【23 最初の授業(2)】
「アルフェネル様やアレイン閣下がご存じのように、エリューシアは、魔法の復興によって豊かな国となりました」
アルフェネル様を前に、わたしは話しだす。
「古文書の解読から始まり、魔法の術式が解明され、それが利用され、応用され、新たな術式が生み出され、あるいはまた解明されて。その繰り返しです。最初の古文書の解読からおよそ50年で、エリューシアは大きく様変わりしました。もっとも、わたしは、その変わりゆくさまを目の当たりにしたわけではありませんが」
まだ二十歳にもならないわたしは、物心がついてから10年と少々の間でしか、エリューシアの変化を直接見てはいない。でも、わたしの研究は、そのきっかけとなる古文書の解読から今に至るまでの経過を対象にしたものだ。わたしは、卒業のための試問の場で、研究の成果を発表することができなかった。わたしの研究を誰が引き継ぐのか、あるいはそのままお蔵入りにされてしまうのか、それすらもわたしにはわからない。
でも、ここには、実践の場がある。
「わたしの研究の主題は、『魔法が社会にもたらしたもの』でした。魔法の復興と活用によって、どこにどのような影響が出たのか、あるいは出うるのかを、調査し続けていたのです」
「魔法がもたらした影響、ですか」
「はい」
頷いてわたしは、ほんの一瞬言葉を切った。ここからが本題、話の核心だ。
「端的な例を申し上げます。エリューシアでは、『加熱』の魔法具が、ひろく流通しています。わたしが乗せていただいた、ヴィスカール商会の船でも使われておりましたが」
わたしの言葉に、アルフェネル様が、ああ、と頷く。
「じつに便利なものだ、とハンスが言っておりました。火事の危険なく、温かい料理を作ることができるのだ、と」
「はい。仰るとおり、『加熱』の魔法具が普及しだしてから、王都で起きた火災の件数は格段に減っています。これが、『加熱』の魔法具の普及がもたらした、よい影響です」
頷きかけたアルフェネル様が、つい、と視線を挙げた。
「よい影響だけではない、と……?」
「はい。半面、従来の燃料――薪や炭を扱う小売や問屋は、その多くが店を畳みました。需要が、激減したのです」
「……」
アルフェネル様は、黙ったまま大きく息をついた。
「魔法の活用が、職や収入を奪うこともある。これが悪い側面のひとつです」
「薪や炭だけではない、ということですね……?」
「はい。『加熱』の魔法具は、もっとも端的で、わかりやすい例として挙げたものです。このことについてわたしが調べたのは、年ごとの、問屋に対して発行され、かつ有効な鑑札の数でした。お店が畳まれれば、鑑札は返納されます。そして、そのような手続きを踏まずとも、翌年になれば鑑札料の未納で無効になりますので……」
なるほど、とアルフェネル様が頷く。
「エリューシアの王都で20以上を数えた問屋の中で、いま店を開けているのはふたつだけ。それも、別の事業を抱えていたからどうにか看板を掲げていられる、という問屋がひとつ。専業の問屋はひとつだけしか残っていません」
もう一度、アルフェネル様が頷く。その眼差しは真剣だ。
「わたしが調べたのは、王都の問屋だけです。ですから、他の都市でどれだけの店が畳まれたのか、あるいは、たとえば炭焼きの職人が、どれだけ路頭に迷ったのか。そのあたりは、想像する他ありません」
わたしは言葉を切り、水差しからコップに水を注いだ。一口含んで飲み下し、話を続ける。
「魔法の復興と活用によって、エリューシアは豊かになりました。そのことは確かです」
アルフェネル様は、じっとわたしに視線を据えて、わたしの話を聞いている。
「耕地は拡がり、収穫は増え、増えた収穫はより効率的にお金に替えられるようになりました。以前ならば亡くなっていたような怪我人は命を救われ、病人も回復の望みを持てるようになり、家々からの煙で常に靄がかかっていた王都の空は、以前よりもずいぶんと明るくなった、と聞きます」
アルフェネル様が、黙ったまま頷く。
「安価で質の良い品が出回り、平民たちの生活も、おおかたは上向きました。王都にはたくさんの働き口があり、そこで給金を稼いで、以前よりもよい服を着て、以前よりもよいものを食べ、以前よりも広く清潔な家に住むことができる。50年で、そのような変化が起きています」
魔法の復興と活用は、エリューシアに大きな利益をもたらした。それは確かなことだ。でも。
「ですが、そのために職や収入を失い、以前なら就けたはずの仕事に就けないひともいる。富を得た者もいれば、何もかもを失った者もいるのです。これは断言できますが、アルフェネル様」
「……はい」
わたしは正面から、アルフェネル様の目を見つめた。深い紺の瞳が、わたしを見返す。
「魔法を導入し、活用するとして、そのよい面だけを受け取ることはできません。必ず、悪い側面も、一体となってついてきます」
それはまさしく、一枚の硬貨のようなものだ。硬貨の表だけを受け取ることはできない。必ず裏の面がある。
何かを口に出そうとして、思い直し、口を噤む。それを幾度か繰り返した末に、アルフェネル様が尋ねた。
「――お国では、どのようにして、それを乗り越えられたのでしょうか?」
アルフェネル様の問いに、わたしは首を振る。
「乗り越えてなどおりません。申し上げたとおり、総体として、国は豊かになっているのです。泣く者よりも笑う者の数の方がはるかに多い。その一事をもって、わたしたちは魔法の復興と活用を、正しいものと見なしています」
いささか乱暴な話にも思えるけれど、それはまぎれもない事実だった。
「ユーラリア嬢は、乗り越えることが可能だと思われますか?」
「……わかりません」
それもまた事実。
「乗り越える方法があれば、と思いながら、わたしは調査と研究をしてきました。でも、はっきりとわかったことは、特効薬のようなものはない、ということだけです。これこれのことをすれば何の問題もなくなる、というような方法は、おそらくありません。もしかしたら、どこかにあるのかもしれませんが、わたしには見つけられそうにありません」
1年半に及んだ調査と研究の後半は、無力感との戦いでもあった。何をすればこの事態を防げたのだろう、と考え、手段を選ぶ。その手段を用いたときのことを考えてゆくと、必ず、他のどこかで綻びが出る。それを防ぐためには、と考えると別の個所に穴が開き、穴を塞ごうとすれば最初に手当てしたはずのところにまた傷口が開いている。
複数の病に同時に冒された病人のようなものだった、とわたしは思う。ひとつの病に効く薬は、別の病の勢いを増すようなこともままあるのだ、という意味で。
でも、病という表現は、実は正しくはないのかもしれない。総体として、国も人々も、たしかに富んでいるのだから。そのために必要な痛みであるのかもしれない。
「ユーラリア嬢」
自然と俯き加減になったわたしの耳に、アルフェネル様の声が届いた。耳に心地よく、でも、よく通る声。初めてお会いした時と同じ、穏やかな声だった。その声につられるように、わたしは顔を上げる。
「教わる立場ではありますが、私も、私の考えていることをお話しすべきかと思います。ユーラリア嬢、聞いていただけますか?」
魔法はある。でもそれは『魔法の弾丸』じゃない。
そういう世界のお話です。




