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君に誓う  作者: 有沢ゆう
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 右を向いても左を向いても、白、白、白だ。このあたり、海沿いの街は潮風による浸食を防ぐために、皆似たような防腐処理を壁に施している。そのため、景色は非常に似通ってた。

 そんな、どの街角も同じように見える土地で、エルデバードは独りぼっちだった。いつも番犬のように張り付いているジェイルは、ついさっきまでいつも通り後ろにいたはずだったのだが。


「さて。どこだ、ここは。全くジェイルときたら、俺からはぐれるなんて」


 海が見える。密集した建物群は看板もなく、おそらく生活地域なのだろう。そして、漁業で身を立てている人々は今、浜のほうにいるらしい。人通りはない。


「私は迷子ではない。ただちょっと……帰り道が分からないだけだ。うん」


 エルデバードはそう呟き、空を見上げた。瞼を刺す日の光は、夏真っ盛りの様相で、傷みさえ覚えるほどだ。白壁がそれを反射し、辺りはひどくまぶしかった。

 手びさしの下から、通りを眺め渡す。と、一軒の家から人が現れた。エルデバードは急いで見えないように急ぎ足でその男に近寄った。


「少々お尋ねしたい」


 声をかけると、男は振り返った。海に潜る者特有の、浅黒い肌と日に透ける髪をしている。道を尋ねたい、と言葉を続けようとしたが、彼はその前に顔を綻ばせた。この表情を、エルデバードはよく知っている。見知ったものに向ける顔だ。


「エルデバードじゃないか。久しぶりだな、お前!」


 案の定、男は気さくに声をかけて来た。庶民のはずだが、やけに馴れ馴れしい。けれど不快ではなかった。馴れ馴れしいというよりは、親しげなのだ。


「あ、ああ、ええと、久しぶり」


 男は両手に抱える大きさのかごを持っていて、その中からは独特の匂いが漂ってくる。彼は気にせず、その手でエルデバードを肩を叩いた。


「何年ぶりかな、お前、なんか貴族っぽくなっちまったじゃないか。丁度、お前の好きなガゴが獲れたんだ、昼飯は? まだ? 浜で焼いて食おうぜ」

「あ、ああ。その、ありがとう。君の分なのではないのか」

「一杯獲れたんだ、お前が食うくらい、どってことねぇよ。いやぁ元気そうで良かった。全然顔を見なくなっちまったから、どうしたのかと思ってたんだ。なんかあったのか?」

「いや、ちょっと」

「ふーん。まあ貴族様ならいろいろあらぁな。そういえばお前さ」


 海辺の小屋に向かって二人で成り行きのまま歩きながら、彼は言った。


「今日はリシュリーはいねえの?」








 ガゴをひっくり返しながら、ヨアンと名乗った男はふんふんと頷いている。分かっているのかいないのか、記憶喪失と伝えたエルデバードに対する態度は、最初の時と何ら変わりがない。


「ほら、食え、焼けてるぞ」


 なんだかよく分からない奇怪な姿をしたガゴという魚を、ナイフで捌いてくれる。ゴムのような食感がしたが、味は驚くほど良かった。手渡された酒は発砲していて、少し苦い。酒など本当はあまり飲まなかったが、なんとなく断る雰囲気ではなかった。


「で、結局なに、リシュリーのことも忘れたのか」

「ああ。というか、なぜ彼女だけ特別に確認するんだ? 私は等しく皆、忘れた」

「リシュリーのことも?」

「だから。皆だ」

「ふうん。そんなわけねえと思ったがなぁ。分からん」


 その思い込みのほうが分からん、と思いながら、エルデバードはもぐもぐとガゴを頬張る。


「まあいいや。ええと、お前と俺の関係だっけ? 昔、お前がこの辺で迷子になってた時に、俺たちが助けたんだ」

「あ、そう……」

「それ以来、ちょくちょく一緒に遊んだな。お前が貴族だってのは知ってたけど、知り合ったのはほんのガキの頃だから、よく考えずに遊んでたな。五、六人束んなって、泳いだり、ただただ走ったり。

 リシュリーはいつもお前と一緒だったぞ」

「女の子なのに」

「……泳ぐのも走るのも、お前よりずっと速かったけどな」

「ははっ、馬鹿な」

「はは……」


 夏、避暑にくるエルデバードとリシュリーは、そうやって短い期間を存分に遊びまわっていたようだ。とは言え、小さなころから仕事をしていたヨアンと、別荘地といえどお茶会や夕食会が多い貴族の子供たちとは、そんなに多くの時間を遊んでいられたとは思えない。子供の頃の思い出は強烈で、忘れえぬ記憶として強く残っているのだろう。


 そんなことよりも、リシュリーのことだ。

 いつも一緒にいたという。彼の記憶違いのような気もするが、嘘ではないだろう。自分とリシュリーは、少なくとも子供の頃は随分と親しかったのかもしれない。それにしては、彼女の態度は知らぬ者を相手にするような態度で、どうもしっくりこなかった。


「それは?」

「ん。アロの実だ。ガゴに少し乗せて食べると美味い」

「ほう」


 黄色く小さい実は、香りが良さそうだ。エルデバードはそれを一粒、口に含む。


「か……辛い……!」

「はははは! いまだに苦手なのか、辛いのが!」


 ぴりりとした舌を刺す辛みに、目がチカチカする。ヨアンが爆笑している。



――あははははは! エルデバードったら、だから言ったのに!



 突然、子供らしい明るく弾ける様な笑い声と、優しさとからかいを滲ませた女の子の声が蘇った。思わず辺りを見回す。もちろん、誰もいない。

 エルデバードの様子には気づかず、ヨアンはガゴを頬張りながら話を続けた。


「毎年来ていたお前らが、急に来なくなったのって、学舎に入ったらじゃなかったのか? 勉強に通うんだと、そんな話をしていたから、そっちで忙しくなったのかと思っていた。

 あれから……五年かな。まだ通っているのか?」

「……ああ」


 ぼんやりと、答えた。そのあとは、彼の話もあまり頭に入らなくなった。

 やがて、あらかたガゴがなくなり、後始末をして、二人は別れた。その前に、帰り道を聞いてから。

 言われた通りの道を歩きながら、エルデバードはぼんやりと頭の中を探る。ヨアンは嘘をついていないかもしれない。勘違いでもないかもしれない。

 女の子の笑い声が蘇り、そして同時に、自分の返答も聞こえたのだ。


――なんで君は食べて平気なんだよ、リシュリー!


 それ以外は何も思い出せない。このもどかしさを、誰も分かってはくれないだろう。覚えていないのか、幻想なのか、それさえ分からない。真実として聞かされる自分のかつての姿は、本当に真実なのか。誰も答えてはくれない。

 道に迷っていた時よりももっと、何かに迷った気持ちで、帰り道を辿る。












「ごきげんよう、リシュリー様」


 客間のドアをくぐってすぐ、お茶を淹れている彼女に声をかける。振り向いた顔は相変わらず痩せこけていたが、そこには呆れたような表情がかすかに見えた。ほとんど動かない顔のわずかな変化で、その感情を推測する。案内の小柄な侍女も、同じことをしているだろう。


「今日のお菓子は、さて問題です、どこの店のものでしょう?」


 シンプルな装飾のない箱に詰め替えて来た菓子を差し出すと、侍女が受け取り、皿に出そうとそれを開ける。まあ、と声がした。


「あら、駄目よメルティ、あなたが驚くような店だって分かっちゃうじゃない」

「失礼いたしました。けれどシャルロッテ様、これはあまりに簡単すぎます。お嬢様の好物ですもの」

「あら……そうだったの。そうよねぇ、有名ですもの」


 今回で4回目になる、もう顔なじみの侍女は、気安くシャルロッテと会話をする。メルティという名の彼女は、二代続けてフェルニッツ家の侍女をしているらしく、同年代ながら堂々とした仕事ぶりだ。つまり、こうして気軽に会話をするのは、その気のない主の代わりという訳だ。

 リシュリーは、ほとんど話さない。それでも、シャルロッテの訪問を拒否はしなかった。


「それにしても、クラン・クランの焼き菓子なんて、わざわざお取り寄せなさったのですか?」

「そうよ、王都からね。だって食べたかったんですもの」


 ぼんやりと他所を見ていたリシュリーの前に、薔薇をかたどった優美な小皿に乗せられた焼き菓子が差し出された。ふっと、その目の焦点が合う。侍女はにこりと笑った。


「……お茶を出すのを待って、メルティ」

「はい、お嬢様」


 リシュリーは、久しぶりにシャルロッテの顔をちゃんと見て来た。心なしか、きりりとしている。


「この菓子にとっても合うお茶がありますの。今淹れますからね、まだお食べにならないで」


 どうやら、この菓子に並々ならぬ思い入れがあるらしい。きびきびした手つきで、茶葉を選び、魔術で湯を沸かしている。

 出されたお茶は、確かに、ナッツ類が無数に乗った焼き菓子によく合った。日持ちするように甘さが強い菓子と、かすかな渋みに、すっきりとした香りのお茶が引き立てあう。リシュリーは満足げだ。

 だが――半分ほど食べたところで、彼女は手を止めてしまった。食が細くなっているのだろう。甘い菓子は胃に重い。


「さあ、リシュリー様、私がわざわざ王都から取り寄せた菓子ですわ、残すなんて失礼なかたね」

「勝手に押しかけてきて、横暴です」

「つべこべ言わずに、お食べなさい」


 彼女はのろのろと、菓子を口に運ぶ。シャルロッテは、リシュリーの気持ちを動かせるとは思っていなかった。だがせめて、痩せた見た目だけでもなんとかしたい。心の健康にはまず、体の健康が必要だと思っている。


 無理をしているのが明らかなリシュリーに、シャルロッテは町や王都の噂話を勝手に喋りかけた。もちろん話題は選んでいる。どうでもいいようでいて、リシュリーが自分の内に沈み込まないよう、気を引くような流行の話なんかをした。

 一人でいるのは良くない、と直感的に思っている。内へ内へと沈んで行って――そのまま消えてしまいそうで。





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