11 火に油を注いだと言っても過言ではない
オバサマは日傘をたたみ、ステッキのように構えてずい、と日陰、アタシたちの方へと大股で近づいてきた。
片手で引いている、派手な花柄のキャリーカートが駐輪場の段差でごとん、と跳ねて中から茶色っぽい小さな粒がいくつもこぼれおちる。どうも、キャットフードのようだった。
「アナタがた、何を捨てるおつもりなのかしら?」
ずい、とアタシの目の前に進み出たオバサマから、ぷーんと濃い花の香りが漂う……防腐処理でもしているかというくらい。強い香水をバケツで浴びているのだろう。
「何を捨てるおつもりなの?」
繰り返す濃い色の唇についつられ、アタシと池っちの目線が、つい自転車の前かごに向く。
オバサマも気づいたのか、アタシたちの目線を追って前かごを覗きこんだ。その時
「ふシューーー……」
鼻でも噴くようなかすかな音がエコバッグから聞こえてきた。オバサマは勝ち誇った目を上げ、アタシを睨む。
「この子を、棄てよう、っておつもりなのね?」
「はあ」
池っちも、部外者のクセして妙に神妙な口調で割りこんできた。
「だってコイツ、友達が拾ったのを押しつけられたんスよ」
「んまっ」
オバサマは息を吸い込んだまま、卒倒しそうになっていた。みるみるうちに顔色がまっ白に、そして白くなったところから今度は赤みが射してきた。
「アータがたね」
裏返った声はそう聴こえた。
「いったん預かった大切なイノチですのよ、それを面倒くさいからって理由で棄てるなんて」
「いや別に面倒とか」
面倒というより身の危険を感じて、と続けたかったのだけど、オバサマのキンキン声が遮る。
「アチクシはね、そーいう発想の方々がいっちばん、いっっっっちばん、いっっっっっ」
かなりのけぞっている。鼻の穴から白髪交じりの鼻毛が覗いている。
「っっっっっちばん、許せませんのよっ!!」
ああこれ、自らの怒りに更に火がついてしまうタイプのヒトだ。
そして正しいって思っちゃうと、もうずんずんアクセル踏んじゃうタイプ。
「アチクシはね、ずいぶん前からこの辺りをずっとずっと見回ってますの、可愛そうな棄て子ちゃんたちがいるたびに、その子にご飯をあげて、とってもとってもとっても可愛がってますの、でね、他の通行人からいじめられないか、毎日毎日まいにち監視しておりますのよ」
ちっ、連れて帰ってるわけじゃあないのか。もしかしたら、このオバサマがみどろちゃんを引き取ってくれるかも……って少しだけ期待してしまったアタシの馬鹿! 馬鹿!
池っちは、と見ればすっかりお説教モードに対応した体勢に入っている。つまり、ややうつむき加減で嵐を無難にやり過ごしているって感じ?
黙っているアタシたちに対し、オバサマは更に加速する。
「だからアチクシ、たまに可愛い子たちを棄ててく連中にも出あいますの、そんな時にはもうね、何でしょ、そりゃあ奴らと闘ってね、もうこてんぱんに……」
やばい。オバサマ、すっかり興奮状態だ。小刻みに震えてる。漏らさなきゃいいけど。
「こてんぱんに言ってやりますの、そんな非人道的な、ハレンチな、犯罪ですのよ、そうアナタたちのやっていることは犯罪ですの、天に罰せられますの、地獄に堕ちますの、そんなそんなそんな可愛い子たちを」
エコバッグを指し示す指まで震えている。「そんな可愛い子をなんてこと可愛いかわいいかわいいかわいいか」
エコバッグから触手が伸びたのに気づいたのは、多分アタシだけだ。
それは一瞬のこと。
触手は素早くオバサマの頭上にまで伸び、ぴょる、とオバサマを巻き取った。
巻き取ったしゅんかん、触手の表面が薄く伸び、オバサマをぐるりと包みこむ。もちろん伸ばした手の指の先まで、反対の手にあった日傘と、でっかいキャリーバッグまでぜんぶ。
オバサマ一式はうっすらと赤い飴のかかったリンゴみたいにすっぽりとくるまれて、悲鳴ひとつあげることなく、きゅっ、と丸められ、引っ張り込まれてしまった……アタシの自転車の前かご、エコバッグの中の、みどろちゃんの内部に。
池っちが目を上げた。
「あれ? アイツもういなくなった?」
うん、そうだねいなくなった、と棒読みで答えるアタシに、じゃあなー、『コミュ』の意味分かったら教えろよなー、と呑気に手を振って、池っちは去っていった。
まあとにかく……食べられなくてよかったね、池っち。




