2012 佐々木の白と黒
ひな子とプチ同棲中の一幕
「終電が無いんですか」
修二は笑顔で頷き、走って来たタクシーを止めた。
呆然としている先輩を押し込む。
「ちょっと、女の子一人で深夜タクシー? そんな物騒な」
可愛かった化粧がはげてしまった顔で、先輩が目を吊り上げる。
『29歳で”女の子”じゃねーだろ、勘弁してよ』
その呟きは、ぎりぎりの所で口に出さずに済んだ。
タクシーに顔を突っ込み、先輩の苦情にお答えする。
「安全ですよね!」
「はぁ?ふざけ……」
「ね、運転士さん」
タクシー運転手のおじさんが、ニヤッと笑って手を挙げた。
「安全は1000%保証するよ。その座席の裏のタクシーカード、お兄さん持って行きな!」
微笑んで頷き返し、おじさんの言う通りタクシーカードを抜き取る。
男同士、見つめあうだけで凄く分かりあえた気がした。
タクシーカードというのは、運転士の名前と車のナンバーが書かれた紙だ。
自分の彼女を一人タクシーに乗せる時、心配であれば貰うようにしている。
失礼なようだが、忘れ物をするかもしれないし、貰っておくにこした事は無い。
……言うまでもないが、今回は「男が私を狙うかもしれないから危険!」と主張する先輩への義理で貰った。
タクシーカードを手にしたまま、ひらひらと手を振った。
「先輩気を付けて下さいねー!」
我ながら、素晴らしい棒読みだ。
あのレベルで、何故「いい女」のつもりで居られるんだろう。
「技」を知っているつもりで、使うべきでない人間が使う。
世の中には、えてしてそう言う過ちが多い。
高校時代から今まで、ずーーーーっとそういうのに晒されて、もうアレルギーになった。
『あたしはいい女、男なんかこうやれば落ちる』
みたいな安っぽーい、余裕の無い手口。
今夜もアレルギー反応ばりばりだ。心底勘弁して欲しい。
『太ももに触られるの、気持ち悪いです』
『胸板が厚いねといわれるの、嘘だと分かります。俺鍛えてるけど痩せ過ぎギリギリです』
『仕事ができそうって……あんた俺の仕事理解してないでしょ?』
『英語ペラペラで凄い? 喋れなかったら親コネ有っても採用されないよ。そもそも』
『出世するには結婚必要? そっかー、ひなさんを頑張って口説こう!よし、待ってろよひな子!』
『可愛いって言われるんだ。口説かれるんだ。早く結婚出来ると良いですね!』
心にわだかまった毒素を全部吐き出す。
そもそも、女に褒められ、べたべた触られても、不快なだけで嬉しくない男は居るのだ。
下品で嫌だ。
そんなもので、喜ぶような男しか口説いて来なかった女なのだろう。
願い下げだ。
24歳だからってバカにしないで欲しい。
スーツをぱっぱっと払った。
まとわりつかれていたので、香水臭かったらどうしよう。
他の同僚が煙草を吸いまくっていたので、その匂いでごまかされるだろう。
飲み会、やっぱり時間の無駄だ。異様に疲れた。
『でも、営業企画の先輩には顔売っときたかったんだよな、うん、収穫は有った』
急いで駅に走る。
ギリギリ終電に間に合った。
最寄り駅で降り、寮まで急いだ。
「ただいまー!」
「……おふぁえりなさーい」
相変わらずぽやーっとした顔で、ひな子が出て来た。
もぐもぐ言っている。
いつものように、ジュースに入れた氷を舐めているのだろう。
今日も頭をくるくると団子にして、ブカブカのワンピースを着ている。
通販で買った『大人可愛い何とか』というものらしくて、異様に気に入っていてしょっちゅう着ているのだ。
寸胴シルエットで、子どものスモックみたいだった。
……でもとても可愛いので問題ない。
「おつかれさま!あ、たばこ臭い……」
そう言って、玄関先にどでんと置いた消臭スプレーを思い切りかけられた。
「ありがと」
「うん」
ひな子が背広を受け取り、湯を張ったらしい、湿気のある風呂場に干しに行った。
これで匂いが取れるだろう。
「早くズボンも頂戴」
「あ、うん」
急いで着替えると、ひな子がズボンを手にちょこちょこと風呂場へ消えて、すぐに戻って来た。
「ご飯あるけど、今日は要らないよね」
「いや、ほとんど食べてないから何か頂戴」
抱きついたまま言うと、ひな子が頷いた。
「何か今日は、いつにもまして甘えてるー」
ひな子が目を細める。
ずっと年上なのに、子猫のようで可愛くてたまらない。
「そうかなぁ」
「疲れたの」
「うん……」
「でも、修二さんは仕事出来そうだし、頑張りがいあるでしょ?」
「……!」
頭の中で複数の花火があがる。
『し、仕事ができそう……!仕事が出来そうって言われた……!』
嬉しくてもう一度、思い切り抱きしめた。
「うん……!」
「英語とかも使ってるんでしょ。すごいよねー。かっこいい。私英語で「鉛筆」って書けなくて、後輩に呆れられたもん」
『え、英語がカッコいいって……やっぱり次のTOEICは満点を目指そう……!』
ひな子がもがき、すぽんと顔を出し、自分のぎゅーっと腹を押した。
「……はぁ、凄い腹筋だ。わたしも腹筋しなきゃなぁ」
『腹筋を褒められた!』
「よし、じゃあ今ご飯出すから待ってて」
「はい」
ぽうっとなりながら、ソファーにへたり込む。
こんなに褒められて、今夜は言葉だけで天国へ行けそうだ。
ひな子は台所で何かをレンジに掛け、鍋を温めている。
「焼き魚とほうれん草のおひたしと、みそ汁とご飯です」
「やったー!」
魚はスーパーで粕漬けで売っているものをフライパンで焼いたもの。
ほうれん草は鍋にぶち込んで茹でて切り、ポン酢をかけただけ。
みそ汁の具もインスタントの水煮を使っている。
ご飯には、お気に入りらしい通販の雑穀が混じっている。
……相変わらず最低限の労力で作られた、美味メシだ。
「すっごい嬉しい。ひなさんありがとう」
「うん!」
ちゃぶ台でむしゃむしゃ食べている自分を尻目に、ひな子はソファーで漫画を読んでいる。
『また凄いの買って来たんだな……猟犬みたいな目してるもんな』
参考までにあとで借りよう、と思い、みそ汁を流し込んだ。