《3》召喚
「で、出来た・・・」
書きあがった魔法陣を前に一息ついた。何度も何度も魔術書と見比べてみて、間違いが無いことを確認する。しつこい位に視線を往復させる。これは最早癖だ。
間違いは、ない。仕上がりは完璧。
「ここまでなら問題ないのに・・・」
そう、ここからがノラにとっては問題なのだ。どれだけ完璧に書き上げた魔法陣(学院長も太鼓判を押す程)でも、今まで発動した例がない。
息を吸って、吐く。数度繰り返し、自分を落ち着かせ、最後にもう一度だけ腹を括る為の言葉を呟いた。
「今回、失敗したら辞める。辞めさせられる・・・」
息を、止める。
「いいえ、・・・私から辞めてやる!!」
自棄気味に吐き捨てると術の詠唱に入った。
呪文は古の言の葉。慎重に丁寧に、歌うように紡いでいく。室内に魔力が満ちる。ひんやりとしていた空気に徐々に熱が孕み始める。開け放った窓から覗くのは満月で、ただしんしんと光を注いでいるだけ。それ以外の光源がない室内にぼぅと燐光が灯り、風もないのにノラの髪やローブが揺れ始めた。魔力が流れている兆候。
術の安定しやすい日を選び、術具も媒体も良い物を揃え、念入りに準備した結果が現れたのか、非常にいい滑り出しだった。
ふいに、揺らぎを感じる。かと言って集中を削ぐことも出来ず、内心の動揺を一切封じて詠唱を続けた。
ぱさ、ぱさ、ぱさぱさぱさぱさ・・・・―――――
柔く風が渦巻いて魔方陣に収束していくのが分かった。それに伴い壁際に無造作に積み上げられた書物がひとりでに捲られていく。ぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱら、揺らぎはそこから感じられる。一冊だけ頁の捲り方が他と比べ明らかに遅いものがあった。
(・・・あ、魔導書!)
気付いた瞬間、さぁ、と血の気が引いていく。それでも詠唱を続行出来たのは最早執念のようなものだろうか。
(どうしよう、明らかに魔力に反応して術に影響出てる・・・)
ノラは書物は目に付いたものを片っ端から読み漁る上、読過するのが早い。その為借りるにしろ買うにしろ一度に大量に部屋に持ち込む癖があった。魔導書・魔術書の類いもその例外ではない。今日の召喚の参考にしようと、図書館で見繕ってきたばかりではないか。緊張や興奮で今の今まですっかり忘れていた。これは拙い。
魔術書はそれそのもそが強い魔力の塊であったり術であったりする為、媒体に用いる。現に今ノラも手元には妖精召喚術の書があった。古い書だ。解読するのに時間が掛かったが、記された術の安定性と安全性を鑑みて、これならば自分が(理論上は)使いこなせると選んだ。
実際やってみて発動しかけまではいった。
(それが、こんな小さなミスで)
そうこうしている内に詠唱も終盤に差し掛かり、室内の魔力は満ち溢れうねる。集中力を欠けば容易く暴走しそうだ。
綻びのあるまま術を発動させれば失敗し暴発の可能性がある。かといってこの状態で急に止めれば魔力が暴走するかもしれない。どちらにせよノラは唯では済まない。
強く輝きだした魔法陣に迷っている時間は無いと悟る。どうせさっき腹は括ったのだと、痛いくらいに跳ねる心臓を無視して居直る。
呼ぶ。喚ぶ。異形を。ノラの望みを叶える者を。
来て
ここに
応えて
お願い!
ノラは術を発動させた。
「来たれ!!」
刹那、風が轟と大きく唸りを上げて吹き荒れ、ノラを襲う。反射的に目を閉じたノラの体は吹き飛ばされ壁に叩きつけられた。
「みぎゃッ!?」
背中を強く打ち付け、猫が潰されたような悲鳴が吐いて出る。痛みに思わず体を丸めうずくまった。
「い、たぁ・・・」
「っつ、ぅう・・・」
自分以外の呻き声に弾かれようにして顔を上げた。
魔法陣の中央に、座り込んで頭を抱える誰かがいた。
ひゅっと、喉が鳴った。顔が上がる。目が合う。
黒い髪。黒い瞳。黒を基調とした衣服。細身だが程よく鍛えられた体。ノラより4、5歳上に見える若い青年が驚いたように目を見開いていた。
固まったノラは青年と同じかそれ以上に驚愕している。胸中は様々な感情が嵐のように駆け巡り混乱状態だ。逸る気持ちがが鼓動を強く鈍く打つ。
「・・・君は、・・・君が?」
君が俺を、喚んだのか?
呆然と青年が呟いた言葉がノラの耳に届く。それは鼓膜を震わせ全身を血液と共に一巡りして脳へと渡り、そうしてからようやっと意味を解した。全身が、震える。何故?言うまでもない。
歓喜で、だ。
「・・・・・・・・・せ、」
「せ?」
「成功したああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
いやったああああぁぁぁぁいやっふぅぅおおおおいいいぃぃぃぃ!!テンションが振り切れ衝動のままに叫ぶ。そして突然の絶叫に目を白黒させている青年に向かってノラは飛びついた。
「ちょ、ちょっと!待」
「うああああああぁぁぁぁぁぁ・・・・」
「って、ええええぇぇ?な、なんで泣くの!?」
ノラ・クラーク、十七歳。今日人生初めての魔術、召喚の成功。
また、異性に飛びついてその胸に縋りついて泣いたのも、人生初だった。