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異国令嬢ユーラリアの日記  作者: しろうるり


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【5 帆船】

 翌朝。わたしはフランと、それからもうひとり父様が付けてくれた従者と一緒に、港へ出向いた。

 港の入口で馬車を降り、手押し車や荷馬車が行き交う中を、東の船着き場まで歩く。詳しい場所は聞いていなかったけれど、行ってみたらすぐにそれとわかった。3本の高いマストを備えた船は、遠くアルトフェルツと行き来するためのものというだけはある。港全体の中でも一際大きく、その気になればどこまででも航海できそうに見えた。船首近くに銘板が取り付けられている。『カミル・W.』と記されているのはたぶん、船の名だろう。


「変わった船名ですね」


 同じ銘板に目を留めたフランが尋ねるともなく言う。


「ヴィスカールの略かな。西方語だとWで始まるはずだし。ご当主のお名前あたりじゃないかしら」


 ヴィスカール様がうちの船というようなことを仰っていたし、家の方の名がついていておかしくはない。ああなるほど、とフランが頷いた。

 さて誰に案内をお願いするのがいいのかしら、と周囲を見回す。岸壁と船腹との間に渡された板の傍で、マウザー卿が、商人風のひとと何やら話し込んでいた。程なく話がまとまったらしく握手が交わされ、商人がお辞儀をして離れていく。

 こちらに気付いたマウザー卿が丁寧に腰を折って礼をする。わたしたちもお辞儀を返した。


「よくおいでくださいました、アウレーゼ様」

「お邪魔いたします、マウザー卿。こちらが――」

「ユーラリア様にお仕えしております、フランツィスカ・メルシュテルンと申します、マウザー様」

「ザールファーレン辺境伯領騎士、ラネス・マウザーと申します、メルシュテルン様」


 マウザー卿はフランへの態度も丁寧なものだ。そういえば昨日もうちの屋敷の使用人たちにいちいち丁寧に応じていた。そういう性格の方なのかもしれない。


「フランツィスカでようございますよ、マウザー様。呼びづらければフランでも」

「ではフランツィスカ様、私のこともラネスとお呼びください。アウレーゼ様も」

「ならばわたしもユーラリアと。――昨夜はそう呼んでくださったではありませんか」


 いやあれは、とマウザー卿――ラネス様が恐縮する。アウレーゼの女性が3人いたから、区別をつけるために名前で呼んでくださっていたのだ。わかっておりますよ、と笑って頷いてみせる。


「わかりました。では、改めて、ユーラリア様、よくおいでくださいました」


 困ったような笑みを浮かべながら、ラネス様が言いなおす。


「お招きいただきありがとうございます、ラネス様。立派な船ですね」


 わたしも彼に合わせて言いなおし、マストを見上げる。


「ひと月の航海に耐える船ですから。ユーラリア様は、船には?」

「川船に乗ったことはありますが、海をゆく船には」

「ご不安でしょうが、ハンスが――ああ、ヴィスカールが昨夜申したとおり、船長も船員たちも腕利きです。慣れるまでは酔うかもしれませんが、2日3日もあれば慣れましょう」


 船酔いなど考えたこともなかった。たしかに弱いひとには辛いものだと聞く。


「船酔いに効く薬などはないのでしょうか、ラネス様?」


 フランが尋ねる。


「あれは『酔う』とは言いますが、酒で、というよりは目を回しているようなものです。ですので、薬で治るようなものではないようなのです。香草茶が効くという話もありますが、まあ、眉唾ですね。ああ、船員たちがハンスに言っていたものがひとつ、あるにはありますが」

「何ですの?」


 ラネス様が言いづらそうにしているから、たぶんあまりお上品なものではないのだろう。


「――ラムです」

「ラム」

「船に酔う前に酒に酔って寝てしまえばいい、と」


 フランが天を仰いでため息をついた。


「慣れるほかない、ということですね」


 困ったような顔をするラネス様に申し訳ない気もするけれど、どうやら本当に慣れるしかなさそう。


「はい、申し訳ありませんが」


 話題を変えよう、と別のことを尋ねてみる。


「出航はいつになるのですか?」

「10日ほど後になるかと。久々の港ですので、船員たちも休ませねばなりませんし、水や食料の積み込み、装具や船体の修繕も」


 なるほど、長い航海にはきちんとした準備が必要で、それには相応の時間がかかる、と。


「わかりました。詳しい日取りが決まったら、お知らせください。わたしたちの荷はどのようにすれば?」

「出航の日の前々日までに、こちらへお持ちください。それと、申し訳ないのですが、無制限というわけにはいかず」


 航海の必需品や、こちらからあちらへ運ぶ荷のことを考えれば、私物を大量に、というわけにはいかないのだろう。頷いて話の先を促す。


「船倉に運び込めるのは、ふたり分で、このくらいの、」


 ラネス様が言いながら、手ぶりで大きさを示す。フランがすっぽり入る程度の大きさになるだろうか。


「長持を5つほど。収まらぬようであれば教えてください。船長に相談してみましょう」


 どうしても衣装などが多くなりましょうから、と付け加える。そうやって気を遣ってくれるのはありがたい。


「ありがとうございます。どちらかといえば、書物が多くなりそうですけれども」

「ああ、それは」


 ラネス様が小さく笑う。

 

「学術院のお噂は、アルトフェルツでも伺います。さすが、かの学術院の首席、というところでしょうね。頼もしく思います、ユーラリア様」


 言葉だけ聞くと、褒められたのかけなされたのか判断のつきかねるところだけれど、ラネス様の表情を見れば、悪意がないことはわかる。フランに視線を向けると、そうでしょう、と言わんばかりの顔で頷いていた。


「ああ、書物はなるべく船倉ではなく、船室に置かれるのがよろしいかと。船倉はどうしても湿気が籠もります。書物によいとは申せませんので」

「わかりました、お言葉のとおりに」


 実際のところ、まとめたふたりの荷物は、ふたり分として指定された量を少々上回っている。荷を減らすか、あるいは船室に置かせてもらうか、考えなければいけない。


「せっかくいらしたのですから、よろしければ、船室をご案内しましょうか?」

「はい、ラネス様、是非」


 ラネス様に手助けしてもらいながら渡し板を渡り、船へ乗り込む。甲板は下から見上げたときよりもずいぶん広く思えた。船の中心部、乗り込んだあたりが一段低くなり、船首と船尾は高くなっている。あちこちにロープや金具がまとめられ、幾人かの船員たちがめいめいに何やら作業をする脇を通り抜けて、わたしたちは船尾の方へ向かった。

 案内された船室は船尾の右側、高くなった部分の下にあたる場所だった。室内は狭い――ベッドと小さな丸椅子を除けば調度らしい調度はなく、窓もひとつだけ。それでも、空間の限られた船内であることを思えば、個室を使えるということはそれだけで贅沢な話のはずだ。


「ユーラリア様のお部屋がこちらで、フランツィスカ様のお部屋はこの隣に。中はほぼ同じ造りです。鍵は乗船の際にお渡しいたします」


 それから、と言いながらベッドの下を手で示す。


「あまり大きなものは無理ですが、この下に荷物を置いておけます。身の回りで必要な品、船倉に置かない品は、お部屋に置いてください」


 着替えやら何やらで相応の荷物は置いておかなければ、と必要なものを頭の中で並べ上げる。文字通り足の踏み場もなくなるかもしれないけれど。


「机は、こちらの壁をこう」


 小さな留め金を外して取っ手を引くと、折り畳まれていた天板が引き出された。


「使わないときは壁に戻して留め金を掛けておいてください。海が荒れるときもしまっておいていただいた方がよいかと思います」


 海が荒れて船が大きく揺れるようなら、なにかを書いたりすることなど到底できなさそう。わたしははい、と頷いた。


「ところで、ラネス様、私たちのほかに女性は……?」


 通路から覗き込むように部屋の中を見ていたフランが尋ねた。


「おりません。船長から船員まで、乗り組みは全員、男性です。私と私の部下が、フランツィスカ様のお部屋の隣におりますので、そこはご安心を。それに、ハンスも船長を通じて、そのあたりは十分含めておりますから――」

「ああ、いいえ、そこは皆様を信頼しておりますから。何日かに1度で構いませんので、水と桶、それから洗い場を貸していただけますか?」


 身の危険というのもあるけれど、フランが尋ねたのは別の意味で切実な話だ。


「――構いませんが……あ」


 束の間怪訝そうな顔をしたラネス様が、フランの言わんとするところを察したらしい。


「――気が回らず申し訳ありません。手配しておきます」


 ありがとうございます、とフランが応じる。


「食事は基本的に、お部屋へお持ちします。海が荒れていなければ、甲板へは自由に出ていただいて差支えない、と船長が申しておりました。身体は、水と手拭をお持ちしますので、それで清潔を保っていただければ」


 いつもそうしているように顔を洗ったり身体を洗ったり、というのは、望むべくもない。食糧からなにから、すべてを抱えてゆかねばならない船旅なのだ。そして、こういった制限があるにしても、身体を綺麗にするのに真水を使える、というのは、たぶんかなり贅沢な部類に入る。ラネス様はそのあたりについて何も言わないけれど。


「承知しました」


 答えたフランがこちらへついと視線を向ける。お嬢様からは何か、という問いの視線だった。小さく首を振って、ラネス様にお辞儀をする。


「いろいろとお心遣い、ありがとうございます」


 すこし驚いたような顔をしたラネス様が、小さく笑って頭を下げた。


「そう仰っていただけると、私としても気が楽です。なにぶん船の上ですので、ご不便かとは存じますが」

「その不便が小さくなるよう、手を尽くしていただいているのでしょう?」


 慣れない環境にはなるかもしれないけれど、不便のなかの最大限を取り計らってくれていることはよくわかった。それ以上を求めても困らせるだけだ。ラネス様はただ黙って、丁寧に頭を下げただけだった。


おふねです。

帆船ってロマンがあると思いませんか?

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