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街の神秘と憂欝

作者: ととのえ


 ある哲学者の言葉と概念を借りるとするならば、この広大なる砂漠からほんの一粒砂を取り払ったとしても、それが砂漠であることには変わりないのでしょうし、事実わたくし達の目で確かめたところで一つの変化も感じることはできないのでしょう。それでしたら、この眼前。果てまで広がる黄土色の粒も、今や干上がり見る影の無い海と同じこと、同じこと。


 からっからに乾いた喉から気を逸らすかのように、少年は目の前にいる少女の様をじい、と見つめておりました。逆光のせいか、彼女のすべてが真っ黒に見えます。少女は何か木で出来た丸いものを転がしていましたが、遊んでいるわけでもなく、かといって特別意味のある行為なわけでもなく。ただ井戸から水を組む時と同じ感覚で、無感動に丸いものを転がしていたのです。

 石で出来た固い建物。陽だまりを避けて這いつくばる影。その中に少年はいました。建物にはもう誰も住んでいません、皆どこかへ行ってしまったのです。

 ある朝彼が目を覚ますと、既に周りには誰もいませんでした。いくら呼んでも乾いた砂が喉にはりつくばかりで、一つの返事も聞こえません。潤そうと近付いた井戸の、中には水一滴も無く。空っぽの胃を満たそうと覗いた家々の、パンの欠片一つも無く。じりり照りつける太陽のいくら待っても沈まないのを見て、とうとう少年は皆が自分を置いていったのではなく、自分が皆を置いていったのかもしれないと思いました。けれどあえてそれを認めようとはしませんでした。少年が捉えられる世界は平生と変わらない、今まで通り暮らしていた場所だったからです。

 風の音に混じって、少女が木を転がす音が聞こえました。ころり、からころり、ころり、ころり。その音で、彼は飛びかけていた意識を再び戻す羽目となったのです。しばらくの間忘れていた飢えと渇き、それから寂しさが、じわじわと少年を攻め立てます。


「さびしい」と、少年は掠れた声で言いました。「さびしい、ここは熱いはずなのに、とうても寒いくて、さびしい」


 零した音に反応してか。少女は動きをふと止めて、少年の方を見ました。そこで彼は初めて、少女が逆光のせいで黒く見えたのではなく、少女そのものが真黒く塗り潰されていることを知ったのです。


「さびしい」と、少女は見えない口で呟きました。「さびしい。さびしいくても、温かいわ。とうても」


「暖かくはないだろう。じじつ、たいようは熱すぎて。ぼくのからだが、とけてしまう」

「きみがとけているのなら。きっとわたしも、とけてしまうのでしょう」


 途端、少女をかたどっている主線がぐにゃり、と歪みました。少年もとうとう暑さに耐えきれなくなって、倣うようにして体から力を抜いたのです。

 少年には少女がどんな存在であるのかが、少しずつわかってきました。だからこそ、その正体を彼女自身に尋ねることもしなければ、自分の中で結論付けることもしなかったのです。ただ、熱をもった肢体の、冷ますようにすう、と風が吹き抜けて。涼しさに目を閉じて安堵の息を彼は一つ、吐き出しました。


「あなたの、くらしていたまちは、どんな、ところ」


 拙い言葉で、少女は問いかけました。いつの間にか彼女は少年の隣に腰かけていて、いたわるように彼の右手に自分のを重ねていたのです。


「きれいだった。むずかしい、ことばでいうとするならば。とうても、とうても、しんぴてき、だったのさ」

「でも、熱いのでしょう」

「うん、熱いかった。けれど、いまみたいに、かぜがふくとき。涼しいくて、なによりも、きもちよかった」

「そう。たしかにいまは、とうても温かくて、涼しいわ」


「だからどうか、おねむりよ」少女が少年に語りかけて。抗うことなく少年は瞳を閉じました。繋いだ手が熱くて、そこだけが生きているようです。

 ふ、と、途端に少年を苛んでいた飢えと渇きが治まりました。涼しさはいよいよ極まり、暗い視界に町の皆の笑顔が浮かびあがります。鼓膜は見たこともない海の音を届け、鼻先をくすぐるのは柔らかな花の芳香ばかりです。「温かい」そうして少年は久しぶりに微笑み、今だけ、生きるのをやめました。





 街を支配するのは神秘と憂欝です。少女は誰もいないその場所で、何か木で出来た丸いものを転がしていました。吹いた風が丸いものを動かして、少女は慌ててそれを追いかけます。

 途端、足を止めた彼女が認めたのは、一人の大きな影です。迫りくる足音と冷えた汗が背中を粟立てて、彼女は、彼女は。





 さみしい、と。



キリコの「街の神秘と憂欝」をイメージして。

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