第49話:軍師の才能
「フィーア、貴方やるじゃない!」
まだ呆然としているフィーアの代わりに喜ぶようなイスナの声が部屋に響く。
それでようやく部屋中に満ちていた張り詰めた空気が解かれた。
「でも、負けちゃいました……」
「何を言ってるのよ。まだほんの数回やっただけでここまで追い込めるなんてすごいわよ。まさか貴方にこんな才能があったなんてね」
「才能……。でも、結局は遊びです……」
そう言って不満げに顔を伏せるフィーア。
言葉にこそしていないが、才能があるなら他の姉妹たちのようなものが良かったと思っているのは明らかだ。
「わ、分からないわよ。将来的にはこれで食べていけるようになったりするかもしれないじゃない」
「魔族の私がですか……?」
「うっ、でも……魔族界でも大流行するかもしれないし……」
気落ちするフィーアを慰めるような言葉をイスナがかけ続ける。
二人はこれが所詮遊びで一体何の役に立つのか分からないと思っているようだ。
だが、それも無理はない。
過去に名を馳せた戦術戦略家たちの多くがこの盤上遊戯においても優れた実力を持っていた事などを知らないのだから。
無論、その逆が必ずしも成り立つわけではない。
まだフィーアがそうした名軍師と同じ能力を有していると断言は出来ないが、試してみる価値は十分にある。
会話している二人を横目に立ち上がる。
そのまま棚に並んだ資料の中から適当な物をいくつか取り出して机の上に並べる。
「フィーア、ちょっとこれを見てもらえるか?」
「何なの、これ?」
フィーアではなく、イスナがその資料を見て言った。
「古い戦闘詳報だ」
「そんなものをいきなり出してきたどうしたの?」
「いいから。フィーア、とにかく見てくれ」
「えっと……はい」
フィーアにその中の一つを手渡す。
それは昔あった大きな戦いの状況図。
いくつかの種類の図形で部隊の動きや地形などが表れているものだ。
「それを見てどう思う?」
「え、えぇ……どう思うと言われましても……私にはこれが何なのかもさっぱり……」
フィーアは突然意味のわからない資料を渡された事で困惑している。
「その地図全体をこの盤面だと思って見てみろ」
さっきまで使っていた盤面を示しながら言う。
我ながらとんでもないことを言っているとは思うが、もし仮定が正しいなら……。
「盤面……ですか?」
「そうだ。少しでも何か感じるものはないか」
「何か……」
フィーアはあの一局の時に見せた、どこか高い場所から全てを見下ろしているような表情でその地図を凝視する。
そして――
「ここ……ですか?」
地図のある地点を指差した。
悩ましげな口調とは裏腹に、指先からは確かな自信のようなものが感じ取れる。
「どこどこ……って何もないじゃない」
横から覗き込んだイスナの言う通り、その地図上には何も描かれていない。
しかし、俺の手元にあるそれから更に時間が経過した状況図。
そこにはフィーアが示している地点に居た伏兵の存在が明確に描かれている。
「なるほどな……」
「え? 何? 何なの?」
一人だけ状況について来られていないイスナが俺とフィーアの顔を交互に見比べながら戸惑っている。
「あのー、ダメでしたか……?」
「いや、大丈夫だ。ただ……」
フィーアに超常的な戦略的視点が備わっているのはほぼ確定的だ。
しかし、それは今の段階では机上の理論。
実戦においてもそれが同じ様に作用するかは全くの未知数だ。
つまり新しい道は見つかったが、その先は繋がっているかも分からない暗闇に近い。
それに軍師と言えば聞こえは良いが、その立場は後方から言葉一つで何千何万もの命を左右する。
時には多くを救うために仲間の命を切り捨てる判断を下す必要さえある。
そんな険しい道にこの優しい子を進ませるべきなのか……。
「あの……先生?」
どうするべきかを悩んでいるとフィーアの方から声をかけてきた。
「よく分からないんですけど……もしかして、私に何か出来そうなんですか?」
俺の様子から何を考えているのか察したのか、そう聞いてくる。
「そうだな……フィーア、お前にはいわゆる軍師や参謀に纏わる才能があるかもしれない。けど、それはまだあくまでも可能性の話だ」
包み隠さずに告げる。
サンの体術やフェムの魔法のように、それがあると断定出来るような類の才能ではない。
「軍師……可能性……」
それを聞いたフィーアは、その言葉を噛みしめるように復唱する。
「まあ、まだ他に何か出来ることはあるかもしれない。焦る必要は――」
「やります! やらせてください!」
俺の言葉を遮って、フィーアは大きな声でそう言った。
その瞳にはこれまでにない力強い意志が浮かんでいる。
姉妹たちに置いていかれそうな焦燥感からではない。
まるで持ち前の大局観によって自分の進むべき道すらも見つけたような力強さが。
「そうか……分かった……。そこまでいうならもう何も言わない。俺も出来る限りはサポートしてやる」
そう言ってやるとフィーアは、パァっと花が咲いたような笑顔を浮かべる。
「はい! それで……まずは何をすればいいのでしょうか?」
フィーアからそう聞いてくる。
進むべき道を見つけてやる気満々と言った様子だ。
「まずはそうだな……」
少し考えながら、再び棚の前に移動する。
「えーっと、これとこれと、後……これとこれと。それにこれとこれとこれもだな。それからこれに、あー……っと、これも必要だな……」
棚から大量の紙束を取り出して、机の上に積んでいく。
「え? せ、先生?」
「これと……これ……。ここからここまでも全部だし、あれも必要だな……」
困惑しているフィーアを横目に、更に追加の資料を積んでいく。
「よし、まあこんなもんだな」
とりあえず思いついた限りのものを全て用意し終える。
机に積まれた書類の山で向こう側にいるフィーアの姿は見えなくなってしまっている。
「何なの、この山積みの資料と本は……」
見えなくなってしまっているフィーアに変わってこれまで様子を見守ってくれていたイスナが口を開いた。
「古今東西の兵法書と戦闘詳報だ」
「ものすごい量ね……」
イスナはそれを見るのも嫌そうな顔を浮かべている。
「あのー、それでこれをどうすれば……?」
「もちろん全部頭に入れてもらう」
さっきから困惑しっぱなしのフィーアにはっきりと告げる。
戦術や戦略を司る軍師には理と理外の勘の両方が必要になる。
今のフィーアに足りていないのは圧倒的に前者。
それを得るにはひたすら書を読んで詰め込んでいくのが最も確実だ。
「ぜ、全部ですか?」
「ちなみにこれだけじゃなくて後でロゼに頼んで用意してもらう分もあるぞ」
軍事の専門家ではない俺が自前で用意出来るのはほんの一部でしかない。
人類の歴史は戦争の歴史だ。
軍事にまつわる書物は文字通り山程ある。
「が、頑張ります……」
紙で出来た山の向こう側からフィーアの引きつった声が聞こえた。





