隠された復讐
「母さん、覚えてる?」
拘置所の面会室で、マチはその言葉にうつろな目を上げた。
穴の開いた透明なプラスチック板の向こうにいるのは、若い男性だった。
「母さん…って?」
「俺だよ。智。」
「……」
マチはぼんやりとその「智」という男性を見ていたが、やがてはっとして身を乗り出した。
「智っ!?あんた智っ!?」
「そう。思い出してくれた?」
智が微笑んでいる。
「あんた…11歳の時に児童養護施設に送られたっきり…」
「うん。…俺、もう21歳だよ。」
「えええっ!?あれから、そんなに経ったの!?」
「そう。早かったよ。ずっと寂しい思いしてたんだからね。」
「ごめん。本当にごめんよ…」
マチは両手を顔に当てて泣き出した。
「あんたにひどいことしたって思ってる…本当にごめん…」
智は微笑んで首を振った。
「いいんだ…実はさ、俺、弁護士になれてさ。」
「!?弁護士!?」
「運が良かったんだ。1回で試験を通った。」
「すごいっ!すごいよ、智!」
「ありがとう。その言葉を聞きたかった。」
智はうつむいて、黙り込んだ。涙ぐんでいるようだ。マチもうつむいた。
「それでね…母さんを弁護しようと思って…来たんだ。」
「えっ!?私を弁護!?」
「うん。国選弁護士を頼んだって聞いたけど、もしよかったら、僕に弁護させてもらえたらって思って…」
「そりゃ…そりゃ、お前がそう言ってくれるんなら、そうしてもらった方がいいよ!…でもいいのかい?私、お金も払えないし…それにあんたが小さい時、あんなにひどいことしたのに…」
「いいんだ。あれは母さんじゃなかったって…大人になってから思ってね。…きっと、精神を病んでたんだろうって…」
「そう!そうなんだよ!父さんがいきなりいなくなって…私、どうすればいいのかわからなくて…」
「うん。」
智はうなずいて微笑んだ。
……
「弁護士の相田さんですね。」
相田智は、拘置所を出たところでそう声をかけられ振り返った。
「初めまして。ルポライターの「西条」と言います。」
智は自分より年上に見える西条という男に、不審げな表情をして会釈した。
西条が名刺を差し出した。智も胸ポケットから名刺を取り出し、西条と交換した。
「面会でしたか?」
西条にそう聞かれ、智は「ええ」と答えた。
「自分の娘を殴る蹴るなどした上、食事を与えず数日間放置して死なせた「安村マチ」とですか?」
「…それが何か?」
「安村は国選弁護士を頼んでいたはずです。それなのに、どうしてわざわざあなたが?」
西条の目には敵意がありありと浮かんでいた。どうしてそんな人を、自らすすんで弁護するのだ…と言いたげだ。
「安村マチは私の母です。」
智がそう言うと、西条は目を見開いた。
「母を弁護するために、名乗り出たのです。母は喜んでくれました。」
西条は何も答えられないようだった。智は頭を軽く下げて、踵を返し歩き出した。
……
翌日も、智はマチに面会に行った。
「智!ああ、お前の顔を見るとほっとするよ!…取調べが半端じゃないんだよー…どうすればいいのか…」
「大丈夫だよ、母さん。母さんは、今も情緒不安定だよね?」
「え?」
「僕の時と同じように、気がおかしくなったんだよね?」
「…!…」
マチは何かを悟ったようにうなずいた。
……
西条基樹は新聞を読みながら、眉をしかめていた。
「…安村被告の弁護士…被告の「精神鑑定」を要請…」
「なぁに?」
妻の美幸が新聞を覗き込んできた。
「…今、レポートしてる事件だよ。…まだ3歳の娘を虐待して…」
「いやだ、やめて基樹さん。」
美幸は手を振って、キッチンに入って行きながら言った。
「そういうの、読むだけで気分悪い!」
「俺だってそうだよ。でも、この手の事って目を背けてばかりいちゃだめだと思うんだ。」
西条は、リビングで積み木遊びをしている1歳の息子「幸樹」を見ながら言った。
「虐待がどうして起こるのか、ちゃんと調べたいんだ。」
美幸がカウンターに、シチューの入ったお皿を乗せながら言った。
「あれって…子どもとスキンシップを取らない親に多いんでしょ?それか、自分も虐待を受けてたとか…。」
「うん、そう言うな。…だけど、それだけじゃない何かがあるはずなんだ。」
「そんなの突き止めるのは無理よ。」
美幸が言い放った。
「ああ言うのは、いろんな家庭の事情や精神状態が複雑に絡み合って起こるものだと思うの。…簡単に突き止められるようだったら、今頃、虐待なんてなくなってるはずよ。」
「!…」
西条は、何も言い返せず黙り込んだ。
……
「相田さん!」
西条は、拘置所から出てきた智の背に叫んだ。智は振り返った。
「なんでしょう?」
「今日は、被告とは何のお話を?」
「あなたに言う必要はないと思いますが。」
「俺は今「虐待する親」についてのレポートを書いています。」
智は眉をしかめて、西条を見た。西条は智に近づきながら言った。
「どうか、ご協力いただけませんか?…昨日新聞で読みましたが、被告の「精神鑑定」を要請したそうですね。」
「当然のことです。」
「もしかして、容疑者を「精神異常」に仕立てて、無罪にするつもりですか?」
「正しくは「心神喪失」または「心神耗弱」ですね。」
智は、そう訂正してから言った。
「仕立ててとは、またはっきり言いますね。」
「この事件を、心身…云々で片づけてしまったら、どれだけ社会に影響を与えるか、わかっているんですか?」
「大丈夫ですよ、西条さん。」
智が微笑んでそう言った。西条は目を見張った。
「大丈夫…って?」
「精神鑑定というのは、あなたが思っているより厳しいものなんです。母を心身耗弱に仕立てるなんて大変なことをするくらいなら、別の方法を取った方が楽だ。」
「!…」
「安心してください。母は精神鑑定にひっかかることはないでしょう。それをわかっていて精神鑑定を依頼したのは、単なる時間稼ぎです。」
「!時間稼ぎ!」
「ええ。正直、母の罪を軽くする方法がまだ見つからない。…それを見つけるための時間稼ぎです。ただ…」
西条は何を言うのかと、智の目を見つめた。
「…これで精神鑑定にひっかかったら…母は本当に「心神耗弱」だという事です。」
「!!」
「その時は、その鑑定結果を盾に無罪を訴えるつもりです。…そうなってくれたら、こんな楽なことはないでしょうけどね。」
智はそう言うと、にやりと笑った。
……
「むかつくーっ!!」
西条はパソコンの前で、マウスを机に叩きつけながら言った。
「基樹さんっ!!」
美幸が、書斎のドアを開けながら言った。
「幸樹が眠ったところなのよっ!静かにして!!」
「あ、すいません。」
美幸は「わかればよろしい」と言い、そっとドアを閉めた。
西条は、ふーっとため息をついた。
「…あの笑い方は…きっと、母親を精神障害…じゃない、心神耗弱に仕立てるつもりだ…」
西条はそう呟いて、真っ白なモニターを見た。
「…なんとか阻止する方法はないのかな…」
西条はそう言いながら、頭を乱暴に掻いた。
……
「あのね、西条君。」
西条がよく記事を載せている雑誌の編集長が、西条の顔を見上げて言った。
「犯人にも人権というのがあるの知ってる?」
「…ええ、知っていますが…」
「知ってて、これはまずいよ。確かに昔は「親を殺した」というだけで、普通の殺人より罪は重かったが、今は他人も親も同じ殺人として扱われるんだ。そんな時代に「子殺しの刑は特に重くするべき」…なんて、ある意味「時代錯誤」な記事は載せられないなぁ。」
「時代錯誤って…。」
西条は絶句して、後の言葉が出なかった。
……
西条がそうぐだぐだしているうちに、裁判が始まってしまった。母親は裁判中ずっとうなだれ、ぶつぶつと独り言を言い続けていた。傍聴席で見ている西条はいらいらしている。
(演技に決まってる!)
西条には、そうにしか見えない。だが、その日に提示された「精神鑑定」の結果は「心身耗弱を認める」というものだった。西条は愕然とした。
「もうだめだ…」
西条が頭を抱えるようにしてうなだれた。…その瞬間、智がにやりとこちらを見て笑ったのが、視界の隅に入った。
……
裁判官は「安村マチ」に無罪を言い渡した。それを聞いたマチはとたんに狂喜の声を上げた。
「智っ!智!ありがとう!本当にありがとう!」
マチは、刑務官に引かれながら智に言った。
……
西条は、裁判所の前で智を待っていた。
智が何かすっきりしたような表情で出てきた。そして西条に気づき、にこやかに駆け寄ってきた。
「西条さん、来て下さると思ってましたよ。」
「…おめでとうございます。」
西条は、智に頭を下げながら言った。
「…あんなことで、心神耗弱が認められるとは思いませんでしたけどね。」
「俺も思いませんでしたよ。案外簡単だったなぁ。」
智がそう言って笑った。西条は戦慄を覚えた。
「!!!相田さん、まさか!」
「無罪が確定しましたから、言っちゃいますけどね。俺は母に、常に異常な行動をするように言いました。」
西条は拳を握りしめ、震えながら言った。
「あなたって人は…」
智は、勝ち誇ったような顔で西条を見ている。西条は声を震わせながら言った。
「虐待の根本を突き止めないで、単なる心神耗弱者に仕立て上げるなんて…!また虐待が繰り返されて、子どもが犠牲になったらどうするんですかっ!!」
「どこで繰り返すんです?」
智のその言葉に、西条は(こいつはばかか)と思いながら言った。
「どこでって…無罪になったら、彼女は…」
「母は今、精神病院に移送されましたよ。」
「!?…え…?」
西条は驚いて、まだ微笑んでいる智の顔を見た。
「精神病院?」
「心神耗弱と診断された人を野放しにするわけないでしょう。」
「!…相田さん…」
「西条さん、あなたは1つ勘違いしています。」
「?」
「法廷でどれだけ気が狂ったようにみせても、母が子どもを虐待死させた時に「心神耗弱状態」だったかどうかが問題なんです。」
「!」
西条は、今になって気付いたように目を見開いた。智は続けた。
「精神鑑定が認められた時、俺は鑑定をする精神科医に匿名で手紙を書いたんです。…「安村マチは10年前も子どもを虐待し、殺人未遂罪で刑に服している。その時に精神鑑定をしてくれていれば、今回の事件が繰り返されることはなかった。だから、ちゃんと鑑定して欲しい」とね。」
「10年前?」
西条は、はっと目を見開いて「まさか…」と呟くように言った。智は西条に背を向けて言った。
「母は…俺を殺そうとしたんです…」
「!!」
「…11歳の時、母に階段から突き落とされて、俺は頭を強く打ち入院しました。…その入院中も…母は周りに誰もいないのを見計らって、俺の顔に濡れタオルを押し付け、窒息死させようとした。…俺にかけていた保険金が目当てでした…。」
「…!…」
「たまたま、その時入って来た看護婦に見つかったおかげで俺は助けられ、母は逮捕されました。でも「殺人未遂罪」という軽い罪で、すぐに出所してしまったんです。」
西条は、智にゆっくり近づきながら尋ねた。
「出所してから…あなたを迎えに来なかったんですか?」
「ええ、来ませんでした。だから俺は助かったんですけどね。…母は、元々子どもが好きなタイプじゃなかった。産んだはいいが、子どもなんて邪魔なだけだった。…逆に言うと11歳までよく育ててくれたと思いますよ。」
「!…」
「…それなのに、母はまた子どもを産んだ…。そしてまた、虐待を繰り返した…。」
智は、西条に向いた。
「西条さん、安心してください。…母は、精神病院から出ることはできません。」
「!え?」
「もし母の心神耗弱が認められずに殺人罪になったとしても、今の法律では、せいぜい10年程度の刑期です。でも精神病院に入れられると…」
智はそう言葉を切り、にやりと笑った。
「医者が「正常になった」と診断しない限りは、病院から出られないんですよ。」
「!!!!」
「だから、逆に心神耗弱と診断されないようにする人の方が本当は多いんです。でも母はそれを知らなかった。」
「…相田さん、あなたもしかして…」
西条が呟くようにそう言うと、智が笑顔になって言った。
「実は、母が入れられた精神病院に知り合いがいましてね。…彼にすべてを頼んであります。なんでも、正常な人でも気が狂ってしまうような薬もあるのだとか。」
「!!…」
智は「それじゃ」と踵を返し、歩き出した。西条は智の姿が見えなくなっても、その場から動けないでいた。
(終)
……
このお話は完全フィクションです。実際には心神耗弱と診断され、無罪になることは稀なのだそうです。