プロローグ 1 12月11日
プロローグ 1 12月11日 故郷に戻る男
それは冬の凍える寒さを超え、春の訪れを感じさせる少し肌寒い風が舞う日であった。
「……」
今まで過ごした街に別れを告げ、電車に乗り込む青年の表情は、悔しさをあらわにしていた。
「クソッ!」
閉じた電車の扉を蹴り上げる青年。周囲に他の乗客は一人もおらず、青年の行動を咎める者や哀れみ批難の目で見る者いない。
青年は再び口惜しさを表情に滲ませる。
「あんな別れ方絶対に許さないからな」
青年は周囲を気にすることなく呟く、青年の乗った電車が動きだした。出発した電車の窓からみえる景色は徐々に速度を増していき、すぐに自分が育った街の景色は別の景色へと移り変わっていく。田舎では無いが都会でも無い中途半端な自分が育った街を思い出しながら、青年はある日の事を思いだしていた。
「行くな、秋斗っ!」
冬の寒い日、学生服を来た青年は目の前で背を向ける同じ学生服を着た友人らしき青年の名を叫んだ。
「 ―― 悪い、これでさよならだ」
しかし秋斗と呼ばれた青年は、自分を引き留めようとする青年に別れを告げその場から去って行く。
「秋斗! あんな状態の冬香をおいて行くのか! 秋斗ぉぉぉぉおおおお!」
青年の叫びも空しく、秋斗はそれから一切振り向く事なく自分達が生まれ育った街から姿を消した。青年は去りゆく青年を引き止めはしたがそれ以上の行動を起こす事は出来ずに、その場に立ち尽くし茫然と秋斗の背中を見つめていた。
『次は、○○、次は○○です』
車内アナウンスによって約一年前の過去の記憶から現実へと意識が引き戻される青年は、周囲を見渡し座っていた座席から腰を上げると車両の扉の前に立った。
「もう一年も経ったぞ……秋斗」
何処にいるのか分からない友人に語り掛けるように呟いた青年。それを待っていたかのように、電車が駅に止まり、扉が開いた。
「……」
青年は右も左も分からない駅に降り立つと、何かを決意するように歩き出していくのであった。
「あれから……十年か……」
電車に揺られながら、見知った景色を目で追う男。時は経ち、あの日、友人の事を想いながら故郷である街を旅立った青年。すでに青年というには歳をとり、だが中年というにはまだ早いのではないかという複雑な心境を抱える中途半端な年齢に達した元青年は、自分の故郷、街へと向かう十年前とは逆である下りの電車に乗っていた。
十年という時間の経過にも関わらず、全く変わらぬ風景に虚しさとも安堵とも言えない複雑な表情になる元青年は、一つ息を吐いた。
「……結局見つけられず……ここに戻ってきてしまったな……」
元青年は座っていた座席から立ち上がると、十年前には見られなかった右足を引きずるという行動をとりながら車内の扉へと向かって行く。ゆっくりと駅に止まる電車は完全に停車すると、右足を引きずりながら歩く元青年が車内の扉の前にたどり着くと、待っていたかのように車内の扉が開いた。
「さぶぅ……」
車内の扉が開いたことにより、外気が車内に入り込み、その寒さに元青年は体を震わせた。
どうも近い内に自分の故郷に雪が降るという話を聞いていた元青年は、これは本当に振りそうだなと、さして嬉しくも無い雪の事を考えながら、見知った駅を歩いて行く。
「変わってないな……」
完全に変わってないという訳では無い。駅のある場所に書かれた小さな落書きや、ボロボロになったアスファルトなどは当時よりも綺麗になっており、変わっているが、元青年が感じる、駅の雰囲気というものは当時と全く変わっていなかった。
改札口の前に立つと、そこから覗く街並みが元青年の視界に入ってきた。やはりそこも殆ど変わっていないなと頬をほころばせる元青年。
潰れているのか潰れていないのか分からない店や、よく学生の頃に使ったコンビニなどは未だ健在のようで、元青年の心には当時の色々な記憶が蘇ってくる。
何気なく視線を改札口の上の方に向ける元青年。
「何がようこそだ……」
改札口の上にはようこそと書かれた街に来た者を歓迎する横断幕が張り付いており、元青年はその横断幕に小さく悪態をついた。
元青年が育った街にはこれと言った名物となる者は殆どない。そんな街に来る者は殆どおらず、元青年にはその横断幕が滑稽にしか見えない。
改札を抜ける青年は周囲を見渡し、もう何度も感じた全く変わっていない街並みを見渡す元青年。
「あーあれだな……まだあるんだな……」
元青年の視線に入る、この街には不釣り合いのお洒落なBAR。今はまだ昼時であり開いていないそのBARの名前は、『日々平穏』というお洒落な外観をぶっ壊してしまう何とも言えない店の名前。
元青年は学生時代、このお洒落なBARに憧れ、二十歳を迎えたら行ってみようと小さな願いを持っていたが、結局このBARに行く事なく元青年はこの街を出ていってしまった。
「まさか……こんな形で行くことになるとはな……」
青年は休暇や遊びで自分の故郷に戻ってきた訳では無い。それはすでに私用に近いものではあるが、れっきとした彼の仕事の一つであった。
「……さてその日がくるまで何をするか……」
元青年は日々平穏を一瞥すると、慣れ親しんだ街をうろつくのであった。