第10話:竜神の剣
「竜人族の秘儀……っていうと、あの炎の剣か? 確かにあれはすごい魔法だったな」
思い浮かべるのはリリィとの決勝、そして魔王との試験で使ったあの魔法。
熱気と魔力の奔流だけで、試合場を取り囲む魔法障壁を破壊したのは凄まじかった。
あの剣で斬りつけられれば、大型の魔獣であろうとひとたまりもないだろう。
「……だが、あの者にも父上にも及ばなかった」
二人と対峙した時のあらましを思い出しているのか、アンナが顔を僅かに顰める。
確かにあの魔法は誇張抜きにして凄まじいものだったが、二度連続で通用しなかったのも事実だ。
「だから、さらなる改良が必要だと考えたってわけか」
「そうだ。だが、改良というのは少し語弊がある。そもそも、あれはまだ未完成なんだ」
「未完成?」
「説明は後で詳しくさせてもらうが、実は私があれを使えるようになったのは偶然の産物でしかない。そして、伝承通りなら完全なものは今のあれとは比較にすらならない威力になる。あのような失態を二度も犯さなかったはずだ」
広げられた古文書を見ながらアンナが歯がゆそうに言う。
あの時、リリィとの戦いで超常的な魔素認識能力を持つ彼女によってアンナの魔法は奪われた。
本当に竜神族に伝わる秘儀であるならばそんなことは起こらなかったはずだ。
自らでっち上げただけの未完成魔法というのはその通りなんだろう。
「分かった。どれだけ出来るかは分からないが、手伝ってくれと言われたらそうするのが俺の仕事だからな」
「恩に着る。なら、善は急げだ。今すぐ修練所に行こう」
すぐさま立ち上がったアンナの後を追う。
修練所は寺院から専用の連絡通路を渡った場所にあった。
何の飾り気もない殺風景な立方体の空間。
強力な防護魔法を内蔵した石材だけが八方に敷き詰められている。
父の後を継ぐと言い出した幼少期のアンナのために母親が建設させたものらしい。
それは巫女は継がない決意だというのに、とんだ子煩悩だ。
「早速、少し軽めにあれを使ってみる。見ててくれ」
空間の中央へと向かうアンナ。
緊張しているのか、一歩一歩が重たく見える。
「リラックスするのも魔法の行使には大事だぞ」
「分かってるさ」
先の二度と同じようにアンナが見えない剣を構える。
直後、軽くと言う言葉通りに僅かな魔素の奔流が周囲に生まれた。
周囲に満ちる魔素がアンナの身体へと流れ込み、体内で魔力と化していく。
そして、炎の剣となってアンナの手の内に顕現した。
「何度見ても、とても未完成の魔法とは思えないな」
炎に関する魔法は多々あれど、物理的干渉を起こせるほどの高濃度の魔力を剣の形に保ち続けているのは感嘆しかない。
「だが、事実だ。この秘儀には更に上の段階が存在している」
「でも、完成を目指すと言っても何をすればいいんだ? 俺には古文書に何が書いてあるのかもさっぱりだったぞ」
アンナに渡された紙片を改めて確認する。
太古の壁画に描かれた象形文字のような図形がびっしりと詰まっている。
しかし、それが何を表しているのかはさっぱり分からない。
魔法の訓練という部分だけを見れば状況はフェムの時に似ているが、あれは元々使えた魔法を制御出来るようにする訓練だった。
完成形というゴールが見えない訓練の難易度はそれより数段上がる。
「実は、そこに何が書いてあるのかは私も把握していない」
「何が書いてるのか分からないのに、どうしてそこまでは形に出来たんだ?」
「そもそも、それは厳密には文字ではないんだ。分かりやすくいうと、それ自体が一つのイメージ。通常の魔法で言うところのルーンに相当するものらしい。それに気づいたのはさっき言った通り、偶然の出来事だがな」
「なるほど……つまり、この奇妙な図形自体を想見として魔素に乗せているわけか……」
その発想に思わず感嘆の声が漏れる。
この子たちには授業で何度も説明したが、魔法とは大気中に満ちる魔素と呼ばれる粒子に己が想見を結びつけて種々の現象として発現させる技術を指す。
太古の時代では、その想見と魔素を結びつける工程を行える者は限られており、魔法はごく一部の者だけが扱える奇跡とされていた。
だが、後にルーンと呼ばれる想見を大系化した言語系が開発されたことで状況は一変した。
魔法は今や、魔素の認識能力を持つ者なら規模の大小はあれど訓練すれば誰もが行使出来る力となっている。
「そういうことだ。原理が分かったなら君も一度試してみるか?」
「俺が? まあ……物は試しと言うし、一度やってみるか。もしかしたら何か掴めるかもしれないしな」
そう言って、アンナと立ち位置を入れ替える。
訓練所の中心に立ち、あの奇妙な図形群をイメージする。
そのまま体内で魔素を結びつけていこうとするが――
「……全然ダメだな。うんともすんとも言わない」
どれだけやっても低位階魔法程度の魔力も生まれなかった。
流石に一度の施行でアンナと同等に出来るとは思っていなかったが、これはただの失敗とも違う気がする。
「いや、すまない。実はそうなると分かっていて試してもらったんだ」
そんな俺の推察を肯定するかのようにアンナが申し訳なさそうに言った。
「失敗するのが分かってた?」
「実はこいつはかなり特殊なルーンのようでな。これも推測ではあるが、発現には私たち竜人族が持つ遺伝子――永きに渡って竜神を崇めてきた血の記憶を必要をするようだ。少し疑ってはいたが、君ほどの手練でさえそうなるということは事実と見て間違いなさそうだな」
「なるほど、まさに竜人族専用の魔法ってわけか……。だとすれば尚更、何をどう手伝えばいいのか難しくなるな……。いや、待てよ……この寺院に資料庫はあったりするのか?」
「資料庫? もちろんあるが、それがどうした?」
「古代より伝わる秘儀ってことは、過去の資料を紐解けば何かヒントが見つかるかもしれない。ここで根性論的な助言を送るよりかはそっちの方が有益だろ?」
状況としてはフェムの事例に近い。
あの時、解決の糸口となったのは偶然見つけた負の魔素に関する資料。
もしかすると今回も資料を漁れば、第二のアストラ・ハシュテットが見つかるかもしれない。
「確かに、それはそうだな。なら、その方向から探るのは君に一任してもいいか? 実を言うと、じっと座って文字ばかり読むのはあまり好きじゃないんだ」
「座学の成績も良いのに意外だな」
「嫌なことを我慢するのも長女の役目だからな。資料庫は君の部屋を出て左に進んだ突き当りにある。管理者には私から伝えておくから好きに使ってくれ」
「分かった。じゃあ早速見に行ってくるか」
「一応言っておくが、とんでもない蔵書量だから覚悟しておけよ」
再びアンナと立ち位置を入れ替える。
そのまま魔法の試行錯誤に戻った彼女に背を向けて資料庫へと向かった。





