第二話 配属
かつて、アルバ島は一つの王国が支配していた。
遡ること三百年前、争いの絶えないアルバ島を初代国王となる男が統一し、戦乱の日々は終わりを告げた。
平和な時代が築かれる。島の誰もがそう思った。・・・だが、それ以降も王国は実に様々な問題に直面した。
海賊の跋扈。地方豪族の内乱。自然災害。大陸からの干渉。
そのどれもが難題だったが、問題に直面したその時代の王は適切に対応し、乗り越えてきた。
アルバ島の住人は誰もが思った。王国は不滅だと。どんな事が起きようとも、王は民を守るのだと。
・・・それは儚い幻想だと知らずに。
王国崩壊の序曲は、とある貴族の反乱から始まる。
これがただの地方領主なら、反乱は即座に鎮圧されただろう。しかし反乱を起こした貴族の名を聞いて、当世の王は驚愕した。貴族の名はプライス家。初代国王と共に戦い、建国に貢献した八大貴族の一つだったからだ。
八大貴族随一とも称される精兵揃いのプライス家の反乱軍は、その矛先を仕えていた王へと向けた。
電撃的な奇襲でもって、プライス家の反乱は成功し、瞬く間に王都は陥落。国王の一族は悉く処刑され、血脈は絶えた。
プライス家は新たなアルバ島の王を名乗ったが、他の八大貴族がそれを認めるわけもなく、内乱は継続。
プライス家を除く八大貴族は反乱軍討伐のため、互いに協力体制を築こうとしたが、プライス家の謀略により疑心暗鬼となり同盟は決裂。さらにプライス家は島の各地に点在する豪族を煽り、他の八大貴族を安易に動けないように封じ込めた。
その結果、アルバ島は一つの勢力に統一されることなく、群雄割拠の時代へと突入していく。
それが二十年前の出来事。内乱は、今も続いている。
「・・・・・・・・・大陸国家の後ろ盾を得たプライス家が八大貴族のうちの二家を滅ぼし、王都から西のほぼ全土をその支配下に置いた、か」
これまでのアルバ島の歴史を簡単に振り返るだけで、もはやこのアルバ島の覇権はプライス家のものだと誰もが思う。しかし、現実は違う。
内乱が始まって二十年。島の最大勢力は変わらずプライス家が筆頭だ。だが・・・島の半分以上を支配下に置いて以来、領土を拡大していない。
年数にして、およそ十年。プライス家は沈黙を保っている。
当初こそ、プライス家当主の死亡説が流れたりしたが、現在まで確証はなし。
後ろ盾の大陸勢力と揉めているやら、プライス家内部の権力闘争が激化しているやら、色々と憶測が飛び交っているが・・・それらに関しても確証はなく、ただの噂話として風化していった。
アルバ島の最大勢力が動かないことで、王都から東は荒れに荒れている。
生き残った八大貴族同士が領土拡大のために争い、他の中小貴族がそれに乗っかって戦火に薪をくべている。
その結果、島の西部と東部はまるで別世界だ。
王都から見てレーエル領は東側に存在する。つまり、地獄側だ。
「イーサン」
自分の名を呼ばれた少年は、読んでいた書物から視線を上げた。
視線の先には、現在の上司である男が気難しい表情でイーサンを見つめていた。
「何か?」
「・・・何を読んでいたんだ?」
「この島の歴史を改めて別視点から読み返していました。目新しい収穫は特になかったですが」
「・・・・・・そうか」
「・・・・・・・・・」
新しい上司・・・名はジュール・・・は、今のように意味もなくイーサンに話しかけてくる。用件はなく、雑談が目的と言わんばかりに。
あの焼け落ちる城の死闘から二ヶ月。
結果だけを文字にするなら、イーサンはリアムに負けた。
当然だ。イーサンは三級ソーサラー。相手は格上の二級。搦め手を十重、二十重と幾つ重ねようが絶対的な魔力量を覆せるわけもなく、あらかじめ定められた結果のように敗北した。当然とも言える未来。
・・・負け惜しみ覚悟で言うなら、格上相手に一対一で戦ったにしては善戦した。しかし、負けは負け。
生殺与奪権はイーサンの手元を離れ、相手方に委ねられた。
その場でリアムに殺されることも最悪の事態として覚悟したイーサンだったが・・・幸運にも、相手方の大将の前に引っ立てられた。そう、アンビシオン・レーエルその人の御前に。
アンビシオン・レーエルを初めて見たイーサンの感想は、眼光の鋭いオッサン・・・である。
やけに剣呑な目つきで、目だけで人を殺せるんじゃないかと思える程。
側に控えている護衛たちも、イーサンより、自分たちの大将の一挙手一投足に神経の大半を割いているように感じられた。それはこの場にイーサンを引っ立ててきたリアムも同様だ。
アンビシオン・レーエルはただの人間だ。それは間違いない。ソーサラー特有の魔力の波動はまったく感じない。だが、普通の人間とも違う。イーサンは一目見て確信した。
なるほど、ただの田舎領主ではない。いわゆる英傑と呼ばれる類の人種だと。
「・・・ソレがお前を苦戦させた相手か、リアム?」
外見を裏切らない、実にドスのきいた声で喋り出す英傑。
そこらの山賊、盗賊の類の頭領など比べるまでもない厳つさだ。
「はっ。外見はご覧のように子供なれど、戦い方は老獪にして陰湿。中々に相手が嫌がる戦法を次から次へと仕掛けてきまして・・・」
「ふん、お前が真っ直ぐすぎるだけだ。戦い方も、性根もな」
「・・・至らぬばかりで、申し訳ありません」
心の底からそう思っているだろう、リアムが無念と言わんばかりに唇を噛み締めている。
「よい。それがお前の短所でもあり、長所だ。ひねくれたソーサラーは他の奴らで辟易している」
「はっ!ありがたきお言葉!」
(部下に対してさりげないフォローもバッチリ。人身掌握もお手の物、か。ますます傑物だな)
無力化され、ひれ伏すことしか出来ない状態でも、イーサンは冷静に周囲の状況を分析した。
どうにもアンビシオン・レーエルとリアムの距離感がただの主君と家臣にしては近い。おそらく、リアムがただの一部下ではなく、従者・・・それも極めて気を許している相手だと分かる。
(領主お気に入りの従者か。道理で戦い方がキレイなわけだ。戦闘経験が少ないから、あんなに僕の搦め手にあっさり引っかかったんだな。常日頃は主君の側に控えていて・・・今日だけは例外的に前線に出した。・・・・・・もしかして僕は箔付けに利用されたか?)
「おやおや~、ひねくれたソーサラーっていうのは、あてのことかい?」
「・・・自覚はあるようでなによりだ」
色々な人物の思惑が絡み合っている場に、新たな闖入者が現れる。
イーサン以外の誰もが、その人物の登場をあっさりと受け入れる・・・だが、イーサンだけは違った。
目を見開き、ただただ驚愕。言葉も出ないし、思考さえ停止した。
今の今までその存在すら感じさせなかった、突然の闖入者。
唐突に、桁違いの魔力量をその身にまとった本物の化け物がその姿を現した。
(こ・・・んな・・・・・・魔力量を持った奴が・・・こんな近くにいただと!?今の今まで僕が気付かなかった?)
イーサン以外の面々は、もはや慣れているのだろうが、初対面となるイーサンにとっては衝撃でしかない。
三級はおろか、二級ソーサラーであるリアムですら萎縮するほどの、圧倒的な魔力量。
間違いない。現在、アルバ島に二人しかいないとされる本物の化け物の片割れ。
その存在は人という枠組みから飛び出し、概念にとらわれない人外。
《魔神》とも称される、一つの到達点に至りし者。
一級ソーサラー。
イーサンなど眼中にもない、アンビシオンに笑いかける人なつっこそうな少女こそが、ソーサラーの中でも絶対者の位置に君臨する存在。
外見だけを見れば、あどけなさが残る初々しい少女にも見えるが・・・身にまとう魔力が、それを台無しにしている。
「儚く、か弱い少女に酷い言い草だ。木っ端とはいえ貴族でしょ?女を喜ばす口上の一つでも言えないの?」
「貴様がただの女なら幾らでも言ってやるが・・・生憎、化け物に世辞を言う気はない」
「こんなに可憐な美少女を前にして化け物呼ばわりとは失礼な」
「・・・確かに、黙っていれば美しいな。貴様は」
「えっ・・・」
「ふむ、側室としてなら有り、か」
「えーーっと・・・なんかゴメン。自惚れてたわ、あて」
「謙遜するな。貴様は確かに美しい。外見だけは」
「マジでゴメン。調子のってた。今更だけど恥ずかしくなってきた」
「そんな風に身悶える姿も可愛いぞ」
「やめて、ホンマに。あては年齢のわりに初心やねん。本気にするで」
「ふむ、それは困るのでこの辺にしておこう」
「っておい!?これ以上突っ込まんのかい!引き際よすぎやろ!!」
「本気にされても迷惑だ」
「酷い!女をその気にさせるだけさせて即座にポイ捨てか!?アンタ最低や!鬼畜の所業やで!」
「ワシの女の好みは色気漂う三十路から上だ。・・・貴様の実年齢は欠片も興味ないが、外見だけで言えばワシの好みから大きく外れている」
「年増好きかよ!いや、薄々気付いてはいたけどね!」
「出直して来い」
「アンタがな!!」
イーサンは、突然始まった厳ついオッサンと外見だけはあどけなさが残る少女のやり取りに、置いてけぼりだった。
こんな会話が日常風景なのだろうか、リアムが咳払いをして場の空気を改めた。
「お二人とも、どうかいつもの悪ふざけはその辺りで。一応、捕虜もいるのです。続けるのならこの者の処遇を決めてからでお願い致します」
その言葉で、ようやく初めて少女の視線がイーサンに向けられた。
その視線は、特に何の興味もなくすぐに逸らされた。
「魔力量から判別するに三級でしょ?適当に直臣の誰かに家臣として宛がったら?ソーサラーを持っていない部隊もあったでしょ?」
「貴様にしてはまともな意見だ、プロイ。リアム、そういう事だ。ソーサラーが配備されていない部隊にくれてやれ」
「陪臣として召抱えると?スパイの可能性もゼロではありませんが・・・」
「ソレが仕えていた主君は死んでいたのだろう?」
「はい、それは間違いなく。影武者でないことも、他の捕虜から確認済みです」
「ならば今現在、ソレに雇い主はいない。大抵のソーサラーは損得で動く。ならばワシが衣食住を保障すれば、ソレは唯々諾々と従う。・・・違うか?」
最後の問いかけはイーサン自身に投げかけられた言葉。
故に、答えは短く簡潔に。
「働きに応じた報酬さえ頂ければ、この身は貴方様の物に」
「だろうな。安心しろ、働きに見合った報酬は与える。せいぜい武功を立てろ。リアム、仔細任せる」
「はっ」
「プロイ、戦略を話し合うぞ。ついてこい」
「はいはい」
こうして、あっさりとイーサンはレーエル家に仕えることが決定した。
そしてリアムに言い渡された配属先が今の部隊・・・アンビシオン・レーエル直臣の一人、ジュールの部隊だった。
直臣と言えば聞こえはいいが、実態は末席も末席。かろうじて部隊と呼べるほどのものだった。
兵の質、量ともに直臣の中では最弱にして最小。
配属されているソーサラーも、三級であるイーサンただ一人のみ。
当たりか外れかで言えば、大外れだ。
ジュールの話を聞くに、戦場で宛がわれる位置は最前線か予備部隊扱い。
前者は肉の壁。後者は邪魔者扱いである。待遇は一言で悪い。それに尽きる。
武功を立てるにしても、そのキッカケすらつかめない。
そんな日々が一年ほど続いたある日、ジュール隊に転機が訪れる。
イーサンが望んだそれは、しかしジュール隊にとって最大の試練として課される。