1976 霜園と伽倻子 3
「……」
「あのー……」
「……」
「生きてる?お嬢さま」
「……」
布団に埋もれていたお嬢様が、もぞもぞと動いた。
病弱なので、決して手荒に扱わぬよう、嫌がる事は決してせぬよう、澤菱家の人間に厳命されたことを思い出す。
「はあ……」
夜中に伽倻子が一人で、自分のおんぼろアパートにフラフラとやって来たのだ。
お人形のような着物姿で、ハイヤーでやって来たのだと言う。
そして寒いと泣き出した。
まあ、何一つ我慢をしない女だとうっすら知っていたが、勝手に真夜中に家を出て、勝手に寒くなって泣いているわけだ。
「おーい、寒いの?」
「寒い……」
蚊の鳴くような声で伽倻子が答えた。
灯油が勿体ないが、ヒーターの火を入れてやる。
「伽倻子お嬢さん、電話でハイヤー呼んでやるから帰れや」
「嫌だ、帰らない」
「何でだよ!バカ!」
「さ、佐々木が最近来ないから。お、夫に選んでやったのに恩知らずだとおもって、それで」
どうしようもない理由すぎて、脱力した。
「いやいや、やっぱ悪いかと思って。俺もっと色っぽいお姉さんが好きなのよ、ごめんね、伽倻ちゃん」
「お前に断る権利はないぃぃぃ……」
グスグスと泣いている。
広田のオッサンが、あまり泣くなと世話を焼いていた事を思い出した。
病弱らしいので、泣かせない方が良いんだろう。
異常に寒がっているし……。
「ま、わかったよ。ヒーター入れたから。温かいか?」
「さむい」
「はぁ?」
「き、今日も頑張ったのだ。でももう、私は崩れ始めているので、力をふるう度に飢えてならぬ」
「……?」
「さ、寒い……」
着物姿の伽倻子が、布団をかぶってうずくまる。
大分ヒーターも効いて、温かいのに……。
悪い風邪でも引いたのだろうか。
「……佐々木」
「?」
亀のように布団をかぶった伽倻子が、細い真っ白な手を布団から出した。
「来て」
「は?」
「わ、私に食べられて……」
耳を疑うような艶かしい言葉が聞こえた。
変な汗が背中を流れる。
ヒーターを強くしすぎたか。
うっかり澤菱家のお嬢様を連れ込んで抱いたりしたら、そのままマグロ船にでも乗せられて、強制労働の挙げ句に海へ放られるのでは……。
しかもそもそも連れ込んでないし……。
『なんだ、この娘っ子……』
真っ赤な顔の伽倻子が、布団をはねとばしておき上がった。
「お前は私の雄なんだ。少しは役に立ったらどうなのだ!いつもいつも雌をいじめて、ゆるさないから!」
黒いはずの目が、紫色に輝いているのが見えた。
「は?!」
安アパートの、すすけた壁が色を変える。
甘い光が、額から体の芯を貫き、自分の内側を満たしてゆく。
青い燐光が見えるが、どう考えても自分が光っている。
「?!」
訳が分からない。
伽倻子に、視線が引っ張られる。
周りが暗い。伽倻子しか見えない。
じー、と自分を見ていた伽倻子が、莞爾として微笑み、ぴょい、と腕の中に飛び込んで来た。
温かく柔らかく、気が狂うほどに甘い香りがする……。
腕の中で伽倻子が呟いた。
心をかき回す、鈴のような声だ。
「私を愛していると申せ。雄なら雄らしく、雌に粉骨砕身、奉仕してみせよ」