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君に誓う  作者: 有沢ゆう
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 王都も海には近い。時折、郊外では潮の匂いがすることもある。だが、西へ西へと移動したこの地は、それとは比べ物にならないほど海の気配がした。匂い、湿度、波の音。

 別荘は、防湿性に優れた漆喰を美しく装飾してある。輝くような外観は、真珠のようにも思える。そして、ここにも薔薇園があるのは、母の意向だろう。


 馬は、いない。これは、別荘の管理人の手が届かないからだろう。しかし、ある程度の地位の貴族は別荘で馬に乗るのはよくあることだ。厩舎はあり、かつては馬がいた気配もある。祖父というのが、乗馬を好んだようなので、その時代にはあったと考えられる。しかし、父も母も馬には興味がない。いつなくなったのかは分からないが、エルデバードはがっかりした。自分が継いだら、きっと馬を飼おう。海を臨む丘で、馬を走らせるのだ。


「夢みたいなこと言ってんじゃねぇ、荷物運べ!」

「えっ、私が!?」

「ほかに誰がいるんだ、急に別荘に行くと言い出して、使用人の手配がつかないからもう少し待てと進言した俺に、自分のことは自分でやると鼻息荒く宣言したのはお前だろうが!」

「正論過ぎて拒否しづらいな」

「するつもりがあったことに顎が落ちるわ!」


 せっせと荷物を運び込み、私室を整えていく。別荘の管理人夫婦とジェイル、そして二人の侍女というのは、最小限を下回った手数だ。無理を押してきたのは自分なので、エルデバードも仕方なく働いた。

 使用人たちは皆、寡黙だった。全員がなにかいつも、困ったような顔をしている。ジェイルの人選によるものではなく、本邸の家令が決めたものだ。不満も言えず、エルデバードは辛気臭い雰囲気を払おうと、翌日すぐにシャルロッテの別荘を訪ねる手配をした。





 シャルロッテの別荘は、白磁の壁も美しい建築だったが、それよりも目についたのはその広い敷地だ。町中に近くありながら、屋敷の裏側は見渡す限りの草原になっている。ひとつひとつの馬房が広く、厩の清潔さも含めて、よく手入れされているのだと分かった。

 エルデバードは、去年の夏に鞍をつけるようになったという若い牝馬を選んだ。経験が浅い、とシャルロッテはあまり薦めなかったが、目が合ったのだ。合ってしまったものは仕方がない。


「エルデバード様。王都で見た時から気になっていたのですが、靴紐が少々、傷んでらっしゃるようにお見受けしますわ。失礼なことを言って申し訳ありません、きっと思い入れのある大事な乗馬靴なのですわね。けれど、私、心配性なのです」

「ああ……本当だ、気づかなかった」


 馬との相性を見ながら、慣らし程度に走らせた後で、シャルロッテが真顔で指摘したのは、エルデバードの乗馬靴の擦り切れそうな靴紐についてだった。よく確かめもせず締めていたが、少し衝撃があれば切れてしまいそうなほど古くなっている。

 馬を愛するがゆえに、乗り方にも一家言あるのだろう。詫びを挟みながらも、靴紐を替えるよう、はっきりと進言してくる。

 エルデバードはすぐにそれを受け入れた。思い入れがあるという訳でもなし、それに安全に気を配るに越したことはない。


 そう――馬は時に、危険だ。具体的に何があった記憶はもちろんないのだけれど――。



「よろしければ、馬具店にご案内いたしますわ。この街には、いい技術者がいるのです」

「それはありがたい。ぜひお願いしよう」


 シャルロッテは、わずかに驚いた顔をした。すぐに隠したが、エルデバードは見逃さない。なぜなら、それが最早見慣れた表情だからだ。


 周囲の人間たちは、よくこんな顔をする。学舎に通ったのはほんの十日ほど、すぐに夏季休暇に入ってしまったが、教室で何度も見たものだ。エルデバードが何かを言ったり笑ったりすると、微かに驚き、それをすぐに隠す。

 きっと何かおかしなことを言ったのだろう。だがそれが何かは、分からない。


「もちろんですわ。エルデバード様のご都合に合わせます。いつがよろしいかしら」

「なに、両親がいるわけでなし、用など何もない。私はいつでも十分な時間がある。その……部屋を片付ける以外はな」

「え?」

「いや、シャルロッテ嬢に合わせよう」

「はい、私も父がまだ王都におりますから、母と二人気楽なものですわ。では、明後日にでも」

「もちろん構わない。昼食の後に迎えに来よう」

「お待ちしております」



 管理人の妻が作る料理は、田舎料理だったが美味しかった。懐かしいような感覚さえある。記憶はないが、きっと何度も口にしたことがあるのだろう。そうして、彼女は、味を褒めるエルデバードに対して、驚いた顔を隠さなかった。目が落ちそうなほど見開かれ、口がぽかんと開いている。すぐに夫に引きずられて行ったが、つまりはやはり、エルデバードの言動がそうさせたことは明白だった。


「なあジェイル。私はどんな人間だった」


 夜、私室でベッドメイクを教えてもらいながら問うと、ジェイルは無表情のまま、


「聞いてどうする」


と、答えた。


「どうするわけではないが、気になった」

「今まで気にしなかったのに?」

「ああ。おかしいかな?」

「いや、おかしくはない。気にならないほうがむしろおかしい」

「そうか」

「ベッドに手をつくな、しわになるだろう!」

「これからここに寝るのに!?」

「はっ、そうだった。つい従僕の指導のつもりで」

「私もそう錯覚しかけるほどだ」


 答えをごまかされたのだ、と気づいたのは、ベッドに入って目を閉じてからだった。

 だが、まあいい。エルデバードはジェイルの答えには拘らなかった。自分で整えたベッドは寝心地が良く、すぐにエルデバードを眠りに誘ったからだ。

 深く眠る。記憶を無くして以来、眠りは至上の幸福だった。









「よろしかったのですか、エルデバード様」

「構わん。私からの礼だ」


 約束の日、馬具店で靴紐を替え、ついでにキュロットを購入した後、デミの鞍を誂えることにした。デミ、というのは、昨日エルデバードと目が合った牝馬のことだ。去年デビューした彼女は、古いお下がりの鞍を使っていたため、これを彼女専用に作らせる。シャルロッテのいう通り、良い技術者がいるようで、皮のなめし方などは王都に引けを取らないほどだ。


「刻印はいかがいたしましょう」

「リャナザンド家のもので」


 シャルロッテの家の刻印を焼き入れするよう指示し、彼女の侍女が手続きをしている間、ジェイルはと言えば、店内の物を矯めつ眇めつ熱心に眺めている。その姿を見て、ようやく気付いた。


「礼、というのが馬にばかり向けられているのは、いかがなものか」

「自分で自分に苦言を呈するようになったのか、お前。いよいよだな」

「いよいよなんだ!」

「女性と言うのは、甘いものが好きらしい」

「ぐっ……」


 こそこそと男二人、シャルロッテに対しても礼が必要だろうと話し合う。短鞭を目を輝かせてみているシャルロッテだが、女性には変わりがない。


「あー、シャルロッテ嬢。この後、お茶でもご馳走しよう。君への礼だ。だがいかんせん、店を知らん。良ければお勧めの店へ行こうと思うが」

「まあ……ええ、その、もちろんですわ。では、行きつけの紅茶店がありますので、そちらへ」


 例によって驚きの表情と共に、彼女は案内を買って出てくれた。

 外に出れば、すでに日は高みから少し下がっているものの、やはり気温は高いようだ。海沿いの風は強く、さほど体感では暑さを感じないが、シャルロッテ嬢は帽子をかぶり直し、日焼けを多少気にしていた。いつも馬で駆け回っていはいるものの、そういうところは女性らしい。エルデバードは、ほほえましい気持ちになった。


「こちらの店ですわ。魔力持ちの店員がいて、店内を多少涼しくしてくれていますの。あ、もちろん、お茶も菓子もとっても美味しくて……」


 青く塗られた扉の小さな菓子店に連れていかれ、シャルロッテ嬢を制してそれを引き開けようとしたところ、中から先に開いて驚いた。中から出て来たのは小柄な侍女服の女で、エルデバードは紳士らしくかすかな目礼をして扉を支えた。侍女は驚いた顔のまま、戸惑ったように扉の脇に立ち、主らしき女を待った。

 出て来たのは、青い簡素なドレスの女だ。


「リシュリー様……」


 シャルロッテの呟きに、礼儀正しく逸らしていた視線を戻して女をまじまじと見てしまった。確かに、それは屋敷に見舞いに来たことのある、リシュリー・フェルニッツだった。

 相変わらず、ぴくりとも動かない表情をしている。王都を遠く離れた別荘地で偶然会った驚きも、もちろん喜びもない。


「……ごきげんよう、エルデバード様、シャルロッテ様」

「あ、ああ。そういえば、療養すると言っていたな。こっちに来ていたのか」

「え? ええ」

「体はいいのか」

「大事ございません。お気遣いに感謝いたします。菓子が傷みますのでこれで失礼いたしますわ」


 珍しく少しだけ動揺した後姿を見送っていると、ジェイルがそっと囁いた。


「療養の件は、立ち聞きしたんだ。お前は女性の会話をこっそり聞いていました、と、たった今、当人にご報告申し上げたわけだ」

「……口が、この口が!」


 リシュリー以上に激しく動揺したエルデバードの後ろで、シャルロッテが呟く。


「まるで交換したようですわね……」


 心乱れつつもどういう意味かと首を傾げると、彼女は、同じく後姿を見送っていた視線を外してにこりと笑った。


「さあ、ここのりんごの焼き菓子は絶品ですのよ!」

「菓子……、おう、菓子な……」


 甘いものが苦手なエルデバードは、できるだけ小さい菓子を選ぼうと決めて店内に足を踏み入れた。

 甘い匂い。菓子の匂い。それに混じって残る、微かな花の香りがあった。薔薇の、花の、残り香のような彼女の気配。











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