15:ここはすばらしいインターネッツですね?
翌早朝、リアンとラスの姿は迷宮の前にあった。
周囲の森にはまだ朝靄が立ち込め、天から幾筋も差し込む光の帯が神聖な空気を漂わせている。
けれどそんな景色とは裏腹に、辺りに立ち込める魔素の量は強烈だ。効力の高い薬草を採るため近くまで来たことはあったが、こうして迷宮を目前にしたのは今回が初めてだった。緊張からか、喉がこくりと鳴る。
「…そういえば、迷宮って封印されてるんじゃなかったの?」
石造りの巨大な遺跡の前に立つラスに、リアンが尋ねる。
「いや、本当に封印があるのは5階だ。ここは魔物避けの結界があるだけで、正式には封印が施されてるわけ、じゃ…ねぇ…っと」
ラスはその一角に両手を当てると、力を込めて壁の一部を押した。と同時に、ゴゴゴ…と音をたてて重厚な金属製の扉が出現する。錆ひとつない表面には、細かく細工された美しい蔦の文様。どうやらいつもは内部への入り口は隠されているらしい。
「こんなところに隠し扉があったんだ」
「誰にでも入られちゃ困るからな。今回は地下5階の封印の状態を確認してくるのが仕事だ。さぁ行くぞ。…と、――その前に」
「?」
「リアン、右手を出せ」
リアンが言われるままに突き出すと、その上に紙一枚の距離を取ってラスの手が重なった。微かににじみ出る魔素とチリチリとした感覚。どうやら何かの魔法をかけられているようだ。
「これは?」
「パーティを組む時のベースになる魔法だ。経験値が分配されるようになったり、慣れると相手の状態や感覚共有なんかも出来たりする」
「ほぇ、便利ね。…魔法使えない人はどうするの?」
「同じ魔法を刻んだ魔石を使う。魔力消費が少ないから、普通の人間でも扱えるらしい」
「ふぅん…」
「だから、中ではぐれてもパニックを起こすなよ。俺からはお前の位置がわかってるからな」
「ん、わかった。……ありがと」
小声で礼を言うと、ラスが少し驚いた様子でリアンを見つめた。
だがすぐに、またいつものからかうような顔に戻りニヤリと笑う。
「…何よ?」
「いや、なんでも」
「もうっ、なんなのよ〜!」
「なんでもねぇって」
機嫌よく笑いながらそう言うラスの背中を憎たらしく睨みつけながら、リアンは後を追いかける。
ラスが扉を開け放つと向こうから、湿り気のある冷たい空気と共に密度の濃い魔素が流れてきた。その気配に少しだけ身をすくめたが、もうここまで来たら後戻りは出来ない。ラスにと促され、リアンは闇の奥へ一歩足を踏み入れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
扉を閉めると、完全な闇が辺りを支配する。
リアンは夜目が利くのを待つと、ラスの後に続いて螺旋状の階段を下った。
堅い床。ひんやりとした冷たい空気。遠くでしずくの落ちる音が聞こえる。
階段を下りきると、事前に言われた通り探知魔法を展開した。
今回は魔素探知だけでなく、熱源探知と音源探知も追加している。自分が把握出来るのは半径500メートル程度だが、迷宮は外から見るよりもだいぶ広く作られているらしい。いくら魔力を強めてもフロアの外壁を確認することは出来なかった。
物理防御魔法は自分一人分のみ。この辺はラスも自分の分は自分でまかなえるらしい。
寒いので断熱と、暗闇でも真昼のように見える暗視の魔法を追加でかけておく。
迷宮に潜るにあたってリアンに求められたのは、探知魔法をかけて何かあればラスに知らせること。そして可能なら自動発動・自動追尾の睡眠魔法を展開することだった。迷宮に潜む魔物にはレベル差で効かないものも多いが、弱い物なら無力化することが出来るらしい。
「正面に魔物二体。…私の倍くらいの大きさ」
「わかった。ちょっと待ってろ」
ラスは剣を抜くと、軽い足取りで先へ進んだ。そうして影から飛び出してきた魔物達の攻撃を危なげなく躱すと、首元をバターでも切るように安々と切断する。リアンはそのあまりの素早さに目を見張った。
(こ、これはまた、…容赦ない強さだな〜…)
魔物はきっと自分が今攻撃されたことにも気づかずに死んだだろう。ルシアが言っていたS級冒険者という肩書は伊達ではないらしい。
もう一体もあっという間に倒してしまうラスを見て、リアンは内心舌を巻いた。
床に崩れ落ちた魔物の死骸は、その場で濃密度の魔素と魔石、そしてその他の素材に分解される。やはり魔物というのは自分達とは一線を画した生き物ものなんだな、とリアンはそれを見て改めて感じた。
(――それにしても…)
そこら中から、息が詰まる程の魔物の気配がする。
今はラスが先陣を切って歩いてくれているからいいものの、もし一人なら恐ろしくて一歩も動けなかっただろう。睡眠の魔法が効いている敵も半数程度だ。魔法で防寒しているにも関わらず底しれぬ寒気を覚えて、リアンは自分の身体をぎゅっと抱きしめた。
「おい、リアン」
「ひぃいいいいい!!」
不意に間近で声をかけられ、リアンは驚きのあまり情けない声で悲鳴をあげた。
その声にラスもまた驚いたのか、黒い瞳と口元がまんまるに開かれる。
「お前、…流石にビビりすぎだろ…」
「だって、怖いものは怖いんだもん! 初めてなんだから仕方ないじゃない!!」
「そりゃそうかもしれんが、…それにしても緊張しすぎだ。もっと肩の力を抜け」
「絶対無理ですううぅぅ…!」
ラスは涙を浮かべるリアンに呆れ顔を浮かべると、後頭部に手を当てた。
「下手に能力値が高いから、気配に敏感なのか。――チッ、仕方ないな。ちょっとこっち来い」
手招きすると、広く開け放たれた空間の入り口にリアンを立たせる。
ラスはその背後に回ると、ぽんと両肩に手を乗せた。
「リアン…一旦、探知魔法全部切ってみろ」
「じょ、冗談でしょ…?」
「こんなところで冗談言うか。嫌なら置いてくぞ」
――S級冒険者の『S』って、これ完璧にサディストの『S』だ…。
リアンは「うぇぇ…」と半泣きで声を上げると、恐る恐る探知を全て切った。
暗闇の中、まるで丸裸にされた気分だ。あまりの心細さに脚が奮える。
「目を閉じろ」
「うぅぅ…ぅ…」
「…そうだ。深呼吸しろ…、――吸って、…吐いて」
「…」
ラスの言葉に従っているうちに、荒かった己の呼吸が徐々に穏やかになっていった。
そうすると、何か…。
目を閉じた闇の中、何かを感じる。
背後にラスがいるのを感じる。いや、それだけではない。何か空気の広がりのような、大きなうねりのような、奇妙な対流を感じた。それは自分の身体をも巻き込んで、ゆっくりと空へ立ち上っていく。
ラスの言葉が、身体の底から低く響く。
「感じるか…?」
「後ろにラスがいる」
「馬鹿、俺のことはどうでもいい…。この場所のことだ」
リアンは右前方を指さした。
「――空気があっちに向かって流れてる。…あとあっちの方にも。それに、あそこがなんか温かい気がする。…あっちは…、なんだろう。濃い?」
「そうだ。お前はなかなかスジがいい。目を開けてみな」
リアンが言われるままゆっくりと目を開けると、そこは別世界が広がっていた。
「わぁ…」
視界を埋め尽くすほどの粒子の煌めき。
霞のようにたなびく七色の魔素の帯が、複雑に絡み合っては闇に溶ける。ところどころ魔素が濃くなる箇所があるのだろう。きらきらと光るその様はまるで天の川のようで、リアンは思わずため息をもらした。
「……綺麗」
「だろ?」
ラスはリアンの横に並ぶと、魔素の流れに手を伸ばした。
その手に光が集まったり離れたりする。
「迷宮は特殊な場所だ。だから俺達は迷宮を探索する時、まずこの空間の一部となり、魔素の流れを読み解きながら進んでいく。そのために必要なのは、落ち着いて己の五感を研ぎ澄ませることだ。…あんなに緊張してたら見えるもんも見えなくなる。――わかるか?」
「うん…、なんとなく」
リアンが頷くと、ラスがふっといつもと違う穏やかな顔で笑う。
「探知魔法はもちろん必要なものだが、常に展開するには、今のお前はまだ経験則が足りてない。魔力切れを起こさなくても負担は相当のはずだ。適当でいい」
「適当って言われても…」
「魔素の流れを感じただろう? 妙に明るかったり、濃かったり。…そういうのを感じた時にだけ、使えばいいんだ」
「あ、なるほど」
「探知する場所を、まずは五感で探る感じだな。そうすりゃ気力もだいぶ温存出来るだろ」
「温存、…していいの?」
きょとんと目を丸くするリアンに、ラスはさも当然という顔をする。
「そりゃあそうだろ。万が一強敵に遭遇した時は、それこそ防御と強化系の魔法をフルコースでかけてもらわなきゃならないしな。気力も体力も魔力も、使わないに越したことはない」
(なんというホワイト…)
与えられた仕事は死ぬ気でやれと言われてきた、過去の職場とは大違いである。
「ほら、わかったらさっさと行くぞ。次は置いていくからな」
「はぁい」
リアンは言葉とは裏腹に甲斐甲斐しく面倒を見てくれるラスを意外に思いながら、初めての迷宮攻略を徐々に実感していた。
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