本当の問題
「この辺でいいわね」
奈々とリーシャの居る草原から離れ、プレセアとクラウドは森の入り口付近へと場所を移していた。
「念の為、結界も張っておこうかな」
そう言うと、プレセアは指を『パチン』と鳴らし、『ウォーム』という言葉を口にした。
”ウォーム”とは、ユニオンファンタジーにおける簡易の結界魔法で、唱えた者を強固なガラスの様な素材でドーム状に包む事が出来る。
この結界は、ある一定の物理攻撃や初級魔法を無効化すると同時に、中にいる術者達の声を結界の外に漏らさない効果がある。
ちなみに、プレセアが今この場で”ウォーム”を使った意図は後者である。
「これでよし。それじゃあクラウド、聞かせてくれる?」
「はい、プレセア様」
示し合わせたかの様にプレセアはクラウドに声を掛け、クラウドはプレセアに返事を返してはいるが、2人が此処に来るまでに、事前に何かやり取りをしていたわけではない。
やり取りをするまでもなく、2人はお互いの言いたい事、聞きたい事を理解している。
その理由は、以前と比べ、別人と言える程の変化を見せたアリシアによるもの。
クラウドはこの世界に来てからの事を、”アリシアの時と”違い、嘘偽りなく全てプレセアに伝えた。
「…… そう… お姉様は身体中に酷い怪我を負っていて、一月以上も眠っていたのね」
「はい」
「そして記憶を失っていた。更に性格にも変化が見て取れた」
「はい」
「多分だけど、次元の壁を越えてこの世界に来たせいで、記憶と人格にもダメージを負ったのね。私達と同じ様に」
「はい、自分の場合はアリシア様と出会う以前の記憶が少し曖昧になっています」
「私も似たようなものかな。幼少期の私とお姉様の記憶がぼやけてる。後、リーヴェルの時と比べて自分の性格がちょっと前向きになった気がするわ、クラウドは… あまり性格的な変化は見られないわね?」
「そういった変化は感じませんが、代わり、でしょうか? 右目の視力と左耳の聴力をが失われています」
「どれどれ?」
プレセアはクラウドに近づくと、左手で彼の頬に触れ、右手で右目と左耳をなぞった。
「参ったわね。これは私の回復魔法じゃ治せない。視力と聴力が失われた今の状態が正常になってる。呪いの一種かしら? ごめんねクラウド」
「いえ、勿体ない御言葉です」
プレセアはクラウドから手を離し、俯いて考え込む。
「ダメージには種類と個人差がある。特にお姉様は重症、か」
「目を覚まされたアリシア様は、御自分が何者かすらも覚えていらっしゃらない様子でした」
「一応、少しずつは思い出しているみたいね。それでも基本的な魔法の事とかは忘れてる。詠唱で精霊の力を借りれなかったんだけど、その時点で此処には精霊が居ない。私達の知っている世界とは違うって、以前のお姉様なら直ぐ気付くのに」
深く考え込むプレセア。
そのプレセアに対し、クラウドは一時の間を置くと、今度は自ら彼女に質問をした。
「プレセア様、アリシア様は御自分の意思でこの世界に来られたのでしょうか」
「それは無いわ」
「では何者かによって、でしょうか」
「ええ、お姉様が私達に内緒で遠くへ、しかも次元を越えた異世界に行くなんて考えられない。そもそも、何の媒体もなく次元を越える事自体お姉様であっても1人じゃ無理。私達は契約や血の繋がりによる絆で結ばれているからこそ、お姉様の魔力だけでも召喚が出来た。個人か団体様か知らないけど、こっちの世界にそれ等を必要としないで、強制的にお姉様を召喚出来るだけの魔力と手段を持った化け物が居るわ」
「目的はやはり…」
「当然、術者が他者を召喚する理由なんて1つ、契約による使役よ」
グッ!
腰に差してある剣を鞘ごと力強く握りしめ、奥歯を噛み締めるクラウド。
その動作からは、計り知れない怒りを感じさせていた。
「気持ちは分かるわ、私のお姉様を使役しようだなんて絶対許せない。どんな方法で使役するのか教えてもらいたいくらいよ」
ガクッ
今度は膝から力が抜けるクラウド。
自分の気持ちとはちょっと違う。
いや、かなり違う。
いやいや、全然違う。
表情からは、混乱している様子だけが伺えた。
「まぁ、術者が近くに居なかったって事は、正規の召喚には失敗したようね。望むべき場所にお姉様を呼び出せなかった。そのせいかな、お姉様が瀕死の重傷を負ったのは」
「恐らくは」
「本当に許せない。あんたを召喚して身を守らせるのがやっとだったんでしょうね。召喚したのが私じゃないってのが癪だけど、それはしょうがないか、魔力が足りなかったんでしょ。LV87の私とLV77のあんたじゃ召喚するのに魔力量が5倍近く違うし」
「……」
実際には1.2倍程で、5倍はあり得ない位言い過ぎていた。
自分が最初に呼ばれなかった事を、かなり気にしているのだろう。
そこには触れないようにして、クラウドはプレセアに再び質問をした。
「この事をアリシア様には?」
「もちろん言わない。今のお姉様はまるで子供の様、余計な情報や知識は不安と混乱を招くわ。いずれ記憶も戻るかもしれないし、言うならその時に。あんたもそう思ったから嘘を付いたんでしょ」
「はい」
「じゃあ決まり。未知の世界だろうと未知の敵が相手だろうと、やる事は今迄と変わらない。いつも通りお姉様の考えに従い、その身を守る事に命を懸ける。いいわね」
「畏まりました。今迄と変わらず、この身を持ってアリシア様をお守りすると誓います」
「期待してるわ。ああ、それと」
「何でしょうか」
「過去の事を聞いたりして、無理にお姉様の記憶を戻すような真似はしないように」
「心得ております。混乱へと導く様な事はしません」
「そうだけど、そうじゃないわよ」
「と、言いますと…」
「あんな可愛いお姉様、見た事ある? 毅然として凛々しい姿のお姉様も素敵だけど、表情豊かに感情を表に出す子供みたいなお姉様もこれはこれで愛らしくて素敵よ。何だが私がお姉様になったみたい」
「は、はぁ…」
プレセアは1分程『ニタニタ』と口をにやつかせながら自分の世界に入り、クラウドはその世界に入ったプレセアを1分程見届けた。
「さて、戻りましょうか」
「はい」
2人は森から離れ、奈々達の居る場所へと歩き出した。
「何か、悪いわね」
前を向きながら歩くプレセアが、意図の取れない謝罪をクラウドに告げる。
「何がでしょうか?」
「いやね、お姉様とあんたはそれなりに重症を負ってるのに、私だけノーダメで何か悪いなーって」
「そういう事ですか、それならば私は大丈夫です。風を頼れば以前と同じ感覚でいられますので」
「ふーん、そういうもんなの?」
「はい…」
プレセアの3歩後ろを歩く、クラウドの頭に疑問が走る。
プレセアが言葉にした『ノーダメ』に対し、果たして本当にそうなのだろうかと…
確かにアリシア様は酷い怪我をなさっていた。
記憶の損失も、プレセア様と自分以上なのは明白。
対して、プレセア様には外傷が一切見られない。
自分のように、視力や聴力を失ったわけでもない。
しかし、本当に大事なものを失ってしまったのは、プレセア様の方ではないだろうか、目には見えない、無くしてはいけない本当に大切なものを。
気高く、毅然とした態度で最前線から皆を導くアリシア様とは正反対に、お淑やかで慎ましさと品性を備えたプレセア様。
アリシア様と違い、皆を後ろから支えた可憐な少女。
欠伸などの仕草を人に見られれば、顔を赤くして恥じらう内気な少女。
その少女《プレセア様》は一体はどこへ…
クラウドは、前を歩く『スノーホワイトジュエル』を見ながら、今しばらくその事に頭を悩ませるのだった。