1976 霜園と伽倻子 1
「わ、私の言う事を聞くのだぞ」
真っ黒な髪の美しい女が叫ぶ。
金襴緞子、とも呼びたくなるような、素晴らしい着物を着ているお嬢様が。
本当に痩せていて、20という歳には見えない。
なにもかもが少女のような、ちまちました愛らしい姿だ。
霜園は、今まで触った事もないようなすべすべの綺麗な畳に座り、ぼんやりと天井を見上げた。
何だか綺麗な透かし彫りのようなものがある。
何故こんな所に居るのだろう……。
背広の男達に車に乗せられ、ここに運ばれて来たのだが。
……自分は、工事夫だ。こんな場所は似つかわしくない。
安賃金で、様々な工事に借り出され、あくせくしている毎日だった。
地べたに座り込み、たばこと缶コーヒーを味わう事だけが楽しみだった。
今頃、安アパートの臭い部屋でごろ寝していたはずなのに。
「はあ……」
「なんだ、お前。私の言う事を聞くよう申し付けたであろう。くつろぐがいい!」
「腹減った」
「え」
女が、小さな拳をぶんぶん振るのを辞めた。
「お、お前は、お腹が空いたのか」
「ああ」
「ああではない!はいだろう!私を誰だと」
うるさい女だった。
とんでもなく可愛い顔をしているのに……。
「なあ、何かないですかね。握り飯とか」
「握り飯……」
美しいお嬢様が、困ったように首を傾げる。
小さな顔に、桜色の指先を当てた。
「わ、私が作ってやろう、未来のお、お、夫の為に」
真っ赤だ。小さな作り物のような耳の先まで真っ赤になっている。
「あのー」
「なんだ!」
お嬢様が、キッ!と顔を上げた。
かわいい。本当に20歳なのか。黒い子猫のようだ。
でも……。
「俺、いつあんたの夫になるって言いましたっけ……」
「えっ」
お嬢様が泣きべそ顔になった。
「め、め、雌が決めた事なのに。雌が決めたのに、雄のお前が、雄の……」
お嬢様が、綺麗な畳につっぷし、美しい帯を震わせて泣き出した。
傍らに控えていた年かさの男が、慌てたようにお嬢様を抱き起こす。
「そのようにお泣きになってはなりませぬぞ、ああ、お可哀想に、伽倻子様」
「あの、俺、明日早いんで、帰りたいんですけど……」
工事夫の佐々木が、全く話の通じない、変人のお嬢様に惚れるのは……ずいぶん先のことになる。