一章 5.魔王復活
魔王復活まであと……
「きゃああああ!」
ゴリラ型の魔物から逃げ切り暗い闇の穴へ身を投じたマリナは、現在進行形で無限に続くような浮遊感を味わっていた。
平衡感覚を失わせるこの不思議な空間に気分を害し始めた頃、視界は突然光に包まれる。
そして気がついた時には、マリナは闇の中から抜け出し地面に倒れ込んでいた。
「ぶ、無事に着いたの?」
マリナはゴリラ型の魔物にやられて痛む体を抑えながら、フラフラと立ち上がり周囲を確認した。
マリナの周囲に広がるのは、鬱蒼と生い茂る木々や花々。ゴツゴツした岩場が特徴的な、竜の島とは対極の世界であった。
それらの情報から、ひとまず自分は別世界へ転移したのだと直感する。
「よかった、移動は成功したみた――痛っ!ま、まずは傷を癒さないとね……」
成功したことに安堵するも、安心したせいでアドレナリンが切れたのか全身に激痛が走り出してしまう。
マリナは苦痛に顔を歪めながらカバンの中を漁り、治癒ポーションを取り出すと一口で飲み干す。
すると先程まで全身に押し寄せていた痛みが、嘘のように消え失せた。
「ふぅ、これで傷はもう大丈夫ね。さてと、まずは少し歩いて周囲を探索してみますか!」
応急処置を終えたマリナは、情報収集のために周囲の探索を開始する。
「なんだろ、ここの草木は生命力に溢れてる気がする。これも魔王の影響なのかしら」
周辺を調べてみると、どの草木も生き生きとした力強さが感じられる。
植物に詳しいという訳では無いが、それでもこの世界の草木は自分の知るものとは何か違うと思えた。
マリナは見慣れない光景に気持ちを昂らせて周囲を見回しながら歩き、気がつくと開けた草原へ足を踏み込んだ。
「のどかでいい場所ね……」
柔らかな草の生い茂る草原と吹き抜ける暖かい風に、マリナは魔王のことは一瞬忘れて身を委ねた。
このままこの場所で暮らせたらどれだけ幸せなことか。そんな考えが脳裏を過った。
「い、いけないいけない!思わず肝心な目的を忘れるところだったわ……。はっ!まさかこれこそが魔王の狙いなの?」
霞む意識に無理矢理鞭を打ち、マリナはどうにか正気を取り戻す。
これも魔王の策略なのではないかと、ありもしない疑いまで向ける始末である。
と、そんなことをしていると、先の方から何人かの話し声が聞こえてきた。
まだ姿は見えないが、ようやく最初の住人発見だ。
「第一村人……いや、異世界人発見か。これでようやく魔王の居場所を聞けるわね。あっ、そうそうその前にこれを着けとかないと」
魔王の情報を得られることを喜ぶマリナは、そこで何かを思い出したかのようにカバンを漁り出す。
そして取り出した物を即座に頭に装着させた。
その、ネコミミが特徴的なコスプレ用のカチューシャを。
「今日もいい感じに売り捌けたな!」
「ああ、この時期は良い物が手に入るからな」
「ははっ、違ぇねぇや」
マリナがネコミミカチューシャを装着したのとほぼ同時に、そんな会話と共に二人の男が荷車を引きながら少し離れた位置にある街道を歩いていた。
マリナは駆け足でその二人へと接近し声を掛ける。
「あのー!少しいいですか?」
「ん?何だお前、見ない顔だな」
「その耳……、猫人族か。確かにこの辺では見かけない種族ではあるか」
マリナが声を掛けたのは、快活そうな好青年と冷静そうでで細い目付きが特徴のクールガイである。
ただし、両者は共に人間では絶対に有り得ない、獣耳を頭部に生やしていた。
付け物でも偽物でもない、紛れもなく本物の獣耳である。
両者は、いやこの世界に暮らす人間は、全て獣人族だったのだ。
「はい、先日旅を始めたばかりなもので、折角ですから魔王様を一目見ようと思っていたのですが道に迷ってしまい……」
「そういうことだったのかー。懐かしいなー、俺も昔は勢いだけで家を飛び出してよく迷ったものだぜ」
「お前は今でもそうだろ」
「何だと!」
マリナの話に好青年の方が共感して昔を懐かしむようにそう呟く。しかし、隣に居たクールガイに水を差され、喧嘩に発展してしまった。
先程まで仲良さげにしていたのに急に喧嘩が始まり、突然のことにマリナはあわあわと混乱してしまう。
「おっと、悪い悪い。んで魔王様の居場所だったか?それならこの街道を道なりに進んだら一時間もしないうちに着くと思うぜ」
「ああ、この辺は安全だから問題無く着くだろう」
マリナの困惑した表情を見て冷静さを取り戻したのか、二人は喧嘩を止めて質問に素直に答えだした。
「そうでしたか、ありがとうございます!」
「いいってことよ!」
「獣人族は皆家族。助け合うのは当然だ」
魔王の居場所を教えて貰いお礼を言うマリナに二人は笑顔でそう答えると、再び荷車を引き出した。
「親切な人達でよかったぁー。それに、この耳もバレてなかったみたいだし」
獣人族しか居ない世界で人間が居るというのは非常に目立つ。
マリスの日記で予習していたマリナは、そういった事態を予想していたのだ。ネコミミカチューシャを持ってきておいて良かったと安堵の息を漏らす。
マリナは親切な二人に手を振って見送った後、教えられた通りに街道を歩き出した。
――
二人の獣人族に道を教えてもらってからちょうど一時間ほど経過した頃、マリナは遂に魔王が居るという首都へと到着した。
「言われた通り着いたみたいね。さすがに首都なだけはあって栄えてるわ」
イヌ、ネコ、ウサギ、キツネ……、パッと見ただけでもそれらの動物の特徴を持った多種多様な獣人族が、見渡す限り一面を占めていた。
可愛げのあるその見た目に、マリナは心癒されながら魔王探しを続行する。
その都度それとなく行き交う獣人族に魔王の居場所を聞いて回ったところ、どうやら魔王はこの街の中心にある大聖堂に居ることが判明した。
「あれが大聖堂、あそこに魔王が……」
大聖堂は街の端からでもその先端が見える程巨大で、魔王の存在の大きさを象徴しているものであった。
あまりにも大きいのでさすがに迷うことも無く、マリナは難なく大聖堂へと到着する。
すると大聖堂の扉は開け放たれており、誰でも出入りは自由になっているらしいので、正面から入っていく。
「ようこそお越し下さいました」
「こ、こんにちは……」
大聖堂に入るとすぐ、修道女の様な格好をしたウサギ耳の獣人族に声を掛けられた。
いきなり声を掛けられてマリナは驚くも、どうにか挨拶を返す。
「本日はどういったご要件で参られたのしょうか?」
「えと、魔王様に謁見したくて……」
「かしこまりました。それではこちらにどうぞ」
マリナが目的を伝えると、止められることも無く修道女に笑顔で案内をされる。ネコミミの効力は健在だ。
そうして、大聖堂の中をしばらく歩くと大きなドーム状の一室へとやって来た。
そこには七色に輝く、天井まで届きそうなほど巨大なクリスタルが崇められるように佇んでいたのだ。
そして、巨大なクリスタルの中心には、腹部に棒状の何かが刺さっている様に見える、異様な雰囲気を放つ人物が静かに眠っていた。
あれこそが魔王なのだろうとマリナは直感する。
「魔王様はかつて人間から我々獣人族を救う為に戦い、その結果この様な姿になられてしまったのです。だからこそ我々は常に魔王様の傍に仕え、いつお目覚めになられてもいいように備えているのですよ」
「復活、ですか……。何か策はあるのですか?」
「数十年ほど前から、魔王様の重鎮である魔人様方が方法を探る為の旅に出て下さったとのことですが、まだ吉報は届いておりません……」
「そうでしたか……」
獣人族達の方でもなんとか封印を解こうとはしているらしいが、未だ解決には至っていないようだ。
魔人という存在に関しては、マリスの日記でも何度か出てきてはいるが、実際どういう存在なのかは分かっていない。
修道女曰く魔王の重鎮らしいので、恐らく相当な実力者であることは間違いないだろうが。
「やっぱり、私がやるしかないみたいね……」
「えっ?何ですか?」
「いえ、何でもないですよ」
ポツリと呟いた一言は、修道女の耳には届かなかったようだ。
それよりもマリナは、クリスタルの中で眠る魔王を前に再度覚悟を決める。
この封印を解くために、自分はここまで来たのだから。
「よっと」
「えっ、ちょっと!何をしてるんですか!?」
クリスタルの周辺は大きめの柵で囲われ、明らかに封鎖されている様だが、マリナはそれをひとっ飛びで越えて中へ入る。
修道女もまさか、マリナがそんな行動に出るとは思ってもおらず、注意の声を上げるがすぐには対応出来ずにいた。
その隙にマリナは修道女の声を無視し、そっとクリスタルに手わ触れる。
「魔王、私達にはあなたの力が必要なのよ。私がその眠りを覚ましてあげるから、あなたは私達に力を貸してよね!」
マリナは未だ眠る魔王を相手に一方的にそう囁くと、魔力解放を発動させる。
その瞬間、七色に輝く巨大なクリスタルは白い閃光を放ち出し、耳が痛くなるほどの金属音が鳴り響く。
この金属音はクリスタルが崩壊する残響なのか、それとも魔王の悲鳴なのか、その正体は分からない。
ただ、それでも無慈悲に放たれるマリナの能力によって、魔王を封じるクリスタルは次第にひび割れ砕けていった。
「うぐっ、も、もう少し……はあぁぁ!」
マリナは最後の一押しとばかりに、更に魔力解放の力を強める。
その瞬間、遂に魔王を封印していたクリスタルが完全に砕け散った。
四百年間、誰にも砕くことの出来なかった勇者の封印が。
「う、んん……」
「ここは、どこだ……。俺は……」
そしてクリスタルの崩壊と共に、長年眠り続けていた魔王が遂に目を覚ます。
これこそまさに、魔王灯復活の瞬間であった。