【7 異国へ】
出航の日。母上とコーネリアは、朝から外出するという話だった。母上からはごく短い手紙が、わたしの手許に届けられている。
――『アウレーゼの名に恥じぬよう、励みなさい』
今更何を言う気も起きないけれど、こんな手紙を大事に取っておこうと思えるほど、わたしは人格者ではない。手紙を持ってきてくれた侍女が下がったあとで、わたしは黙って暖炉にその紙片を放り込んだ。フランは何も言わなかった。
結局、わたしたちを見送ってくれたのは、父様と幾人かの使用人だけ。
「ユーラリア」
父様はけっして口が上手な方ではない。でも、苦しそうな表情でわたしの名を呼ぶ、その声音だけで、だいたいのことは伝わる。
「すまない。本当なら――」
言いかけた父様に、よいのです、と首を振って答える。
「マウザー卿もヴィスカール様もよい方でした。辺境伯も御子息もきっと」
それは希望的観測でしかないけれど。
大きく息をついた父様が、きつく目をつむる。
「――旅の無事と、新たな場所での暮らしの穏やかなることを祈る。つつがなくあれ」
父様は知っている。わたしが望んでいたものを。そしてわたしが得られなかったものを。だから父様は、幸せになれ、とは言わなかった。
「落ち着いたら、手紙を書きます、父様」
わたしの手を握った父様の手が、するりと離れる。車寄せから馬車に乗り込むまで、わたしは振り返らなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
港への道中、わたしもフランも一言も喋らなかった。黙って馬車に揺られながら、車窓をゆっくりと流れてゆく王都の景色を眺めていた。たぶんこれが見納めだろう。見慣れた通りも、数えきれないほど渡った橋も、王城の高い城壁も。
学術院の塔が目に入ったとき、わたしは思わず目を逸らした。そのまま見続けるには、思い入れがありすぎる光景だった。
隣に座って反対側の窓を見ていたはずのフランが、わたしを見つめていた。彼女は黙ったまま、膝に置いたわたしの手にそっと手を重ねてくれた。
わかってくれていると理解できたから、わたしは何も言わなかった。返事のかわりに、彼女の手の上に、わたしのもう片方の手を重ねる。たぶんそれで、伝わったと思う。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
馬車から埠頭に降り立って船を見上げる。しっかりと磨かれ、帆桁に白い帆が巻き上げられた船は、つい先日見た同じ船よりも更に立派に見えた。それはきっと、船員たちの装いのせいもあるのだろう。このあいだ訪れたときには着古した麻の服で作業をしていた彼らだったけれど、今日は揃いの白いシャツと黒いズボン、白い帽子を身に着け、船べりに並んで姿勢を正している。彼らを見下ろすように、あるいは見守るように、船尾には大きな旗が掲げられていた。濃い緑の地にオリーブの枝、盾と天秤の意匠。辺境伯家の紋章だろうか。
「よくおいでくださいました」
船の威容に改めて見惚れていると、ハンス様が声をかけてくれた。
「三度目ですけれど、前に来たときとはまた違う見栄えなのですね」
そういえばハンス様も盛装だ。屋敷に会食に来られたときの恰好に近い。
「大事なお客様を乗せて出航する日ですから、着飾りもしようというものです。さ、ご案内しましょう」
船へ渡るための足場も、前回のようにただの板ではなく、簡略ながら手すりのついた舷梯に変わっている。どうぞ、と言われるままにその前へ立つと、ハンス様が声を張った。
「ザールファーレン辺境伯閣下御客人、ユーラリア・アウレーゼ様並びにフランツィスカ・メルシュテルン様、ご乗船!」
船員たちが一斉に帽子を取り、胸に当てた。わたしたちも軽くお辞儀を返し、ハンス様の先導で舷梯を上る。舷梯を上りきり、船の甲板に立ったところで、わたしはハンス様に声をかけた。
「ハンス様」
「なにか、ユーラリア様?」
「フランツィスカともども、お世話になります。よろしく頼みます」
ハンス様が腰を折って丁寧な礼をした。もちろんです、と言うように。
こちらへ、とハンス様が船室への通路の先に立つ。続いて通路へ入ったわたしたちの背後で、船員たちがばたばたと甲板の上を走る音が響いた。
今回は短め。出発のお時間です。




