【24 最初の授業(3)】
アルフェネル様の言葉に、わたしは、はい、と頷いた。
束の間、アルフェネル様は宙に視線を彷徨わせる。どこからどう話したものか、考えをまとめているような仕草だった。
「父から聞く限り、お国と――エリューシア王国、そしてアウレーゼ家と魔石の取引を持つ前のわが領は、けっして豊かな場所ではありませんでした。広い領地に多くの領民を抱えてはいるものの、その分だけ課題も多い、というような」
落ち着いた口調で、アルフェネル様は話しだす。わたしは姿勢を正して聞き、頷いた。
「農地として使えるような場所は、その多くが農地にされ、その上で牧畜なども行いながら、どうにか産業を発展させようとしているような、そんな領地です。今でこそ効率のよい農法が確立され、毛織物なども産品として台頭してきてはおりますが、私が生まれる前までのザールファーレンは、そのような土地であった、と」
わたしはもう一度頷く。ここへ来てまだ日も浅いけれど、ラネス様が仰っていたように、美しい土地だ、とわたしは思う。そうなるまでの苦労はどれほどのものがあったのか。想像は、さほど難しいものではない。
「辺境伯領が、隣国との前線に当たる、ということは――」
ちらりと送られたアルフェネル様の視線に、わたしはまた頷いた。つい数日前、ルーチェに聞いたばかりの話ではあるけれど。頷き返してくれたアルフェネル様が、言葉を続ける。
「つまり、そのような領地で、私たちは隣国から自分たちと国とを守らなければならなかったのです。領地はしばしば荒らされ、戦となれば領民への負担も大きい。だからとて、その役割を放棄するわけにもいきません。辺境伯として国境と領地を保つことの誇りと責務、それらでもってかろうじて支えられていた、というのが実情だったと聞いております」
隣国との境界を保つための重要な場所。言い換えればそれは、侵攻の意図があれば真っ先に危険にさらされる場所、ということでもある。
「そのようなわが領に魔石が産するということがわかり、お国ではそれが高値で取引される、ということもわかりました。私たち……正しくは、私の父は、望んでなかなか得ることのできなかったものを手に入れたのです。経済的な余裕を」
取引は、お互いがそれぞれに利益を得るときこそ最もうまくいくもの、と聞く。卑近な例であれば、先日のわたしとルーチェの関係がそれだ。
規模が大きくなり、関わる人の数が増えたとしても、そのことはあまり変わらない。アウレーゼ家がエリューシアにおいて利益を得たのと同じように、エーレンハルト家と、そしてザールファーレン辺境伯領も大きな利益を得ていた、ということだ。始まったときには小さかった取引の規模は年々増大して、今ではアウレーゼの家に欠かせないものになっている。それは、エーレンハルト家でも同じことなのだ。
「父は、そうして生まれた余裕を、領の発展のために投じました」
わたしはまた頷く。はじめてここに来たときに見た領都の姿は、あれは最初からそうであったわけではない。誰かがそのように作り上げた結果として、そのようになっている。
「治水をはじめ、新たな農法の確立、より多くの羊毛を産する羊の血統の確立と保護、毛織物産業への補助。運河と街道の整備や学校の設立。そのような投資の甲斐あって、わが領は少しずつ豊かになってきている。私はそのように、現状を捉えています。ですが――」
アルフェネル様は、ゆるゆると首を振った。
「まだ、足りないのです。天候不順や天災があればどうなるか。病が流行ったならば。それらと、隣国の侵攻が同時に起きたならば。そうでなくとも、まだ、死なずともよい者が日々、命を落としています。飢えて死ぬ者が数多くいる、というわけではありませんが、病で、怪我で、戦で。あるいは、そのようにして稼ぎ手を失った家族が」
言葉を切り、顔を上げて、アルフェネル様はわたしに視線を据えた。深い紺の瞳に、強い決意が籠もっている。
「父の後を継ぐのは私です。私には責務がある。国境を守り、領民を守らなければなりません。魔法の導入は、劇薬であるかもしれない。ですが、それでわが領を豊かにできるのであれば、力を尽くさないという選択肢は、私にはないのです」
初めてお会いしたとき。ともに食卓を囲むとき。これまで見せてくれた穏やかな笑顔とは、似ているようで違う顔。厳しく、そしてどこか苦しそうな表情。
――このひとを支えたい。
そう思った。わたしの持っている知識を、これまでの調査と研究の成果を使って。うまくゆくかどうかはわからない。解決策などないのかもしれない。それでも。わたしは、それでも、と強く思う。
それはきっと、アルフェネル様が、わたしの好みにぴたりと一致するお人柄だから、というだけではない。その瞳の中にある強い決意に揺さぶられ、中てられたのだ、と思う。
気恥ずかしくて口に出せそうにもないけれど、わたしはたぶん、目の前のこのひとに、心を掴まれてしまったのだ。
頑張ってはいる、でもまだもう一伸び欲しい、と思っている辺境伯領から、魔法を使って発展を遂げたという国のことを見たら……というお話です。




