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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

五百年前、アンデスで死んだ私の記憶

作者: 渡邉湊
掲載日:2026/02/01


これは子供の頃に私が何度か見た夢である。

もう二度とこの夢を見ることがないように、記録して残しておく。


現在の史実と異なるところがあったとしても、夢の中の12歳のわたしにはわからない。








わたしが暮らしていたのはインカ帝国、アンデス山脈のふもとの村。

夢の始まりは母との別れだった。


春頃だろうか。

薄い粗末な生成りの服を着たわたし達母子。

家の玄関まで母が出てきて、口元を抑えながら涙を流して俯いている。


もう二度と会えない事をお互いに理解していた。

でも、わたしがそうすることで母は生きていける。


二人では生きていくことは難しかった。







わたしは豪華な服装の人に連れられて、供物となる人が暮らす家に入った。


母から譲られた生成りの服は打ち捨てられ、供物にふさわしくあるべく、食事や服が変えられた。


毎日ご飯が食べられる。

最初は美味しかった。お腹いっぱい食べられることなんてなかったから。

でもすぐに味気なくなった。

母との暮らしでは食べられなかった肉も、母と食べた味の薄いスープにはかなわない。


初めて飲んだ白い酒はのどが焼けるようだった。でもその後ふわふわと気持ちよく、なんだか眠たくなるものだった。




母に会いたい。





夜その寂しさに潰されないように、逃げ出さないように、お酒も少しずつ量が増やされていった。

ふわふわとした気持ちよりも、胸にズンとのしかかるような詰まりや不快感が強くなっていった。


パサパサでまとまりのなかった髪には油を揉み込み、艶を出して編み込まれた。

身の回りの世話をしてくれる女性達はわたしとは話さない。目も合わせない。


独りだった。





いつだったか、初潮が来た。

周りの大人達は喜んだ。

この冬には儀式ができそうだと。

自分の体調の悪さよりも、これで一歩進んでしまったという気持ちが強かった。

そしてこれで喜び、死が迫るわたしを目の前に喜ぶ大人達が心底気持ち悪かった。


名誉なこと?

そんなわけない。

母と暮らして二人で死ぬか、母だけでも助かってわたしが名誉のために死ぬかしかないなんて。

悔しい。けど、そうするしかない。

戻ることも逃げることも出来なかった。





冬、少女と少年がこの家に来た。

五〜六歳くらいの少女とさらに幼い少年。

二人は豪華な食事に大喜びし、よく食べ、お酒もよく飲んだ。

ぐでんぐでんの酩酊状態だった。


その二人を見て、わたしはもうすぐこの生活も終わることを悟った。


この頃お酒の効きが悪く、もう二人のようには酔えなかった。


わたしも二人のようにそうありたい。


この先を思うとそう思わずにはいられなかった。





そして、その日は来た。

キラキラと霜が光る朝。


わたし達は一層豪華な服装に身をつつみ、最後の食事をとった。

青い石が連なった首飾りが重たい。


二人には浴びるほどの酒をしこたま飲ませた。


何もわからないように。


大人から渡された葉っぱもたくさん噛ませた。


これを噛めば寂しくなくなる。

怖いものも怖くなくなる。


そして、周りが祈りと祭りを済ませた夕暮れ時、わたし達は家を出た。



今日はこの後吹雪いてくる。

そういう日を選んで、出発するのだから。





‘’あの場所‘’にたどり着けない者は悪いものに連れて行かれる。

わたし自身が一番の供物だから、わたしが悪いものに連れて行かれないように、二人は生贄の生贄。

何もわからない二人には残酷すぎる。





あるところ、までは大人もついてくる。

少女も少年も抱えられて、わたしは自分の足で雪山を登った。



足に伝わる雪が冷たい。


だんだん風も強くなる。



そして、あるところまでやってきた。

大人は二人を降ろして告げる。

「ここからは我々は入れない」

祈りの言葉を捧げられ、わたしは進むしかなかった。

少女と手をつなぎ、少年を抱えて。





息が荒く、風は冷たく強く。


少年はどんどん重たくなる。


視界は白か灰色か。


道らしきものも見えない。

でも上に登らなきゃいけない。


大きな岩陰でわたしは少し休んだ。

少年を抱えては連れていけない。

置いていくしかない。

ぐったりと膝の上にいるこの少年が、もう息をしているのかもわからない。



ごめん、ごめんね。


何の罪もない少年をさすって、少しでも温めようとするも、もう二度と彼の目は開かなかった。




朦朧とする少女の手を引き、再び歩き始める。





雪の粒が大きくなり始めた。

耳が痛い。

足の感覚はもうあまりない。


ごおっとひときわ強く吹いた風、右ひじで顔を庇う。


その時


繋いでいた左手から小さな手が消えた。

あの子がいなくなった。


あぁ連れて行かれてしまった。


わたしだけでもたどり着かなきゃ。






自らの足で死にに行く自分が一番気持ち悪い。

あんな大人達よりも、何よりも。


お酒も葉っぱも効かず、より冴えてくるこの自分自身が一番気持ち悪い。


儀式なんて失敗してしまえばいい。


あの子みたいに、さっさとわたしをどこかへ連れて行ってほしい。






静かだった。

実際には風がびゅうびゅうと吹いていたと思う。

でも自分の心臓の音がどくどくと耳元で鳴り、白い視界に自分の足だけが見えて、とても静かだった。





そこへ着いた。着いたと思う。

もうこれ以上先へ進むのは難しかった。

わたしは少しでも風を避けるため、岩陰に座り込んだ。

膝を抱えて、さらに強くなる風と雪を右側に感じながら。


身体が右側に徐々に傾くのを感じながら、わたしはあの葉っぱを噛む。



怖くない。

きっと怖くない。





あぁ寒い。眠い。


でもこれでようやく楽になれる。


おかあさん。


母の柔らかなにおいが鼻をかすめる。

最後に抱きしめてほしかった。


おかあさん。また会いたい。










昔から夢はフルカラーで強烈な夢や怖い夢は書き殴って昇華してきた。

でもこれだけはどこかに書き残したくて、覚えている範囲でまとめた。

この夢から覚めた時、どう受け止めればいいのかわからなかった。


もし、これが前世の記憶だと思えるなら、わたしの母とあの二人に会いたい。




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