【40 ティーパーティー(3)】
最初に考えたのは、失敗した、ということだった。わたしの隣を狙うひともいる、というルーチェの言葉を、今更のように思い返す。
わたしとフランの間にはアルフェネル様が座っていて、アルフェネル様が挨拶に回っている今、その席は空いている。せめてフランと隣同士になっておくべきだったのだ。そうであれば、いろいろと細かいやり取りを目立たずにやれたのに。とは言え、なってしまった状況は、もうどうしようもない。
「失礼いたしました、ええと――」
笑顔を作って、首を傾げてみせる。
「クルト・シュターヴィッツと申します。どうかお見知りおきを」
「ウィルマ―・バースドルフと申します。どうかお見知りおきを」
わたしの隣のひとがまず答え、次いで正面に座ったひとが同じように答えた。ふたりとも、高い上背に鍛えた身体つき。シュターヴィッツ卿はくすんだ金の髪に明るい青の瞳。バースドルフ卿は錆色の髪に焦茶の瞳。髪をふたりとも短く切り揃えているのは、兜を被るからなのだろう。揃って甘く整った目鼻立ちなのに、どこか値踏みするような視線を向けている、というのは考えすぎなのかどうか。
「シュターヴィッツ様、バースドルフ様、ユーラリア・アウレーゼと申します。どうかよろしくお願いいたします」
「ユーラリア様と同じくエーレンハルト閣下にお招きいただいた、フランツィスカ・メルシュテルンと申します。どうかよろしくお願いいたします」
わたしもフランも、そう言ってふたりに会釈をした。
「お二方とも実にお美しい。このような方々とお近づきになれるのならば、もう少し東方語を学んでおくべきでした」
「まったくですね、シュターヴィッツ卿。しかし、心情を正確にお伝えするには、やはり慣れ親しんだ言葉が一番かと」
「いやいや、それではアウレーゼ嬢におわかりいただけない」
「いかに我々が事細かに語ろうと、伝わらないでは意味がない。まったく、ままならないものですね」
いきなり歯の浮くような台詞を並べ始めたふたりに、わたしは呆気に取られてしまう。
「……このようなやり取りは、こちらでは普通のことなのですか?」
「普通というわけではありません、アウレーゼ嬢」
「あなたが特別だ、ということなのです」
からかわれているのか、とさえ思ったけれど、そういうわけでもないらしい。
「遠く東、エリューシアから招かれるほどの俊才」
「まさにまさに。若様の教師役、と伺っておりますが」
「閣下にお招きいただき、アルフェネル様に、魔法についての様々なことをお教えしに」
このような話題は、下手に肯定も否定もできない。肯定すれば思い上がりだと言われ、否定すれば、技量や知識が足りないのに教えに来たのか、と言われてしまう可能性がある。気にしすぎかもしれないけれど、わたしに悪意を持つひとが確実にいる、と知ってしまったのだから、あまり無防備でもいられない。
危険な話題を避けながら、ふたりをうまくいなさなければいけない。自慢ではないがそんな経験など皆無だから、はなはだ不安なところだ。フランたすけて、と視線を送るけれど、フランも勝手が掴めず、どう割り込むべきかを決めあぐねている様子だった。
「まったく、若様がお羨ましい。このような方から教わることができるとは」
バースドルフ卿が朗らかな調子で、そう口にする。口許は笑みの形。言葉は冗談めかした賞賛。でも。
「ああ、それにアウレーゼ嬢、あなたはエリューシアの学術院で学んでおられたとか」
「実に優秀であられた、とも。お若く美しい上に、魔法の才までお持ちであられる」
バースドルフ卿の言葉に同調するように、シュターヴィッツ卿もわたしを持ち上げる。でも。その目が。
「アウレーゼ嬢、この私、クルトにも、魔法についてご教授を賜れないものでしょうか?」
「いやいや、ぜひこの私、ウィルマ―に」
シュターヴィッツ卿とバースドルフ卿が、口々に言う。
「その……わたしは、アルフェネル様の教師として、エーレンハルト閣下に招かれた身でございますので、わたしの一存で、勝手なお約束は」
「私欲でそのように申すのではありません、アウレーゼ嬢。わがシュターヴィッツ家が、辺境伯家にいくばくかの貢献をできれば、と望んでのこと。閣下も無碍にとは仰いますまい」
ふたりとも、言葉だけを聞けば、ただ熱心に魔法の講義を請うているように聞こえるかもしれない。でも、その視線が。値踏みするような、あるいは探るような。無遠慮な視線。
――怖い。
アルフェネル様はいつも、わたしの言葉を静かに聞いてくださった。わたしの意図を量り、より深く話をするためにわたしに視線を据えることがあっても、それはけっして無遠慮なものではなかった。ただ値踏みして、反応を探るような視線であったことはない。
恐怖に負けて、わたしはシュターヴィッツ卿から、視線を逸らしてしまう。それがわたしの、ふたつめの失敗だった。
手を掴まれる感触に、わたしは声を上げそうになった。慌てて視線を戻し、シュターヴィッツ卿の手が、わたしの両手を掴んでいるのを見て、喉の奥で奇妙な音が鳴る。反射的に手を引こうとしたけれど、がっちりと掴まれた手はまったく動かない。
「あっ、あの、手、を……!」
恐慌に陥りそうになったわたしの目の前で、立て続けにいくつものことが起きた。
「失礼」
硬い声で言ったフランが腰を浮かせ、シュターヴィッツ卿の腕越しに、わたしの近くに置かれていたティーポットに手を伸ばした。素早くそれを取り上げ、傾けたまま腕を引く。注ぎ口から出る熱い液体の筋は、わたしの指先ぎりぎりのところをかすめて、シュターヴィッツ卿の手に注がれた。
「あッつ……!」
「あら、申し訳――」
思わず、という様子でシュターヴィッツ卿が手を離し、わたしは慌てて手を引いた。涼しい顔で、フランが詫びる。あれは絶対に、悪いことをした、などとは思っていない。そういう顔だ。
『お前、この、侍女の●●で……!』
叩こうとしたのか、あるいは掴もうとしたのか。西方語で何事か罵りながら、シュターヴィッツ卿の手が、今度はフランに向けて伸びる。フランが高く小さく、悲鳴を上げた。音を立てて椅子が倒れ、皆の視線がこちらへ向く。
伸ばそうとしたシュターヴィッツ卿の手は、後ろから別の手に掴まれていた。
『だッ……!』
誰だ、と言おうとしたのだろうか。首を捻って後ろを見たシュターヴィッツ卿が固まった。ラネス様が、がっちりと手首を掴み、平板な表情でシュターヴィッツ卿を見下ろしている。
「ご婦人に手を上げるとは穏やかでないな、シュターヴィッツ卿?」
『これは、その女が……!』
「『その女』? 『メルシュテルン嬢』でしょう。同じテーブルに着くのなら、せめて名を憶えておくのが礼儀だろうに。バースドルフ卿、あなたもあなただ。友人ならば、まずあなたが止めなければ」
言いながら、掴んだままの手首をくい、と引く。あまり力を入れた動作には見えなかったのに、シュターヴィッツ卿は引きずられるようにして席を立った。
「理由はどうあれ、このような場で手を上げる者を、若様はお許しにならない。間近でそれを見て止めようとしない者もだ。退席いただこう。己で出てゆけぬのならば、扉までご案内するが?」
シュターヴィッツ卿が顔を歪めながら頷き、バースドルフ卿とともに扉へと歩いてゆく。その背中を見送ったラネス様が、離れたテーブルについているアルフェネル様と小さく頷きあう。アルフェネル様は、何でもないのです、というように、同じテーブルの招待客たちとの会話に戻った。
ラネス様は倒れた椅子を起こし、どうぞ、とフランを座らせる。
「フランツィスカ嬢、ユーラリア嬢、お怪我は?」
「ございません、おかげさまで」
フランが落ち着いた声で応じて会釈する。
「わたしも無事です。でも、あの」
「なにか?」
「フィンガーボウルを、お持ちいただけないでしょうか」
掴まれた手の感触がまだ消えない。本当はそんなことはなくて、気のせいだとわかっているのだけれど、今は手を綺麗にしたい、と思ってしまう。
頷いたラネス様が、使用人のひとりを呼んで耳打ちする。使用人は会釈をして下がった。
「若様を、お呼びしましょうか?」
尋ねてくれたラネス様に、いいえ、と首を振る。
「アルフェネル様にも、お役目がおありでしょう?」
「――承りました。では、失礼ながら、同席させていただいても?」
わたしとフランは、はい、と頷く。では、とわたしたちの間に座ろうとしたラネス様が、動きを止めた。
「ユーラリア様、フランツィスカ様、お邪魔させていただいても?」
ルーチェと、それから友人と言っていたクロイスヴァイン家の御令嬢、ミリアム様だった。わたしはほっと息をつく。困ったときに来てくれる友人ほどありがたいものは、そうそうあるものではない。
筆者註:本文中の『』内は西方語、●●の部分はユーラリアが聞き取れなかった/意味を取れなかった箇所です。本当は語順から少し違うはずなのであまり正確ではないのですが、まあ雰囲気で読んでください!
このふたりの間に勝手に挟まれようなんてお前、作者が許すわけねえだろ?




