16:ファイヤーウォールは無効です?
迷宮4階層。
初めは恐ろしいばかりだったこの場所にも、リアンは次第に慣れつつあった。自分の気配を、迷宮に流れる魔素の中に深く溶け込ませていくイメージ。一度感覚を掴んでしまえば、探知魔法を展開しなくても得られる情報は多かった。
暗視魔法も明るさを最低限まで絞り、魔素をより見やすいように調整する。
それにしても驚いたのは迷宮内部の美しさだ。入り口の扉を見た時も思ったが、細かい装飾が施された柱や天井は所々崩れていてもなお荘厳さを保っていて、まるで古びた城のようだ。探索に余裕が出てきたリアンは、時にその光景を眺めて楽しんだ。
「そろそろ休憩するか」
「私はまだ平気だけど…」
「腹は減らないのか? もうとっくに昼は過ぎてるぞ」
「えっ、ほんと?」
迷宮の中にいると感覚が狂うのだろうか。リアンが驚くと、ラスが淡く光る小さな球体をを目の前にぶら下げた。恐らく時計…なのだろうが、見方がわからない。
「これは…?」
「色で時間を判別する。今は真昼から一刻半経った頃か」
「そんな便利な物もあるんだ?」
「ま、これほど小型の物はそうねぇけどな」
ラスは小部屋の一室に陣取ると、魔石で四隅に簡単な防御魔法と気配遮断を張った。
リアンも中へ入り、ラスの隣に腰を落ち着かせる。日々の森歩きでいくらか体力がついたとはいえ、元はデスクワーカーだ。一度座るとじんわりと脚に重たい疲労を感じた。
リアンは出てくる時タルマから受け取ったサンドイッチを取り出し、その半分をラスに渡した。包み紙を開けて口いっぱいに頬張ると、チーズと肉とタルマ特製ソースの味が広がる。こんな場所でもいつもと同じ食事が味わえるのは本当にありがたい。
「そのフード、いい加減取ったらどうだ?」
「むぐっ?」
無心でサンドイッチを頬張っていたリアンに、ずっと気にしていたようでラスが尋ねた。リアンは口の中の物を咀嚼すると、僅かに答えに窮する。
たしかに彼の言う通りここで被る意味はない。だが、見つかれば捕らえられると知ったあの日から、リアンはまさに隠れるように生きてきたのだ。今となってしまえば、この方が安心感がある。
「フードを被っておかないと、なんか落ち着かなくて…」
「そんなに銀髪が嫌なら、そう見えないよう魔法をかけりゃいい」
リアンはラスの言葉に目を丸くした。
「えっ? …そんなこと出来るの?」
「実際に髪の色を変えることは出来ないが、人の認知を変えることは出来る」
「ニンチ…?」
「銀髪ではない、という認知を人の深層心理に植え付けてやるんだ。睡眠とか状態異常系魔法のひとつだな。魔法式教えてやろうか?」
「ほ、ほんとに!?」
そんな魔法があるならありがたい。
もう人前で姿を隠す必要もなくなるし、村に閉じこもっている必要もなくなるのだ。
ラスはリアンにわかるよう床に複雑な文字列を書くと、それを実際に手にした魔石に刻んで見せた。
「今、俺の髪が黒だと認識出来るか?」
「ううん…なんだろ、見た目は変わらないのにそうは思えない。…不思議…」
「だろ?」
お前も使ってみろ、と魔石を渡されリアンも教えられた通り魔法を刻む。なるほど。魔力消費も少ないし、この方法なら魔石内の魔素が切れるまで姿を変え続けていられる。
高レベルの冒険者には見破られてしまうこともあるとラスは言うが、村にそんな人間はいない。
「すごい! すごいすごい! ――認知を変える、かぁ。…その方法は思いつかなかったなぁ」
リアンはそうして、この日約一カ月ぶりにフードを外した。ふわりと銀色の髪がこぼれ落ち、紫色の双眸と幼い顔が露わになる。…視界が広い。
「はぁ〜すっきりした!」
わかってはいたが、誰にも姿を隠す必要がないのは実にすがすがしく気分の良いものだった。
己の髪を指で梳き、両腕を高く上げて伸びをすると、ラスがしたり顔で笑う。
「薄気味悪ぃしみったれた格好とも、今日でおさらばだな」
「うん、ラスのおかげ!」
てっきり何か言い返してくると思ったラスはリアンの反応に目を見張り、思わず顔を背けた。その耳が心なしか赤い。「泣いたり笑ったりほんと忙しいヤツだな…」とリアンに聞こえないよう口の中で毒づくと、憑物が取れたようにすっきりとした顔をちらと見る。
(それにしても、この顔…どっかで見たような気もするんだが…)
銀髪に紫色の瞳。
確かに自分は見たことがあるはずだと思いながらも、元々興味のない人間の顔は覚えない性分だ。ラスは必要ならそのうち思い出すだろうと、銀髪を手で弄んでいる少女から目を逸らした。
「ところで、ラス。さっき魔石をどこから出したの?」
「ん?」
「なんかここ転送魔法が使えなくて、さっきから困ってるんだけど」
気づけば鞄の中は魔物達のドロップ品で一杯になっている。
ラスはリアンの言いたいことがわかったようで、ああ…と言うと慣れた動作で目の前に手を伸ばした。その腕の先が、まるで転送魔法を使った時のように見えなくなる。
「これは転送してるんじゃなくて、自分で空間を作って収納してるんだ。迷宮は外界とは異なる次元に存在してるからな。基本転送は使えねぇんだよ」
「ふぅん…。…っていうか、ラスの使う魔法って、魔法陣出ないよね? 魔法は使ってるのに、なんで?」
「当たり前だろ。魔法陣出すなんて、相手に『今からこの魔法使います』って言ってるようなもんじゃねぇか。慣れもあるが俺はそんな組み方はしねぇ」
「えっ、…そうなの!?」
「そりゃそうだろ。…試しに何か魔法打ってみな」
リアンは言われるまま、昨日ラスに打った電撃系の攻撃魔法を遠慮なく発動させる。
…しかし、
「えっ!?」
パリン!と乾いた音を立てて魔法陣が砕けてしまう。残り香のような粒子を呆然と見つめたリアンは、何かの間違いかと思って火の攻撃魔法、次は風、と立て続けに発動させるが、どれも結果は同じだ。全て失敗に終わってしまう。
「なんで?」
「お前の魔法陣と真逆の魔法陣を、同じ位置に等しい魔力量で展開したから」
「えええ……、なんかズルい…」
「ズルくはねぇだろ!」
魔法陣が展開される時間なんてたかが1秒程度だ。そんな短い時間で魔法陣の内容を読み取ることなど、果たして可能なのだろうか。にわかにはとても信じられないが、こうして目の前でやって見せられたのだから相殺されたのだと納得するしかない。
「つうか、お前は魔法の組み方が素直すぎんだよ」
「素直? ただ普通に組むだけだとダメなの?」
「魔物相手ならそれでもいいけどな。人や魔族相手は駄目だ。手の内を読まれる。…俺が組む時は高速化をかけたり、魔法陣を見せないようにしたり。…あと、フェイクを紛れ込ませたりするな」
「ほぇ…、そんなことまで…」
――流石性格が悪そうな人は考えることが違うわ。
「おいっ」
頭をべしっと叩かれる。
「いったぁ!」
「今なんか失礼なこと考えただろ」
「なんでわかったし…!」
「見りゃわかる。…ったく、魔法も表情も隠すってこと知らねぇのか」
「きいっ!」
口は悪いが、ラスの魔術師としての能力はやはり一級品らしい。リアンはこれまで魔法を『如何に少ない手数で思い通りに発動させるか』という点に重きを置いてきた。しかし対人戦の場合はそれだけではいけないらしい。恐らく戦闘を重ねてきた経験則がそうさせるのだろう。
(いやまぁ、…人や魔族と戦うなんて、ちょっと想像したくないですけどもね)
とはいえ、備えあれば憂いなし。
いざという時のために、自分も魔法陣を読まれないようにする組み方は、ラスを見習って何か考えておかないといけないな、とリアンは胸の内で独りごちた。
…というか、だ。
「なんでラスってそこまで魔法使えるの? 剣を使ってたから剣士なんじゃないの? S級冒険者ってみんなそんなに強いの?」
不思議に思って矢継ぎ早に尋ねると、ラスが少し上を見て考えるように、んーと唸る。
「S級認定も方法は色々あるから、俺みたいな戦闘特化ばかりでもないが…、まぁどいつもそこそこ強いな」
「ラスのクラスはなんなの? やっぱり私と同じ魔術師?」
「いや、俺は魔……、剣士だ」
「魔、剣士?」
「ああ、そうそう。魔剣士」
「………ふぅん…?」
「…なんだよ」
「なんでも?」
なんとなく気まずい沈黙が流れる。
ラスの言い方に何か引っかかりを覚えなくもなかったが、ここまで魔法と剣が両方とも自在に使えているのだ。魔剣士というクラスもきっと存在するのだろう。きっと。――そういうことにしておこう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
昼食も食べ終え、ついでに覚えたての収納魔法の便利さをしっかりと堪能したリアンは、ラスと共に再び迷宮の探索に戻った。
とはいえ、もう目的地までの距離はそう遠くない。
5階への階段を下りると、広間を挟んですぐ向かいに巨大な扉が見える。その表面に描かれているのは、巨大かつ複雑な形状をした魔法陣だ。ラスが封印扉と呼んでいたから、恐らくこれがその迷宮の封印とやらなのだろう。
けれど問題はその封印にあった。
「ラス…、これって」
嫌な予想に戸惑いを隠さずに言うと、隣のラスも苦い顔で同意した。
「ああ。こりゃもう駄目だな。近いうちに間違いなくこいつはブッ壊れる」
お読みいただきありがとうございました。
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サブタイトルはパソコン系縛りでいこうと思っていましたが、なかなか思いつかないものですね…!