第27話:一番怖い夢魔
見つけた。
廊下の先に、朝から探し回っていた人物の後ろ姿を発見する。
「ふんふふ~ん♪ ふ~ん♪」
その人物は俺の気苦労など知らないと言わんばかりに、気分よく鼻歌を唄いながら廊下を歩いている。
「エシュルさん!」
背後から少し語気を強めにして声をかける。
「ん~、あら……せんせ~。おはようございまーす」
向こうは昨日と変わりない朗らかな笑顔と共に挨拶を返してきた。
「おはようございます……じゃないですよ!」
「あら? そうなの?」
「昨日のあれは一体どういう事ですか!?」
僅かな怒気を込めて尋ねる。
流石に生徒の母親、雇い主の妻であっても流石に言うべき事を言わなければならない時はある。
「昨日のあれ~?」
「とぼけても無駄ですよ。イスナを男風呂に差し向けたのは貴方ですよね?」
どうやったのかは定かでないが、昨晩イスナが俺の入浴中にやってきたのは間違いなくこの人が誘導したのだと確信している。
「ああ! うん、そうそう」
俺がそれ以上問い詰めるまでもなく、あっさりと白状される。
その顔には悪いことをしたと思っているような様子は全く無い。
「どうしてあんな事をしたんですか……。本当に大変だったんですよ……」
本当に大変だった。
全裸で倒れているイスナをその場に放っておくわけには当然いかない。
なのでなんとか裸を見ないように服を着させてから、完全に弛緩しきったその身体を抱えて彼女の部屋まで運んだ。
「えー……だって先生がイスナちゃんと仲良くなりたいって言うからー」
「どこの世界に一緒に入浴して仲良くなる知り合って間もない男女がいるんですか……」
「え? 私とダーリン」
実体験かよ……。
「とにかく! これ以上嫌われたら本当にどうしようもないんで、変な事はやめてください!」
再び語気を強めてこの奔放すぎる母親に釘を刺す。
もう既に取り返しのつかない気がしないでもないが、これ以上かき乱されるのは本当に勘弁して欲しい。
「え~、変な事なんてしたかしら~」
「してます!」
見ているだけで吸い込まれそうな瞳を凝視しながら断言する。
まだ若い自分の娘を、若い男が入浴中の風呂に差し向けるのが変なこと以外の何だと言うのだろうか。
そのまま数秒程、半分にらみ合うような形で視線を向けあう。
するとエシュルさんのゆっくりと口を開いた。
「ん~……ねえ、先生?」
「……なんですか?」
俺の申し入れに応えるでもなく、今度は向こうの方から何かを尋ねてくる。
「私達が夢魔と呼ばれる種族なのはご存知ですよね?」
「ええ……それは、もちろん……」
「夢魔、ってどんな性格の種族だと思ってますか?」
「どんな性格の種族か、ですか?」
答えればまだ何か妙な事に巻き込まれるかもしれない。
そんな懸念を抱きながらも返事をしてしまう謎の魅力がその声にはある。
「うん、遠慮せずに答えてくれていいのよ~」
人間の世界で読んだ夢魔に関する文献の数々を思い出す。
夢魔、その性別によってサキュバスやインキュバスなどとも呼ばれる魔族。
真夜中にどこからともなく異性の元へと現れ、言葉や身体、人を幻惑する魔法で心を誑かして生命力を奪うとされている人間の世界においても色んな意味で有名な魔族の一つだ。
「性的に奔放で……加虐趣味で……好みの異性を見かければ誰彼構わず狙いを定めるような種族……ですかね?」
目の前にいるその典型のような女性に対して、少し緊張しながらも遠慮なく言う。
「うふふ、まあそうね。私はその典型かも」
気を悪くさせてしまうかもと思って発したその言葉に対して、意外にも彼女は同調しながら気分が良さそうに微笑んでいる。
夢魔にとってはもしかしたら褒め言葉だったのかもしれない。
「それじゃあ続けて先生に問題ね。いっちばんこわ~い夢魔ってどんな夢魔だと思う?」
「一番怖い夢魔、ですか……?」
「うん、敵に回すと一番やっかいな夢魔と言ってもいいかもしれないわね」
さっきの質問と合わせて考えれば、一番怖い夢魔というのは異性として魅力的な夢魔に他ならない。
となるとその答えは――
「エシュルさんみたいな夢魔、ですかね……?」
まず最初に思い浮かんだのが目の前にいるこの情欲的すぎる女性だった。
少女性と大人の色香。
矛盾しそうなその二つの魅力を奇跡的な配分で共存させているこの人が、真夜中に寝室に現れて正気を保てる男はほとんど存在していないと言い切れる。
何より、説教しに来たはずの俺が既にそのペースに乗せられはじめているのがもう怖い。
しかし、俺の答えに対してエシュルさんは……
「ぶっぶー! はずれー!」
顔の前で人差し指を交差させてバツ印を作った。
「私をそう思ってくれるのは嬉しいけど~。一番っていうとちょっと違うかな~」
「なら……正しい答えは?」
「んっふっふ~、知りたい~?」
「それは……、まあ……」
向こうのペースに乗せられるのは癪だが、こうも勿体ぶられると知りたくなる。
それにもしかしたらイスナに指導をする上でヒントになりうるかもしれない。
「夢魔ってね。確かに先生が言う通り、そのほとんどが私みたいに自由奔放で異性となればあっちにいったりこっちにいったりしちゃうのよねー」
エシュルさんが身振り手振りを交えながら、俺に対して夢魔のなんたるかを説明し始める。
「確かにそんな夢魔も人間たちからしたら怖いんでしょうけど。逆に言うとそれってすぐに情が湧いちゃうってことなのよね」
「情、ですか……?」
「うん、その情ってのがすっごく厄介でね。私たち夢魔の使う魔法に関しては、ほ~んの僅かな情が大きな付け入る隙になっちゃうの」
「なるほど……」
夢魔の使う魔法とはその名が示す通り、他者の夢、すなわち原記憶に侵入してそれを壊すと言う魔法だ。
人間にはその手の魔法を行使する術者が少ないので詳しくは知らないが、精神に作用する魔法というのはその術者の精神状況に左右されやすいと言う話は聞き覚えがある。
「つまり正解は~、先生が言ったのとは真逆! すーっごく一途で~、特定の一人に支配される事を至極の悦びとするような超がつく程のドMちゃんでした!」
教育の場に相応しくない扇情的な見た目の母親が、教育の場に相応しくない言葉を自信満々に口にした。
「ど、どえむ……?」
「うん、ドMちゃん」
再び笑顔でその教育上あまりよろしくない言葉を繰り返す。
「どうしてそうなるんですか……?」
「特定の一人に対して病的なまでに一途。それはつまり他の人には蛆に向けられる程の情も抱かずに、ただ冷徹にその記憶を壊して食べていくだけの精神の持ち主になれるってことだから。もし、そんな夢魔がいるとしたら……怖いと思わない?」
ニコニコと笑いながら、その笑みとは真逆の物騒な事を言う女性を前にして考える。
確かに精神に作用する魔法の強度が僅かな情によって左右されるようなものだとしたら、それを一切持たない夢魔は非常に厄介だと言えるかもしれない。
「そんなのは、机上の空論なんじゃないですか……?」
「さあ、どうかしらね~。まあ少なくとも私はダメね~。ダーリンの事は大好きだけど~、今から先生を食べろって言われても情が邪魔をしちゃうもの」
そう言いながら、流し目で俺の方を見つめてくる。
昨晩、浴場にやってきたのがこの母親ではなくイスナで良かった、と少し思ってしまった。
しかし、この母親がこれまでの言動と裏腹に色々と考えているのは分かったが問題はその先だ。
「はあ……それは分かりましたけど……。それと昨日の事に……いや俺に何の関係が……」
「あら、ここまで言っても分からなかったかしら~? 私は先生に、イスナちゃんをそんな夢魔に育てて欲しいって事よ」
「俺に、イスナを?」
「うん!」
エシュルさんは昨日今日見た中で一番の笑顔と共に短く答えた。
「いや、それは流石に教育じょ――」
「あっ! もうこんなじかーん!
俺の言葉を遮るようにわざとらしくそう捲し立てられる。
「じゃあ先生、私そろそろダーリンのところに帰らなきゃ~。また試験の時に会いましょ~、ばいば~い」
そのまま彼女は手を振りながら廊下の奥へと小走りで駆け去って行った。
「教育上よろしくないかと……」
その言葉が虚空に消え去る中、突然やってきた嵐のような母親は大きな困惑だけを残していった。





