2-11 止めを刺したのは……
「いやあ、楽しかった。なんだか高校生だった頃のことを思い出しちゃったよ。でも、どうせだったらギルドのみんなでやりたかったな」
「確かに、知り合い同士で一個のことをやるのは楽しいですよね」
イオンの楽しそうな口調に、シェリイも笑顔で答えている。劇が終わってから終始放心気味だったシェリイも劇団のほうから出演料をもらって、再び散歩を始めてからは何とか通常のテンションを取り戻していた。
ちなみに、現在の時刻は午後五時ちょっと前。マップによっては一日中景色が変わらない場所もあるけれど、ここ、桜村では時間とともに空模様も変わり、今ではきれいな夕焼けが桜のオブジェを彩っていた。
さあ、こっからが勝負時よ! 映画でもこの時刻は「マジックアワー」って言うんだから!
そうして、シェリイとイオンは歩きながら所定の場所へとたどり着く。そこは、ちょっとした絶景ポイントの一つで、言うならば京都とかにある立派な枝垂れ桜を見ることができる場所だった。二人はそこでしばしの間、仮想空間ではあるけれど、しかし芸術的な光景に見入る。
そして、最後の作戦の舞台が整った。枝垂れ桜を望む円形の広場が与えられたプログラミングに従って、午後五時であることを誇示すべく、時間指定のギミックを作動させたのだ。
広場の中央にいるイオンとシェリイを囲むように幾筋もの噴水が吹き出し、まるで蛍のような色とりどりの光の玉が漂い始める。夕焼けに照らし出される枝垂れ桜の美しい怪しさと相まって、まるでこの地に眠る祖先の霊が永い眠りから覚め、舞を演じているようだった。二人を囲む噴水が光のカーテンとなって、レイの持っているカメラにはイオンとシェリイが向かい合っているシルエットが映し出されていた。
「イオンさん。私、ずっとあなたに伝えたかったことがあるんです」
シェリイが言うと、イオンが微かに頷く。
「ギルドに入る前、あなたに始めて会ったときから、ずっと、ずっと……」
言葉を詰まらせるようにひと呼吸おき、シェリイははっきりと、言った。
「私、イオンさんのことが、好きです! 大好きです! いきなりで迷惑かもしれないけど……つき合ってください!」
シェリイは遠心力で頭が飛ぶんじゃないかと思うぐらいの勢いで頭を下げた。そしてそのまま、しばらくの間沈黙が訪れる。イオンが口を開いたのは、噴水が収まった後だった。
「シェリイが俺のことをそう思ってくれるのは、すごく嬉しい。でも、ごめん。俺には、現実世界に彼女がいるんだ。いくら現実世界とアルカディアが違うって言っても、二人と当時につき合うことなんて、できない」
……開いた口が塞がらなかった。現実世界に彼女がいるですって! こ、これじゃあ、シェリイは……。
あたしが呆然としている間に、シェリイは顔を真っ赤にして、
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいいいいい!」
と、常人には発音できないスピードで連呼した後、脱兎の如き勢いでどこかへ走り去ってしまった。
「ここまでやったけれど、これじゃあ到底放送なんかできないわね……」
「……」
流石のレイも、今回ばかりは何の言葉も思いつかないようだった。
ボイスチャットで繋がっている『庭園大蛇』のメンバーのため息が、事の惨事を雄弁に物語っていた。
「あーもー。あとちょっとで上手くいくと思ってたのにー」
あたしは部屋のベッドに寝転がりつつ、布団をバンバン叩きながら、見事なまでにぐだっていた。
「でも結末がそれって、ちょっと情報収集が足りなかったんじゃないかなあ。彼女がいるって、知人だったら結構すぐに気づくものじゃないの?」
隣で文庫本に目を通している「そら」が、少し呆れ気味に言った。
「だって……。『庭園大蛇』のメンバー達って結構仲良さそうだったし、そのぐらい知っていると思ってたのよー」
ちなみに、私は今学校の寮の中にあるそらの部屋に遊びに来ていた。アルカディアの中の「ソラ」がボーイッシュな趣味をしているのとは対照的に、この部屋に置いてあるのはそれはもう少女趣味的なぬいぐるみやら、とにかくかわいらしいものばかりだ。
「じゃあ今回は相手が悪かったってことなのかな。イオンって人、ちゃんと弁えるところは弁えているって感じだったし」
「それもあるけど、イオンさんって、すっごく一途なんだと思ったわ。あんな美女に告白されてちゃんと断れるっていうのは、なんていうかいい男としか言いようがないわね……」
「そうだねえ」
とは言ったものの、一週間半ほどの時間を費やして行った作戦の結果がこれだなんて、あんまりだ。レイが撮影した映像をどうやって編集するかまで結構考えていたのに。それがどれだけ楽しみだったことか!
けど、とりあえず教訓。男女二人のうち片方がもう片方に惹かれていることを確認できない限りは、例え片方が完全に惚れていることがわかっていても、絶対にけしかけちゃだめ! 理由は……わかってるよね。
でも……やっぱり、スッキリしないわよ! 多分もうシェリイが個人対抗トーナメントには出場しなくて、今回の最低限(というか暗黙)の目的の一つが達成されたとしても、残り二つ……シェリイの引き抜きとスクープは完全に失敗じゃない!
ああ……もう……。
「そら~なぐさめて~!」
「ふわあっ!」
あたしがそう言って隣にいるそらに抱きつくと、勢い余って倒れると同時にとてもかわいらしい声で叫んでくれた。
作戦が悲惨な結末を迎えた次の日、あたしがアルカディアの世界にログインしてから何となくメニューウィンドウを開くと、レイからメッセージが届いていた。内容は、二十二時前までにメッセージに添付された動画を見てほしい。時間が無ければ、できるだけ早くスタジオに向かってほしい、とのことだった。
今の時刻は二十一時。アルカディアの二時間は現実世界の一時間だから、まるまる百二十分余裕があることになる。そういうわけで、あたしはレイのメッセージに添付されていた動画を見ることにした。
動画が再生されて、始めに映っていたのは緑の長髪をなびかせ、両剣を持つ女性。見間違えるはずがない、彼女は、『疾風乱舞の戦姫』、シェリイその人だった。周りの風景を見ると、そこは中世風の闘技場で、アルカディアではマップ名である『コロシアム』と呼ばれている場所だった。それも、期間限定の強力なボスモンスターが現れる為に、一度は入ったら生きては戻れない「公然の」曰く付きのマップだ。
そしてシェリイの目の前にはウィンドウが浮かんでおり、ボスモンスターを倒したことを告げる表示が踊っていた。よくよく見ると、マップの端々には魔法やスキル攻撃によって付けられたと思われる傷跡が残っている。シェリイはつい先ほどまでここのボスモンスターと戦っていたのだ。
シェリイは一つ息を吐くと、立ち上がってその場を立ち去ろうとする。
『ずいぶんと荒れているわね、何か大変なことでもあったようね』
と、その足を遮るように一人の女性が現れた。燃えるように真っ赤な長髪をビジネススーツに垂らし、いかにも仕事ができそうなその人物は、こちらも疑いようもなくあたしたちのプロデューサー、クイーンだった。
『あなたには関係ないでしょ』
その悠然とした佇まいに気が触れたのかはわからないけれど、シェリイは初対面の人にあるまじき棘のある口調で言う。しかし、クイーンはそれを一向に気にする様子を見せない。
『そうかしらねえ。少なくとも私はあなたよりも長く生きているし、経験もたくさんしているわ。だから、あなたがそうやって荒れている原因も、疑いようもなく分かるのよ』
突然の「分かる」宣言に、シェリイはクイーンがなにを言いたいのか分からない。いや、分かっていたのかもしれないけれど、それが分かりきっていることであるために「分かりたくなかった」。
だから、シェリイはそれ以上の会話を拒絶しようとした。
『うるさいっ!』
シェリイは言うと、手にした両剣でクイーンに切りかかる。個人対抗トーナメントで十一連勝しているだけあって、全く無駄がなく十分不意打ちになりうる、流れるような攻撃だった。
しかし、その刃はいつの間にかクイーンの手に握られていた剣に阻まれている。その事実を目の当たりにして、シェリイは驚きのあまり息を呑んだ。
それも当然だ。クイーンの装備はビジネススーツだけであり、帯刀状態の剣さえ装備していなかった。普通、武器を装備するにはメニューウィンドウを開く手間が必要だ。それは《デスペレイト》であるシェリイや、シンジ君も例外ではない。
そして突然、クイーンの手から剣が消え去る。受け止められていた力がなくなり、シェリイは前のめりにバランスを崩す。クイーンは倒れてくるシェリイを支えようとせず、軽いステップで背後に回った。
慌てて体制を立て直したシェリイに向き合いつつ、クイーンはメニューウィンドウを開いて一つのアイテムを取り出し、それを前に突き出した。すると、水上都市ヴィネル、『週間どらゴン通信』のスタジオのあるマップの簡易地図が中空に投影される。
『あなたの求めているものが、この場所にある。もしあなたが彼と『あの女』のことを知りたいのならば、なおさらよ。もちろん、どうするかはあなたの自由だけどね』
そう言ってクイーンはそのアイテムをシェリイの足下へと投げる。そしてきびすを返すと、何も言わずにその場から立ち去った。
動画は、それで終わりだった。
見終わってから、しばらく何もできなかった。相変わらず、クイーンは恐ろしい人だ。失恋した女の心までも利用しようとは……。自分が好きになった男が、別の女の事を想っているということを知ったとき、多くの場合、その人は男ではなく、その男が思っている女に激しく嫉妬する。当然、その女のことを知りたいと思うわけだ。それを利用するなんて、恐ろしすぎる……。
とはいえ、あたしにはあの状態のシェリイを説得する術もなければ話す勇気もない。クイーンの講じた策を見届けるしかないのだ。
あたしは少し身震いをすると、メッセージの内容を確認したという旨の文章をメニューウィンドウで打ち込み、レイに送信した。
時刻は二十二時。土曜日ならば週間どらゴン通信の時間だけれど、生憎と言うべきか今日は水曜日だった。
そして、『週間どらゴン通信』のスタジオは今、かつてないほどの威圧感を演出していた。あたしのような学生のスタッフはみんな別室待機で、ほとんど大人のスタッフしかいない。いつも会議室に使っている部屋には長机が置かれ、そこにずらりとスタッフが座る。そして、部屋の一番奥、いわゆる上座に座っているのが、『週間どらゴン通信』のプロデューサー、クイーンその人だった。ここまで徹底していると、なんだか自分が秘密結社の会議か何かを見ている気分にさせられる。
しばらくすると、クイーンが静かに口を開いた。
「来たわ。疾風乱舞の戦姫よ。進行は手はず通りにやるから、よろしくね」
部屋に入る全員が、クイーンの言葉に頷き、そして息つく間もなく、部屋にスタッフを連れ添った女性が入ってきた。
「ようこそ、『疾風乱舞の戦姫、シェリイさん』
クイーンは立ち上がって、やってきた女性の名を呼ぶ。
「その呼び方はやめてください。もう通り名はいらないんです」
おや、と眉をあげたクイーンに対して、シェリイはためらいがちにまた口を開いた。
「あなたが、クイーンさんですね?」
「ええ、そうよ。マップと一緒に入れておいたメッセージは呼んでくれたようね」
シェリイは頷くと、迷いを断ち切るようにして、言った。
「クイーンさんは、彼と、あの女の事が知りたいなら、って仰いましたよね。それって、どういうことですか、そんなことが、あなたたちに可能なのですか?」
「ええ、確かにそう言ったし、実現も不可能ではないわ。けれど、それには条件がある」
この言葉にシェリイが怪訝な表情をするのをたっぷりと見届けてから、クイーンはまるで禁忌を誘惑する魔女のような笑みを浮かべ、言った。
「あなたが、この番組のスタッフになることよ。条件、というよりも、方法論そのものだけどね。ここには、アルカディア内のあらゆる情報を集めるだけの人材と人脈がある。取材を続けていれば、嫌でも噂話は耳にするわ。人の口に戸は立てられないってね。もちろん、強制はしない。あなたが話をここのスタッフに聞けばいいだけの話よ。まあ、直接自分で調べたほうが早いのは確かね」
クイーンの提示した条件に、シェリイは難しい表情のまま黙りこくる。しばらくしてシェリイが言うべき言葉見つけられずにいるのを確認すると、クイーンは追い打ちをかけた。
「知りたくないの? 彼と、あの女のことを」
「知りたいに決まっているでしょ!」
クイーンの言葉に、突然シェリイが激昂した。
「でも、そんなことを知ったところでどうにもならないことも知っているんです! もう、どうしたらいいか分からないんです!」
そう言って、シェリイはその場に泣き崩れた。あまりな惨状にスタッフの間で動揺がわき起こる。あたしも、カメラ越しながらも緊張で心拍数が上がりまくりだった。
と、その時、小柄な影が長机の横を通り抜けて、シェリイの側に駆け寄った。男の子のように短い黒髪と、人形のように整った顔つき。いつもは重度の人見知りなソラが、その小さな手で泣き崩れたシェリイの頭を撫でた。予想外の事態に、クイーンすらも微かに驚きの表情を浮かべている。
「大丈夫。何かできるかは分からないけど、ボクたちは側にいることができる。だから、いっしょに、ここのスタッフをやろう?」
その不器用ながら屈託のない天使のような笑顔に、シェリイはしばらく惚けたような表情になり。
そして、シェリイの中で何かが、「外れた」。
「うわああああああん!」
突然、シェリイは目の前のソラを抱きしめ、大泣きし始める。結果的にとはいえ、その原因となったソラはいきなりの行動に目を白黒させる。シェリイはそのまま、結構な時間泣き続け、最終的には顔を羞恥の色に染めて元気に帰っていった。
こうして、シェリイは失恋のショックをクイーンにつつかれ、体制を崩したところで少女の屈託のない言葉によって、程なく番組に懐柔されたのだった。
うん。やっぱり、かわいいは正義、だね!
第二章「疾風乱舞は愛の疾走」 完
おまけ:シェリイのステータス(二章終了時)
レベル:156
所属:エデン
職業:ディバイダー(両剣弓使い)
習得済みジョブスキル
「一次職スキル」
・シューターソウル(レベル20)
永続スキル。レベル30までの遠距離系の武器(弓、銃)装備可能。遠距系武器装備時、攻撃力上昇。一次転職を行った後必ず習得。
「二次職スキル」
・ボウマスタリー(レベル10)
永続スキル。レベル70までの弓、ボウガンを装備可能。レベルによって弓、ボウガン系統の武器を装備時に攻撃力が上昇する。二次転職を行った後必ず習得。
・スレイヴ・ショット(レベル20)
同時に三発の矢を発射する。
「三次職スキル」
・ディバイドアロー(レベル45)
永続スキル。両剣弓が装備可能。レベルによって装備した両剣弓の攻撃力が上昇、体感重量は減少する。また、スキル発動させることでMPを消費する強力な貫通性能を持つ矢を発射する。
・ビースト・アーク(レベル24)
両剣弓を投擲することで発動。投げた両剣は使用者があらかじめ設定した角度を一定の距離を保ちつつ回転しながら飛び、帰ってくる。
・フレア・メビウス(レベル23)
両剣弓に炎を纏わせて攻撃する。確率で状態異常、火傷(一定時間HP回復不可)にする。
・ライトニング・ダンス(レベル14)
両剣弓を三百六十度以上回転させることで発動。両剣弓に雷を宿し、周囲に落雷を発生させる。両剣弓と雷両方に、確率で状態異常、麻痺(一定時間スキル使用不可)の効果がある。
「リミットブレイクスキル」
・リミットブレイク
スキルの限界レベルを上回って上げることができる。リミットブレイククエストを行った後、必ず習得。
・ゼピュロス・ブレイド
一定時間の間、両剣弓から衝撃波が発生するようになる。両剣弓の刃の回転が三百六十度までは衝撃波が連続して放たれ、それ以降は両剣弓を止めるか別の方向に振った時に再度衝撃波が発生する。
一度使用したらしばらく使用できなくなる。
「習得済みスロットスキル」
・観察眼(レベル20)
対象のレベル、装備、残りHPなどが分かる。スキルレベルが高いほど、自分と相手のレベル差が少ないほど多くのステータスを見破りやすい。
・鷹の眼(レベル20)
望遠鏡を覗くように遠くの物を見ることができる。スキルレベルが高いほどより遠い物を観察可能になる。
・ダッシュ(レベル20)
発動し、前方に踏み込むと高速で移動する。レベルによって最大移動距離と移動速度が上昇する。
・プロリス・ヴィジョン(レベル20)
発動し、MPを消費している間、視界の角度が広がる。レベルが上がるほど視界の角度は広くなり、現在360度の視界になる。