五百年前、アンデスで死んだ私の記憶
これは子供の頃に私が何度か見た夢である。
もう二度とこの夢を見ることがないように、記録して残しておく。
現在の史実と異なるところがあったとしても、夢の中の12歳のわたしにはわからない。
わたしが暮らしていたのはインカ帝国、アンデス山脈のふもとの村。
夢の始まりは母との別れだった。
春頃だろうか。
薄い粗末な生成りの服を着たわたし達母子。
家の玄関まで母が出てきて、口元を抑えながら涙を流して俯いている。
もう二度と会えない事をお互いに理解していた。
でも、わたしがそうすることで母は生きていける。
二人では生きていくことは難しかった。
◆
わたしは豪華な服装の人に連れられて、供物となる人が暮らす家に入った。
母から譲られた生成りの服は打ち捨てられ、供物にふさわしくあるべく、食事や服が変えられた。
毎日ご飯が食べられる。
最初は美味しかった。お腹いっぱい食べられることなんてなかったから。
でもすぐに味気なくなった。
母との暮らしでは食べられなかった肉も、母と食べた味の薄いスープにはかなわない。
初めて飲んだ白い酒はのどが焼けるようだった。でもその後ふわふわと気持ちよく、なんだか眠たくなるものだった。
母に会いたい。
◆
夜その寂しさに潰されないように、逃げ出さないように、お酒も少しずつ量が増やされていった。
ふわふわとした気持ちよりも、胸にズンとのしかかるような詰まりや不快感が強くなっていった。
パサパサでまとまりのなかった髪には油を揉み込み、艶を出して編み込まれた。
身の回りの世話をしてくれる女性達はわたしとは話さない。目も合わせない。
独りだった。
◆
いつだったか、初潮が来た。
周りの大人達は喜んだ。
この冬には儀式ができそうだと。
自分の体調の悪さよりも、これで一歩進んでしまったという気持ちが強かった。
そしてこれで喜び、死が迫るわたしを目の前に喜ぶ大人達が心底気持ち悪かった。
名誉なこと?
そんなわけない。
母と暮らして二人で死ぬか、母だけでも助かってわたしが名誉のために死ぬかしかないなんて。
悔しい。けど、そうするしかない。
戻ることも逃げることも出来なかった。
◆
冬、少女と少年がこの家に来た。
五〜六歳くらいの少女とさらに幼い少年。
二人は豪華な食事に大喜びし、よく食べ、お酒もよく飲んだ。
ぐでんぐでんの酩酊状態だった。
その二人を見て、わたしはもうすぐこの生活も終わることを悟った。
この頃お酒の効きが悪く、もう二人のようには酔えなかった。
わたしも二人のようにそうありたい。
この先を思うとそう思わずにはいられなかった。
◆
そして、その日は来た。
キラキラと霜が光る朝。
わたし達は一層豪華な服装に身をつつみ、最後の食事をとった。
青い石が連なった首飾りが重たい。
二人には浴びるほどの酒をしこたま飲ませた。
何もわからないように。
大人から渡された葉っぱもたくさん噛ませた。
これを噛めば寂しくなくなる。
怖いものも怖くなくなる。
そして、周りが祈りと祭りを済ませた夕暮れ時、わたし達は家を出た。
今日はこの後吹雪いてくる。
そういう日を選んで、出発するのだから。
◆
‘’あの場所‘’にたどり着けない者は悪いものに連れて行かれる。
わたし自身が一番の供物だから、わたしが悪いものに連れて行かれないように、二人は生贄の生贄。
何もわからない二人には残酷すぎる。
あるところ、までは大人もついてくる。
少女も少年も抱えられて、わたしは自分の足で雪山を登った。
足に伝わる雪が冷たい。
だんだん風も強くなる。
そして、あるところまでやってきた。
大人は二人を降ろして告げる。
「ここからは我々は入れない」
祈りの言葉を捧げられ、わたしは進むしかなかった。
少女と手をつなぎ、少年を抱えて。
◆
息が荒く、風は冷たく強く。
少年はどんどん重たくなる。
視界は白か灰色か。
道らしきものも見えない。
でも上に登らなきゃいけない。
大きな岩陰でわたしは少し休んだ。
少年を抱えては連れていけない。
置いていくしかない。
ぐったりと膝の上にいるこの少年が、もう息をしているのかもわからない。
ごめん、ごめんね。
何の罪もない少年をさすって、少しでも温めようとするも、もう二度と彼の目は開かなかった。
朦朧とする少女の手を引き、再び歩き始める。
◆
雪の粒が大きくなり始めた。
耳が痛い。
足の感覚はもうあまりない。
ごおっとひときわ強く吹いた風、右ひじで顔を庇う。
その時
繋いでいた左手から小さな手が消えた。
あの子がいなくなった。
あぁ連れて行かれてしまった。
わたしだけでもたどり着かなきゃ。
自らの足で死にに行く自分が一番気持ち悪い。
あんな大人達よりも、何よりも。
お酒も葉っぱも効かず、より冴えてくるこの自分自身が一番気持ち悪い。
儀式なんて失敗してしまえばいい。
あの子みたいに、さっさとわたしをどこかへ連れて行ってほしい。
静かだった。
実際には風がびゅうびゅうと吹いていたと思う。
でも自分の心臓の音がどくどくと耳元で鳴り、白い視界に自分の足だけが見えて、とても静かだった。
そこへ着いた。着いたと思う。
もうこれ以上先へ進むのは難しかった。
わたしは少しでも風を避けるため、岩陰に座り込んだ。
膝を抱えて、さらに強くなる風と雪を右側に感じながら。
身体が右側に徐々に傾くのを感じながら、わたしはあの葉っぱを噛む。
怖くない。
きっと怖くない。
あぁ寒い。眠い。
でもこれでようやく楽になれる。
おかあさん。
母の柔らかなにおいが鼻をかすめる。
最後に抱きしめてほしかった。
おかあさん。また会いたい。
昔から夢はフルカラーで強烈な夢や怖い夢は書き殴って昇華してきた。
でもこれだけはどこかに書き残したくて、覚えている範囲でまとめた。
この夢から覚めた時、どう受け止めればいいのかわからなかった。
もし、これが前世の記憶だと思えるなら、わたしの母とあの二人に会いたい。




