「お願いです」


 しかし、どうにか帰さなければ天宮の体調が悪くなるのは安易に想像できる。


「⋯⋯⋯⋯くそ」


 今日何度目かわからない、ため息をついた。


 ――俺の、負けだ。

 多分、朝までやってもこいつには勝てない。


 渋々、決断した。


「⋯⋯⋯⋯わかった。わかったよ、俺の負けだ」

「⋯⋯本当ですか?」


 信じられない、と言った様子で俺を見上げる天宮。

 それもそうだ。先程とは打って変わって俺が諦めたのだから。


「本当だ、嘘でもなんでもない。⋯⋯なんならもう一回言ってやろうか? 録音してくれても構わない」

「そこまでは、疑ってませんけど⋯⋯」


 俺が折れたのが意外だったのか、天宮は目を見開いて驚く。


 心外だな。おまえが堅物すぎるんだよ⋯⋯。

 とにかく、今は家に帰らせるのが先決。


「終わりでいいよな。今日は帰って――」


 ぐぎゅるうぅぅ。


「⋯⋯⋯⋯」

「⋯⋯⋯⋯」


 言いかけた瞬間、腹の虫が盛大に鳴った。


「⋯⋯⋯⋯あの」


 天宮が気まずそうに声をかけてくる。

 やめろ、気を遣うな。


「お腹、空いてるんですか」

「⋯⋯⋯⋯ほっとけ」


 じと、とやや呆れたように見てくる天宮。

 俺は恥ずかしくて、そっぽを向いた。


「不本意ですが⋯⋯作りましょうか?」

「⋯⋯⋯⋯は?」


 時が止まる。

 俺は目を白黒させて、状況に追いつけてないでいた。


「ですから、その⋯⋯」


 一度言葉を噤んで、黙る天宮。


「ゆ⋯⋯ゆう、はん」

「⋯⋯⋯⋯」


 沈黙が訪れる。

 なにか話さなくてはいけないのだが、リアクションが取れない。

 参ったことに、その返答は予想外だったのだ。


「⋯⋯いや、コンビニに行くから必要ない」

「ここからコンビニは相当遠いはずです。作りますよ⋯⋯不本意ですが」


 天宮は本当に不本意そうに、顔をむすーっとさせた。

 どこまでも失礼なやつだ。


「一言多いんだよ⋯⋯」


 まったく、不本意ならいいっての。


 ――でも、こいつは。

 言っても、聞かないんだろうな。


「うちの冷蔵庫は空で、どちらにしろ買い物に行かなくちゃならない。帰るなら今のうちだぞ、ほれ」

「お断りします。わたしの家から持ってくるので、問題ありません」

「⋯⋯⋯⋯」


 さも当たり前かのように答える天宮。

 こ、こいつ⋯⋯今さりげなく凄いことを口にしたぞ。


「お、おま、家はどこなんだよ」

「⋯⋯ひとつ上の階ですが、それが?」

「⋯⋯⋯⋯は?」


 ぽかん、と呆けてしまう。

 うちの、一個上⋯⋯?


「ば、ばば、バカ、冗談はやめろ」

「ばかじゃないです。冗談でもありません」


 むっ、と不機嫌そうにする天宮。

 しかし、そんなことが有り得るのか⋯⋯?


「⋯⋯あの、気になるなら見ますか」

「⋯⋯⋯⋯へ?」


 思わず間抜けな声を出してしまった。

 だが、それはあまりにも⋯⋯。


「い、いや⋯⋯いい」

「⋯⋯そうですか。言っておきますが、本当に冗談ではありませんよ。あと、見せるのは家の中ではなく表札です」

「⋯⋯⋯⋯」


 い、いや、気づいてたし。

 別に人生初女子部屋が見れる、とか思ってなかったし。

 ホントだし。


「⋯⋯それでは、取りに行ってきます」

「あ、ああ。鍵は開けておくから」


 そう言ってドアを閉めようとすると、天宮は足を止めた。

 勢いよく振り返って、俺を睨む。


「⋯⋯なんだよ?」

「ばかですか、あなたは。不用心すぎます」

「あのなあ、そんな短い時間で⋯⋯」

「そういう油断がばかだと言っているのです。いいですか? 必ず鍵を閉めておいてください。戻ってきたらインターホンを鳴らします」


 天宮はキツく俺に言い聞かせ、ぱたぱたと駆けて行った。


「⋯⋯⋯⋯」


 ⋯⋯なんだか、親に叱られる子供の気分だ。

 ほんの昨日まで赤の他人だったのに、よくここまで過保護になれるよな⋯⋯。


「ったく⋯⋯⋯⋯」


 ため息をつき、家の鍵を閉める。


「⋯⋯⋯⋯」


 なんだか、どっと疲れた。


「変なことに、なっちまったなぁ⋯⋯」


 玄関の前で座り込んで、そう呟く。


 女子とこんなに話すのは、初めてだった。

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