04:世界とシステムの親和性は?
リアンが着替えて一階へ戻ると、タルマが大量の皿をカウンターに積み重ねているところだった。そういえば彼女は宿を経営していると言っていた。では先程作っていた料理は泊り客に出すための夕食か。
リアンは、もし人手が足りていないのであれば、自分を宿の従業員として雇ってもらえるかもしれない。そう淡い期待をもってタルマにそれとなく相談をした。ここで寝泊まりできる許可をもらったのだから、後は生活費の工面だけだ。
だがタルマはそれについては渋い顔をした。
「ウチのお客さんはわりと荒っぽいのが多くてねぇ。若い女性の手伝いは断っているんだよ」
「そうなんですか…それは残念です」
ここで働かせてもらえるなら一石二鳥だったのだが、無理なものは仕方ない。
元よりリアンの容姿は人の目を引く。この宿に限らず接客業は難しいかもしれなかった。
「もしどうしようもないなら冒険者ギルドで簡単なクエストを受けるか、…あとはウチの村の教会に行って手伝いをするのもいいかもしれないね。あそこはお金はくれないけど、リアンの事情を知れば協力はしてくれるはずさ」
なるほど。ここで働くことは無理でも、働き口自体はあるということか。
それならやりようはあるかもしれない。リアンは胸の内で考えた。
「わかりました。それじゃ早速今から行ってみます」
「そんな急ぐこともないだろう。今起きたばかりだし、まだ血の影響が残ってんじゃないかい?」
「ん〜…でも、そんなゆっくりもしてられませんし…体調はもう大丈夫ですし」
「ふぅん…、なら、冒険者ギルドは少し遠いし明日にしな。教会はここを出て右。道なりに行けばすぐに見えてるから、まずは神父さんに相談しておいで。…帰ってくるまでには屋根裏を片付けておくからね。はい、これ外套」
「何から何までありがとうございます。…それじゃ、行ってみますね」
「森には決して入るんじゃないよ!」
「はあい」
タルマにお礼を言うとリアンは外套のフードを目深に被った。せっかくやってきた異世界、…色々と満喫したい思いもあったが、先立つものがなければ困るのはあちらもこちらも同じだろう。生活が安定するまでリアンにのんびりしてる暇はない。
だが宿を出て何の気なしに振り返ったリアンは思わず顔をしかめた。
そこには恐らく宿屋の看板があると思うのだが、その文字列を判読することが出来なかったからだ。どうやら異世界転移のサービスは音声による自動翻訳だけらしい。
せっかくなら視覚情報の自動翻訳機能も欲しかったのにと、英語の成績を思い出してリアンは内心ごちる。
(文字は流石に覚えなきゃやっていけないよね。…仕方ない、それも教会で教えてもらおう)
やはり新天地で快適に暮らすには、一筋縄ではいかないようだ。
リアンはふうとため息をつくと、宿屋を足早に後にした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
日は傾いてきているが、夕暮れ時にはまだ早い。
リアンはでこぼことした道を歩きながら、村の風景を観察していた。
遠くの畑で作業をしている人が見える。その向こう側には干し草を運んでいる小さな荷馬車。そして猫を追いかける子供達。この世界がどのような歴史によって成り立っているのかはわからないが、少なくともこの村は平和で穏やかそうに見えた。猪の魔物が出たのもごく稀なケースだったのかもしれない。
(タルマさん冒険者ギルドって言ってたな。…さっき猪を退治してた人達も冒険者なのかな)
自分に彼等と同じことが出来るとは到底思えないが、タルマが薦めたということは子供でも請け負える仕事があるのだろう。
もしくは日雇いのアルバイトか派遣みたいなもので、条件やバリエーションも色々とあるのかもしれない。なんにせよ今のリアンに仕事を選んでいる余裕はないのだから、少しばかり危険と言われても片っ端からやってみなければ。
住むところは確保できたものの、見た目は隠さなければならないし一文無し。
なかなかハードな異世界生活のスタートである。
そんなことを考えて道を歩いていると、
(――あれ?)
ふと、視界の隅に何かよぎった気がして目を瞬いた。
だがよぎったのではない。恐らくリアンが気付かなかっただけで最初からそこにあったのだ。…パソコンのデスクトップアイコンのようなそれが。
(なんだろこれ。■が浮いてる?)
アイコンに意識を集中させると、音もなく何かが視界いっぱいに広がる。
そして次の瞬間、そこには自分を中心に見たことのない文字と記号が所狭しと展開されていた。まるで地球儀か天球儀の内部にいるかのようだ。周囲に浮かぶ文字列達は背景から浮き上がるかのように淡く光り、あるいは明滅を繰り返している。リアンは思わず歩くことも忘れてそれを見つめた。
(一体どういう仕組みになってるの、これ…?)
どう考えてもここはファンタジーの世界だというのに、今目の前に展開されているそれはSFと言う方が似つかわしいインターフェイスだ。一体どういうシステムで動き、何故こんなものが存在するのだろう。
恐る恐る空中に手を滑らせると、ウィンドウが反応する。リアンは開ける限り全てのウィンドウを目の前に展開してみた。恐らくこれは自分に関する情報なのだろう。――だが残念なことに、どのページも読むことが出来ない。
――――――――――――――――――――
XXXX / XX
XXXX
XX XX / XX XX XX / XX XXX XXXX / XXXX
XXXXX XXXXXX XXXX
――――――――――――――――――――
何かリストのようなものも見つけたが、内容はさっぱりだ。
ただ、今この存在に気づいたのはちょうど良かったとも言える。もしこれがこの世界の文字なら、今から行く教会で教えてもらえるかもしれないのだから。
リアンはひとまずウィンドウを閉じると、再び教会に向けて歩き始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
教会の建物はすぐにわかった。
何故なら、如何にも『それらしい』建物だったからだ。
もしかすると、どこの世界も宗教建築は似ているのかもしれない。天高く尖った屋根のてっぺんには羽と輪のようなシンボル。豪奢とはとても言えないが、洗練された白亜の建物にはどこか独特な神秘性を感じる。
夕焼け色に照らされた扉の取っ手を、リアンはゆっくりと押した。ガチャリ、と音を立てて思ったよりも重い扉が開く。
「おや…?」
音に気づいたのか中から男の声がした。
リアンが教会内に一歩足を踏み入れると、祭壇であろう飾り台の前に佇んでいた影がこちらを向く。この建物同様白い祭服を身に着けているところから、彼が神父なのだろう。
「初めての方、ですね? どちら様かな?」
ゆっくりと歩み寄ると、思った以上に相手が年配なことに気づく。恐らく60代辺りだろうか。
若く見えたのは声の柔らかさと、すっと伸びた背筋のせいだろう。温和そうな表情だが、眉間の周りには月日を感じさせる深いしわが刻まれている。
リアンはまず彼に、今の自分の状況を説明することにした。
「あの…、私、さっきゴールボアに襲われた者なんですけど」
「ああ、貴女があの…! 私も先程冒険者の方たちから伺いました。――そうでしたか、この度は災難でしたね。…さぞ怖かったでしょう」
「はい。…それは、そうなんですけど…、ちょっと困ったことが起きちゃって…」
さっきの討伐の一件を知っているなら話が早い。
リアンはタルマにしたものと同様、記憶喪失という設定のまま話を進めることにした。
「…実は私、記憶を失っているようなんです」
「それは本当ですか…? …だとしたら、まだ年若いというのに気の毒に…」
リアンはここに来るまでの経緯を神父に話した。
即ち、記憶の混濁があり名前以外の全てを思い出せないこと。所持品がなかったことから自分を知る手がかりもないこと。そして思い出すまでの間、この村で生活したいこと。
「とは言え、このまま思い出せない可能性も考慮して、当面の生活費は稼げるようになりたいんです」
「なるほど…、それにしても大変なことになりましたね」
「はい…本当に…」
途方に暮れる気持ちは本物で、リアンががっくりと項垂れる。
そこまで話して、ふと神父は思い出したように「ああ」と言った。
「ちょっと待っていてください。この話は長くなりそうですから、お茶でも入れましょう。奥にテーブルがあるので、座っていてください」
「あ、はい。ご丁寧にどうも…」
促されるまま、リアンは祭壇のある広間の脇の小部屋へと移動する。中には小さなローテーブルとソファ。どうやらここは客間らしい。リアンは指示されたとおりソファへ腰掛けると外套のフードを外した。
ここなら誰かに見られることもないし、穏やかそうな神父が何かすることもあるまい。
だがリアンの予想は大きく外れた。
――ガチャン!!
二人分のお茶を持って部屋に入ってきた神父は、リアンの顔を見るなりその器を落とした。部屋に響き渡る乾いた音にリアンは驚くも、神父の顔はそれ以上の衝撃を受けているようだ。みるみるうちに顔が青く白くなる。
「神父様…?」
神父は僅かな間幽霊を見たかのように呆然と立ちすくんでいたが、やがて喘ぐように唇を動かすと喉の奥で小さく呻いた。
「王女…殿下…」
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