【4 迎え】
そのあと1か月ほどは慌ただしく過ぎた。先方へ遠話の魔法で返事を送って、迎えの船が来るまでが1月強。様々なものを揃えなければならなかったし、身の回りの整理もしなければならなかった。父様の書斎からは、大方の書物を自由に持ち出してよいと言ってもらえたけれど、もちろん、それだけというわけにはいかない。必要になりそうな書物があちらで手に入るとは限らないから、買って揃えなければいけないものもある。学術院に収められた書物から抜き書きしたものもいくつかあった――フェレイラ教授にお願いして、だけれども。
そういえば、持っていくものを揃えるために、王陛下から支度金が下賜されたらしい。らしい、というのはわたし自身が受け取ったわけではないからで、父様によれば「大層な金額」だったそうだ。母上はわたしが使うのを渋ったらしいけれど、父様の「ユーラリアにみすぼらしい恰好をさせて侮られるのはアウレーゼの家だろう」という一言があってから、それ以上のことを言わなくなったと聞いた。せめて何に使うかは細かく口を挟みたかったようで、わたしが諸々選びに出る日を知りたがっていたから、フランを通じてコーネリアの予定を聞き出して、日程を重ねることにした。正直なところ、服を1着多く持っていくのなら本を1冊多く持っていきたいと思っていたし、同じ1着の服にしても、母上の好みに合わせて選ぶよりは、フランに見繕ってもらった方がいい。
そのフランはと言えば、父様が宮廷に口を利いてくれたそうで、正式にわたしの侍女として随行できる話になっている。フランも支度金をいただけました、と嬉しそうだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
港にアルトフェルツからの船が着いたのは、冬の入り口を過ぎるころ。父様はわたしを迎えに来たあちらの使者を、屋敷に招いた。その晩、屋敷に顔を見せたのはふたり。
「お初にお目にかかります、伯爵閣下。辺境伯領騎士、ラネス・マウザーと申します」
騎士の礼を取って名乗ったのはまだ若い――とは言っても、わたしよりもいくつか上であろう男のひと。辺境伯領の騎士ということは、エーレンハルト伯爵の配下ということだろう。
背が高い。肩幅が広くて身体全体に厚みがある。日に焼けた肌に大きな手、短く刈り揃えたブラウンの髪、引き締まった口許はいかにも武人、という見た目だった。半面、挨拶の声音も鈍色の目も、全体の見た目に反して穏やかな印象だ。
「お久しゅうございます、アウレーゼ閣下。ヴィスカール商会東方副支配人、ハンス・ヴィスカールにございます」
丁寧な所作で頭を下げたのは、こちらもマウザー卿と同じ年頃の男のひと。ヴィスカール商会というのはザールファーレン辺境伯のもとで魔石の取引に関わっている商会だったはずで、家名と立場からして商会長の御子息か縁者か。
中背で人の好さそうな丸みを帯びた顔立ち。マウザー卿と同じように日に焼けているけれど、身に付けているものは仕立てのいい商人風だ。身体つきや手の様子にも武張ったところはない。くるくるとカールした濃い褐色の髪も、どこか楽しげに光る黒目がちな目も、他人を敬服させるというよりは、親近感を抱かせる雰囲気がある。
「遠路よく来てくださった、お二方。今日は格式ばった席でもなし、あまりかしこまらずに願いましょう。まずは妻と娘たちを紹介させていただきたい。妻のシェリア、長女のユーラリア、次女のコーネリアです。どうかお見知りおきを」
名を呼ばれたわたしたちがそれぞれお辞儀をし、ふたりが丁寧に礼を返す。上流社会の社交によくある型通りのやり取りだ。
「アウレーゼ閣下、ザールファーレン辺境伯から言付かっております。『突然のお願いにも関わらずお聞き入れくださったこと、御高配に心からの感謝の意を表します。願わくはこれを機に両家の間に一層の友好が図られ、またそれが長く続かんことを』」
「まことに有難いお言葉、しかと承りました、マウザー卿。エーレンハルト閣下のお言葉はカルノ・アウレーゼが願うところに同じ。日頃の御厚誼のお礼にはまだ足らずとも、お役に立つものなれば当家の喜びとするところです、とお伝えください」
父様と同様、マウザー卿も慣れているのだろう、往復する言葉に淀みがない。
「当商会会頭からも言伝がございます、アウレーゼ閣下。『日頃の御恩顧に深く感謝を申し上げるとともに、両家の御友諠を深める場に立ち会えることを嬉しく思います。今後もともに手を携え、ともに栄えるべく尽力いたしますゆえ、よろしくお引き立てのほどを』」
「ヴィスカール副支配人、たしかに伺いました。当家の繁栄は貴商会とともにあり、と考えております。是非、引き続きのお力添えを、とお父上に」
こちらも遠国と行き来するだけあって、こういった場には慣れているらしい。型通りのやり取りを済ませたところで、父様がおふたりに椅子を勧めた。軽いお酒と前菜が運ばれてくる。
そのあとは食事をしながらの会話になった。まず話題に上ったのは船旅のこと。
「この時期であれば、海も荒れることはほとんどありません。こちらまで1か月ほどでしたが、嵐もなければ凪ぐこともなく、まずまず快適な船旅でした」
簡潔に語ったのはマウザー卿。
「少々荒れても、船長も船員もわが商会きっての腕利きでございますから。まあ、そのような腕の見せ所などない方がよいのですが」
ヴィスカール様が陽気に付け加え、まさに、と父様が笑いながら頷いた。
「ヴィスカール商会の船であれば幾度も行き来はしておられましょうし、そこは信頼しておりますよ」
「ありがたいお言葉です、閣下」
和やかに話が進む中、そういえば、とマウザー卿が顔を上げた。
「ザールファーレンへおいでいただけるのは、どなたなのでしょうか? 辺境伯からは『教師としてお一方、ほか随員お一方』とのみ聞いておりまして」
皆が手を止めた。父様に視線が集まる。
「ああ、これは失礼を――こちらの、」
ひとつ咳払いし、父様がわたしを手ぶりで示す。手の示す先を追うように、マウザー卿とヴィスカール様の視線がわたしに向いた。
「わが娘、ユーラリアと、ユーラリア付きの侍女が伺います」
目を伏せて軽く会釈をする。その直前、目が合ったマウザー卿の顔にちらりと驚きの色が浮かんでいた。
「それは――大事なお嬢様をお預けいただけるとあれば、まさに、両家のより強い結びつきの基となりましょう」
視線を上げたときには驚きの色はかき消えて、元の通りのそつのない態度に戻っている。気のせいではなかったわよね、と頭の中でもう一度、彼の表情を思い返してみた。
「教師役としては若くて御心配かもしれませんけれど、マウザー様?」
笑みを含んだ甘い口調で話しかけたのはコーネリア。年少者の立場の使い方を心得ている。
「いえ、そのような――」
「でも、姉様は魔術の研究では優等ですのよ、マウザー様。つい先ごろまで、王立学術院で首席を争うほどだったのですから」
わたしや父様、母上が言えば角が立ちそうなことを、年齢を言い訳に使える立場でさらりと言ってしまう。常日頃、こういうところが苦手だった――今は正直、少しありがたいけれど。
そうなのですか、という風情でマウザー卿がわたしに視線を向ける。わたしは小さく頷いて付け加える。
「教授方に及ぶところではありませんが、応用魔法学の研究室に所属しておりました」
過去形なのが悲しいところだけれど。
「――心強いことです。辺境伯も大いに喜びましょう」
語調と言葉から何かを察されてしまったのか、マウザー卿の返答には一瞬の間があった。いやいやめでたいことでございますな、と、同じくなにかを察したらしいヴィスカール様が割って入る。
「御両家の絆に」
言いながら彼はグラスを掲げ、全員がそれにグラスを掲げて応じた。
「姉様が行かれる辺境伯領というのは、どういうところですの?」
興味津々といった態で、コーネリアが尋ねる。
「わたくしも姉様も、王都と、出かけるにしてもせいぜい領地のジェスレントくらい。ほかの土地のことを知る機会もなかなかありませんのよ」
「大事なお嬢様とあればそうもありましょう、コーネリア様。ザールファーレンはよいところですよ」
にこりと笑ってマウザー卿が答えた。ちらりとこちらへ視線をくれたのは、心配しないでほしい、という意味もあってのことかもしれない。
「この王都には到底及びませんが、領都の賑わいはなかなかのものです。領内は広く、海に面した領都から、魔石の採掘が行われている山岳地帯まで。山側では冬場は雪が降りますが、海のそばではさほど厳しい寒さにもなりません。春になれば、山の花々が一斉に咲くところや山肌を若芽の緑が登ってゆくところをご覧になれましょう。アルトフェルツの王都から少々離れているのが、難と申せば難ですが」
こころもち視線を上げながら話すのは、情景をひとつひとつ思い浮かべているのだろう。取り繕うようなところはなく、この実直そうな騎士様が本当に故郷を愛しているのだ、と思わせる。こういう人が心から愛する土地なのだから、辺境領と聞いて想像したほど良からぬ土地ではないのかもしれない。
まあ、いいところですのね、とコーネリアがにこやかに応じた。顔にはさすが辺境、と書いてある。母上の表情も似たようなものだ。
「ああそれから、食事もなかなかのものですよ、お嬢様」
付け加えたのはヴィスカール様。
「これからは魚がいい時期です。ご縁あっておいでになられた折には、本日のお返しに是非、お招きしたいものでございますね」
「ええ、機会があれば是非とも」
母上が応じる。どうせ行く気などないから気楽なものだ。
社交辞令をやり取りしながら会話と食事が進み、食後にもしばらく話は続いた。
「さて、閣下、私はそろそろ船へ戻らねばなりません。お招きいただき、ありがとうございました」
話の種も尽きた頃合いでマウザー卿が丁寧な口調でそう言い、席を立つ。ヴィスカール様もそれに倣った。上着を受け取り、広間から出ようとするところでマウザー卿が立ち止まる。
「ユーラリア様、よろしければ、明日にでも船をご覧になられませんか。お付きの方もご一緒に」
なるほど、自分の乗ることになる船を見ておくのは悪くない。
「父上?」
よろしいですか、と父様に視線を送る。
「ああ、ではもう1人従者を付けよう。マウザー卿、よろしいか?」
「無論です、閣下」
たしかに、港はわたしとフランで行くには、御者がついてくれたとしても、少々危ないかもしれない。
「では、明日の朝、伺います、マウザー卿」
「東側の船着き場に停泊している、いちばん大きな船です、ユーラリア様」
長旅になると、行き来もお迎えもなかなか大変なものです。




