第四話 老将二人
ロス家に双翼と称される二人の名将あり。
片翼はヤガという猛将。もう一つの片翼はバノハという知将。
どちらもロス家を若い時からよく支え続けた重臣だった。しかし・・・今や新たなロス家の当主となったミルドラ・ロスにとっては、煙たい老将に過ぎなかった。
遡ること八ヶ月前。
ロス家を持ち前の才気で導いてきた当主、ガルムンド・ロスが死去。
新当主、ミルドラ・ロスの誕生である。若さゆえか、はたまた父親であるガルムンドが死ぬ前から実行しようと考えていたのだろうか?
新当主となったミルドラはロス家を継ぐや、すぐさま様々な改革案を提案、即座に実行に移そうとしていた。
それを制止したのがロス家の双翼と称される老将たちであった。
急激な変化は家臣の離反を招く。それは領民も同様だ。
当主となり日が浅いミルドラに心から従う臣下はまだ少ない。
改革をするにしても徐々に変えていくべきだ。少なくとも前当主・ガルムンドの死後一年は現状維持を。
などと新当主を諭した。
しかし若き(とはいっても四十代だが)新当主はその諫言を一笑に付す。
『それは変化を嫌う老人の戯言だ』と。
これらの出来事を境目に、新当主と老将たちの関係は目に見えて悪化の一途を辿る。
どちらもロス家と領民の為を思っての行動だが・・・反目する結果へと繋がる。それがロス家崩壊の序曲だったのかもしれない。
そして現在。
レーエル家、ロス家との従属関係を一方的に解消。同時に宣戦布告。
この報告に関して、ロス家の反応は大きく二つにわかれる。
一つは動揺。もう一つは歓喜だ。
前者に分類される人物達は、一貫してレーエル家はロス家に対して下手に出ていた、逆らう素振りも見せず、従順な家臣の位置付けであったという認識。まさかあんなに従順なレーエル家が・・・と、その報告を信じない者さえいたと言う。
後に発見される歴史資料の一つに、レーエル家との戦争直前、ロス家に仕えたとある一人の家臣の発言記録が残っている。
内容は半分以上が愚痴なので省略するが、伝えたい事はレーエル家の反乱という発言だ。
つまり、外敵からの侵攻という概念が、この時のロス家にはなかった。
一地方を任された家臣の反乱。あくまでロス家内部の抗争。その程度の認識。ゆえに、レーエル家の起こした反乱はすぐさま鎮圧されるだろうと楽観的であった。
それは歓喜した側も同様。否、それ以上だ。
そしてロス家の新当主であるミルドラは、歓喜した側だ。
理由は簡単。新当主としての力を見せつけるに恰好の獲物が出てきたからだ。
武力を見せつければ領民はもちろん、家臣さえ簡単には逆らわなくなる。ミルドラの本心では領地拡大こそが己の力を見せつけるには一番だと思ってはいたのだが、二人の老将に断固として反対されていた。
ロス家の双翼と称される老将たちは、特に戦争に関する発言権が強かった。当主以上と言っても過言ではない程に。
遅々として進まぬ改革政策、領地拡大の遠征反対。事あるごとに新当主の提案に反対意見しか述べぬ老将共。ミルドラの鬱憤は溜まっていた。
だが、今回の戦争に関してはミルドラが主導できる。
なにせ反乱の鎮圧だ。放っておけば当主としての器を疑われる。老将たちも強く反対できない。
ここは部下任せにせず、当主自らが率先して鎮圧に動くべき。
勝ち戦だと楽観視する大半の家臣たちからも強く反対されることなく、こうしてミルドラ直々に兵を率いてレーエル家討伐に赴く。
総数二万の兵と共に。
ロス家の前線拠点・ランフォルス城にて。
「・・・やはり、野戦になりそうか?」
一人の老将が、星の見えない夜空を見上げながら問いかける。
鎧を身にまといながらも、足元がしっかりしているためか、年齢より若々しく見えるが齢六十を超える。
家督を既に息子に譲ってはいるが、実権は手放さず。・・・否、手放せず。
ロス家の双翼と称される片翼、バノハの問いにもう一つの片翼が快活に答える。
「十割十分十厘、間違いなく野戦だな。新当主殿はやる気だ。チマチマした篭城戦などやらんわな」
バノハより十歳は若いが老将に分類されるヤガの断言に、バノハは深い深い溜め息を吐く。
「・・・困ったものだ。あの気性は誰ゆずりだ?」
「ガルムンドの旦那は強面だったが慎重派だったからな。激しい気性は奥方ゆずりか?はたまた若さゆえか?どちらでも構わんが、野戦の場合、負けたらどこまで戦線を下げざるを得ない?」
飄々と負けた場合を論ずるヤガに、バノハは顔を顰めた。
「将たる者、易々と敗戦を口にするな。どこに兵の耳があるか分からんのだぞ」
「もちろん、勝った場合も想定してある。だが、負けた場合も想定しておくのも将の務めだろ?」
バノハの苦言に、しかしヤガは気にした素振りも見せずに笑みを浮かべて返す。
あながち間違ってはいないので、バノハもこれ以上は苦言を口にしない。それよりは建設的な話題に移るべきだ。
偵察の報告では、レーエル軍の兵数は当初の想定をはるかに超える一万五千。今や一家臣の反乱などと楽観視する将は皆無。二万で足りるのかと不安視する者さえいる。
「・・・・・・万が一でも負けた場合は、ユミバ城まで戦線を下げるべきだ。そこで構築し直す」
バノハが口にしたユミバ城はロス家本拠と前線の、ほぼ中間地点にある堅牢な城である。
兵の収容可能人数は軽く一万以上。ロス家の誇る、難攻不落の城にして重要拠点の一つ。
だが、そのバノハが口にした地名に今度はヤガが眉を顰めた。
「それは・・・下げすぎではないか?その手前のオザ城も中々に堅牢だ。そこで態勢を整えられんのか?」
「ふむ・・・・・・仮に、だが。・・・・・・・・・ワシとおぬし、両方の命を捨てればオザ城よりもうちょい手前の城郭都市で態勢を立て直せるだろう」
「ほう・・・俺とバノハ老の命、二つ必要か」
「正確に言えば、プラス互いの指揮下にある兵すべてだな。全滅とまでいかんが・・・まあ半壊はするだろうな」
「なんだよ、おい。負け戦を口にするなと言いながら既にアンタの脳内では結果が出てんのかよ」
バノハの脳内で導き出された冷徹な計算結果を、しかしヤガはあっさりと受け入れ、文句まで口にした。
「口にはしておらん。あくまで頭の中での想定だ。勝った場合も、負けた場合も想定はしている。戦争のたびにな」
「ふん。・・・ここらが俺たちの死に場所になるかもってか。おセンチな心情に浸りそうな内容だぜ」
「互いに戦場暮らしにしては長生きしている方だ。・・・・・・個人的にはガルムンド様より生き長らえている今この時も、心が痛む。さっさと死んで、あの世でガルムンド様に仕えたいものだ」
「おいおい、ガルムンドの旦那の遺言を忘れてないだろうな?」
死に急ぐバノハの呟きに、ヤガが現世へとその魂を繋ぎとめる。
「・・・・・・無論、忘れておらん」
「本当かよ。一瞬だが間が空いたぜ?」
「バカモンが、忘れておったらこの場におるか。・・・信頼されまいが新たな当主殿に忠義の限り尽くすのみよ」
「その結果、ロス家が滅びようともか?」
「ふん、その程度。些末なことよ。盛者必衰の理。どんなに栄えていようと、滅びるときは滅びる。ただ・・・・・・」
「ただ・・・なんだよバノハ老」
「死んでからあの世でガルムンド様にお会いした時、恥ずかしくない死に様を報告できる最期でないと、格好悪いだろ?」
そう言って、バノハが快活に笑う。
珍しいものを見たもんだと、ヤガもつられるように笑った。
「確かに。ああ、その通り。そっちの方が大事だ」
心の底から賛同しながら。
それから三週間後、ミルドラ・ロス率いる二万の軍勢とアンビシオン・レーエル率いる一万五千の軍勢、合わせて三万五千の兵がザマル平原にて激突。
士気旺盛のレーエル軍は終始、戦争の主導権を握り続け、五千の数の差を感じさせないまま戦況を有利に運ぶ。
不利を誰よりも早く(むしろ早すぎる)悟ったミルドラ・ロスは数名の側近たちを連れて早々に戦場を離脱。
戦争を家臣たちに丸投げした。これが決定的であった。
それぞれが独立した指揮権を統べる存在が不在になったことで各部隊はバラバラに行動。
突出した部隊から順番にレーエル軍に各個撃破されていき、遂には瓦解。ロス軍は苦しい撤退戦へと追い込まれる。
そしてその殿として戦場に最後まで留まった部隊こそ、ロス家が誇る双翼だった。
殿として残る場所として選んだ地はザマル平原の外れ。前線拠点であるランフォルス城へと続く途上。
橋の手前を防衛ラインとして、逃げ惑う味方の兵を見送る。
「・・・・・・良かったのか、素通りさせて?指揮下に組み入れるべきでは?」
ヤガの言葉に、バノハは短く「無用」と返す。
互いに部隊の損害は二割ほど。無傷ではないが重傷でもない。しかし迫りくるレーエル軍の追撃は苛烈を極めるだろう。兵が補充できる時に補充したいのは将であれば当たり前だ。
しかしバノハは不確定要素を嫌う。士気の低い他部隊の兵。しかも敗残兵。常でも嫌う不確定要素を、これからの死戦に用いる気はサラサラなかった。
「・・・・・・しっかし、敵ながら見事。してやられたわ」
場を少しでも和ませようと、バノハがヤガに語りかける。あまりのわざとらしさにヤガは苦笑した。
語りかけている相手はヤガだが、聞かせるべき相手は自分たちが率いる兵士たち。これから死ぬかもしれないというのに、悲壮感はあまり感じない。おそらく、自分たちが仕えている将を・・・つまりヤガとバノハを信じているからだろう。
それら全てを今から道連れに死ぬのだ。少しでも多くの味方を逃がすために。
仕えている主、ミルドラ・ロスを少しでも遠くへ逃がすために。
ならば、納得してもらうしかない。無理矢理にでも。
「何を呑気に敵を褒めている。二万もいたこちらの軍は半壊。敵の勢いは増すばかり。何もせずこのまま呑まれるつもりか?」
「いやいや、ワシら二人の命を懸ければ多少は敵の勢いを弱められよう」
「・・・止めは出来んか」
「無理だな」
「・・・あっさりと言い切ってくれる。俺たちはロス家が誇る双翼だぞ」
「大層なあだ名だが、肝心な中身は年老いた老将二人よ。名前負けもいいとこだな、うん」
「ふん、相変わらずハッキリと言う。・・・ならば、その老将二人の最後の意地とやらを、レーエルの若造に見せ付けるとしよう」
「・・・・・・その件なんだが、一つ提案がある」
「なんだ、この期に及んで。・・・わずかばかりの残された命が、今更惜しくなったか?」
「いや、それに関しては悔いなしだな。ガルムンド様が亡くなられた時に、ワシは既に死んだも同然。今に至るまでロス家のために働いてきたのはただの惰性。目的なき仮初の人生に過ぎん。・・・ではあるが、タダでこの命をくれてやる気は全く無し」
「・・・・・・なにが既に死んだも同然だ。死の間際にそんなにも目を輝かせるジジイがどこにいる。・・・それで?何を企んでいる?バノハ老」
「我が人生、最後の博打よ。賭けるのは互いの部隊にいる小僧どもだ」
バノハの言葉に、ヤガが溜め息を吐く。
「・・・・・・・・・老人、若者。どちらも生き残れんか。それで、その報酬は?賭けた命の代償は?それに見合う代物か?」
「無論。報酬は・・・------」
バノハの告げる報酬内容に、ヤガは驚き・・・すぐに笑い声をあげた。快活に。
「なるほど!それは賭けた代償に見合う報酬だ!」
得意げにバノハが応じる。
「そうであろう?分の悪い賭けではあるが、今の手持ちで出来る最後の悪あがきってやつだ。敵さんには少しばかり肝を冷やしてもらおう」
「最後の最後までとんでもない事を思いつくもんだ。アンタが味方で良かった。・・・敵ながらレーエルの若造には同情する」
「ロス家の領地を奪うのだ、これくらいは受け入れてもらわねば、な」
「・・・さて、ならば互いの部隊の小僧どもに託すか。老将の醜悪な執念の集大成を」
「くくくっ、然り然り」
こうして・・・後事を託した老将二人は討ち死にした。
押し寄せるレーエル軍の追撃部隊を二度、三度と押し返したが、四度目に瓦解。
両部隊はほぼ全滅した。
ロス家の双翼と称された二人の老将の首が、高々と掲げられる。その顔は、笑みを浮かべていた。