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八章 36.待ち侘びた海

 メルトから強烈な一撃を受けた雷の魔人は、とうとう魔人化し全力をもって三人を潰しにかかろうと立ち上がった。

 魔人化した雷の魔人の姿は、雷で出来た丈の長いローブの様なものを羽織った細身の等身で、身長は五メートル程もある。手には降り注ぐ落雷をそのまま留めた様なジグザグの槍を握っており、そして何よりも全身からは眩い雷光が迸っていた。


「魔人化、敵もいよいよ本気という訳ですわね。二人とも、気張っていきますわよ!」

「ああ、任せておけ」

「了解だ」


 魔人化した雷の魔人を前にして、シーラはここが正念場であると仲間達を鼓舞する。そしてそれに応えるようにメルトとガゼルも力強く言葉を返すのだった。


「こうなったらもうお前らに勝ち目はねェ。とっとと死にやがれ雑魚共が!」

「っ!二人ともわたくしから離れなさい!」


 槍を持っている手とは反対の手のひらを向けてきた雷の魔人は、そこから無差別に雷を放出し攻撃を仕掛けてくる。

 そのことをいち早く察知したシーラは、即座に両手から海水を噴射させガゼル達を突き放し、その場から逃がすのであった。


「ぐっ、がああああぁぁっ!」


 だが二人を逃がした影響で自分だけ逃げ遅れてしまったシーラは、放電によってこれまでとは比べ物にならない程強烈な一撃を浴びせられたのである。


「シーラ先生!」

「こいつ、これ以上好きにはさせるか!」


 雷の直撃を受け叫び声を上げるシーラをガゼルは咄嗟に呼び掛け、そしてメルトはそれを食い止めようと攻めに転じた。

 先程までの戦闘と同じく、魔人と同列の速度でもって互いの間合いを瞬く間に詰めると、魔石で強化された左腕を勢いよく振り下ろし牽制する。


「馬鹿が、テメェの攻撃なんざもう一発たりとも受けるかよ」

「何っ?何故当たらな――ごはぁっ!」


 メルトの振るった左腕は、確かに雷の魔人のいた場所を捉えていた。一切避ける素振りも見せることのなかった魔人には、間違いなく命中する一撃である。

 しかし、その攻撃は何故か雷の魔人の体をすり抜け通過し、触れることすらなかったのだ。

 そのことに違和感を覚えるメルトだったが、残念ながらゆっくりと考える時間などなく、魔人の反撃である槍の横薙ぎよって、山脈の崖際まで飛ばされるのであった。


「く、そっ、どうなってるんだ……?」

「あひゃひゃひゃひゃっ!理解出来ないってツラしてるなァ。そんな無能なお前に俺様が直々に答えを教えてやろう。簡単な話だ、俺様は超高速に動いて、あたかもその場に留まっているかの様に回避して見せたんだよ!」

「なっ、ま、まさか、速過ぎて回避していることすら気付かなかったとでも言うのか……!?」

「その通り!だからいくら種明かししようとも意味ねェんだよ。お前じゃ俺様にはもう追いつけねェんだからな!あひゃひゃひゃひゃっ!」


 メルトの攻撃が当たらなかったのは、至極単純な理由であった。それはつまり、魔人の回避行動が人智を逸脱した速さであったが為に目では一切追いきれず、結果その場に留まっている様に見えていたということである。

 原理は単純であるが、それ故にこれを攻略する為には雷の魔人を上回る速さが必要であった。


「くそっ、ようやく追いつけたと思ったってのに、まだ上があったのか……!」


 ガンマとの血の滲む様な特訓のお陰で、ようやく雷の魔人と対等の速度をメルトは手に入れた。しかしそんなメルトでも、魔人化した奴には追いつくことが出来なかったということだ。

 シーラは感電によるダメージを受け、ガゼルは単身では魔弾を当てることが出来ない。そしてメルトも速度で雷の魔人に劣ってしまった。

 これで再び勝負は振り出しに戻る。雷の魔人が優位性を取り戻した状況だ。


「あひゃひゃひゃひゃっ!俺様が少し本気を出せばすぐこの有り様だ。やっぱり人間ってのは貧弱な存在だなァ!」

「いい気になっているところ悪いですけれど、一応わたくしも居るということを忘れないで下さいまし」

「へっ、お前もこんな山頂じゃ何の役にも立たねェだろうが。もうとっとと負けを認めちまえよ!」


 メルトを吹き飛ばしいい気になった雷の魔人は、人間を馬鹿にしながら更にシーラへも強気な姿勢で攻撃を再開した。


「ようやく到着したみたいですわね。間一髪間に合いましたわ」

「んあァ?何の話をしてやがんだ。援軍なら来てねェぞ!」


 叫びながら攻め込んで来る雷の魔人を前にして、シーラは一切の焦りも見せず余裕な笑みを浮かべていた。

 その理由は、彼女が待ち望んでいたものがようやく到着したからである。


「いいえ、来ていますわよ。わたくし達の足元から、とても頼りになる存在が」

「足元からだと?何を馬鹿なことを――はっ?な、どうなってんだ一体……!?」


 誰も助けになど来ていないだろうと侮る雷の魔人に対し、シーラはこの上なく楽しそうに悪どい笑みを浮かべるのであった。

 そしてその瞬間、雷の魔人の足元から大量の水が噴き出してきたのである。

 世界一高く連なる山脈の頂を突き破り、本来なら存在し得ない海水が、大地を割いてとめどなく溢れてきたのだ。


「ば、馬鹿な……、ここまで海水が登ってくるだなんて有り得る訳がねェ!」

「有り得る有り得ないの話ではありません。事実として今目の前に噴き出しているのですから、素直にそれを認めるべきですわ」

「貴様、何をしやがった……!?」

「簡単なことです、この場に飛ばされた時から私はずっと、地中を通して海水を引き上げていたのですわ」


 困惑する雷の魔人を前にして、シーラは優雅にその理由を解説をする。即ち彼女は、遥か下にある海を操り大地を削って、ここまで無理やり海水を引き上げたということだ。

 そんなことが可能なのも、魔人だからこそ出来る力技である。


「ここの山はやたら高かったので随分と時間が掛かってしまいましたが、これでもう地の利は無くなりましたわね。さて、ここからは対等な勝負といきましょう?」

「ちっ、地中から海水を呼び寄せたくらいでいい気になってんじゃねェ!まだ属性の相性では俺の方が勝ってんだ!」


 海水を呼び出し強気になるシーラを前にして、それでもまだ自分が有利であることに変わりはないと雷の魔人はそう叫ぶと、全身から雷を放出し攻撃を仕掛けてくる。


「確かに雷は水を通して攻撃をすることは可能ですわ。そのせいでここまでは散々後手に回ってしまいましたもの。ですが、有利不利というのももう関係が無いのですのよ。何故ならそれを補って余りある程に、今のわたくしの方が圧倒的に物量で勝っているのですから」


 雷の魔人の言う通り、電気と水という分類で見れば前者の方が有利に見える。

 しかし今相対しているのは、雷の魔人と海の魔人だ。一天候である雷が世界の大半を占める海に勝つなど、そもそもが間違っているということである。

 影響を与えることの出来る範囲に大きな差がある両者にとって、こうなってしまえばもう勝負は決まったも同然であった。


「クソがァ!何なんだよこの量は、全然雷が響かねェ!」

「あなたの敗因は、自分が有利であると勘違いして調子に乗ったことですわ。己の愚かさを悔いて嘆いて、後悔の中で死になさい」

「ふざけんじゃねェ!俺様が負けるなんざあっていいわけがねェんだよ!」

「ふむ、往生際が悪いですわね。ならばとことん追い詰めてあげますわ」


 圧倒的なまでの物量を前にして、雷の魔人の放電は全くの無意味であった。

 ここは山頂だと言うのに、既に辺り一体は押し寄せる海水によって大海と化し、荒れ狂う海の力に雷の魔人は自慢の速度で抵抗するだけで手一杯だ。

 そしてその悪足掻きも時間の問題であることは、この場にいる誰もが直感していた。


「舐めやがって、いくら海水が多かろうと本体がやられりゃそれで終わりだろうが。とっととくたばりやがれ海の魔人がァ!」

「むっ、狙いはわたくしですか」


 勝ち目が無いと悟った雷の魔人は、荒れ狂う海を回避しつつシーラ本体に狙いを定め渾身の槍を投擲する。雷の速度で飛来する槍は、一直線に彼女目掛け飛来するのだった。

 シーラも海水でその動きを阻害しようと試みるが、それでも多少威力を抑えられた程度であり、直撃すれば絶命は間逃れない。

 雷の魔人の放った不意の一撃によって、シーラは途端に窮地へと立たされてしまった。


「先生に攻撃は当てさせない!燃え上がれ、紅業火二式!」


 だがそんな槍を止めたのは、ガゼルの放った魔弾であった。

 ここまで彼の攻撃は一切命中することは無かったが、ここへ来てシーラに命中する直前の雷の槍を鮮やかに撃ち抜いて見せたのである。


「なっ、馬鹿な!あんな無能な人間如きに、俺の槍が止められただと!?」

「ガゼル、やりますわね。助かりましたわ!」

「狙いが分かってたから先読みして当てられただけだ。それに先生の海水のお陰で速度も抑えれていたしな。俺一人の力じゃない」

「それでも十分大金星ですわ。後は任せて下さいまし」


 渾身の一撃を防がれた雷の魔人は瞠目し、そしてその隙にシーラの操る海がそのまま奴を飲み込んだ。一度海中に引き込まれれば、もう一切の逃げ場もない深淵の牢獄の出来上がりである。

 自在に水圧も操れるシーラはがっちりと雷の魔人を押さえ付けると、そのまま元来た山脈の割れ目へと引き込んで行く。

 最初に宣言した通り、シーラは雷の魔人を海へと沈めるつもりであったのだ。


「こ、こんなことが、あっていいわけが……」

「残念でしたわね。そもそも雷程度が海に勝とうとしたのが間違いだったのですわ。生まれ変わって出直して来なさいな」

「ク、クソッタレがァァ……」


 山脈の裂け目へ引き摺り込まれる直前、雷の魔人の断末魔が山頂に響き渡った。海中に居るというのにそれでも尚轟くその叫び声が木霊する中、とうとう彼は山に出来た割れ目の奥深くへと、そしてそのまま地上の海へと姿を消していく。

 こうして山脈地帯での決戦は、終わってみれば呆気なくシーラ達の勝利で幕を閉じたのであった。


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