【20 誤解】
「服の受け渡しは――そうね、辺境伯のお館まで使いを出してもらえる?」
「明日でいいかしら。もう少し日数が必要?」
『取引』の話がまとまってしまえば、あとは具体的なやり取りになる。
「明日で大丈夫。お貸しするのは10日もあれば?」
「1週間あれば、問題なくやれると思うわ」
「では、ひとまず1週間ね。なにかもう少し時間が必要そうなら、言ってちょうだい」
「ええ、ありがとう。でも、あまり長いこと借りるわけにもいかないもの。そこは仕立屋に頑張ってもらうわ」
こういうところで気遣ってくれる相手というのは有難い。当然といえば当然なのかもしれないけれど、その当然ができないひとも少なくはないのだ。彼女が――アルトフェルツに来てはじめての友人と言えそうな彼女が、信頼に値しそう、というのは幸運なことだと思う。
「起こした型紙は、他の方に回して貰っても差支えないわ。ただし、あとでわたしに紹介して」
「わかった。いい加減なところへ回す気はないから安心して」
ルーチェの返答に、わたしは笑顔で頷く。意図が正しく伝わっているようで安心した、というのが正直なところだ。
「型紙を取る仕立屋も、紹介してくれると助かるわね。夏向けの服をいくつかあつらえたいから」
「もちろん。よかったら、私もご一緒して紹介するけど」
「ありがとう、是非」
あとは化粧品。
「それから、魔法薬入りの化粧品について、だけれども」
「素材の調達ね、必要なものを聞かずに引き受けちゃったけど」
「そう特殊なものはない、と思うわ。薬草やある種の鉱石、あとは魔石ね。服と一緒に手紙でお伝えするわ」
「それを見て揃えればいいのね。いつまでに、というのはあるかしら?」
「ひとまず必要な分はエリューシアから持ち込んでいるから、あまり急ぐものでもないのよ。ひと月ふた月の間に探してくれれば」
「それならたぶん、問題ないわね」
どうしてもこちらで手に入らないものがあれば、ヴィスカール商会を通じてエリューシアにでも注文するしかないけれど、そうなると半年からの時間がかかってしまう。来たばかりのわたしには、素材を手に入れられる場所も伝手もなかったから、ルーチェに調達してもらえるのならば有難い話だ。
「あなたとお話できてよかったわ、ユーラ」
「こちらこそ、ルーチェ」
お互いにお互いが持っていないものを交換できたのだから、有意義な顔合わせだったと言っていい。こういうことはお互い様というのが重要で、片方にとってだけ都合のいい関係は、たぶん長続きしない。わたしにだけ都合がいいのは気が引けてしまうし、相手にだけ都合がいい関係というのは、よほどのお人好しでもなければ、心地よいものではないだろう。
少々気の張る話が終わったからか、ルーチェが箱の中の焼き菓子からもうひとつを手に取って、どうぞ、とその場の3人に手で示す。
遠慮するような場面でもなし、わたしも素直にひとつを手に取った。フランもそれに倣う。さりげなく席を立ったアスティが新しいお湯を持ってきて、お茶を淹れなおしてくれた。
「正直なところ、わたし、ちょっと安心しているの」
「安心?」
改めて打ち解けた空気になって、わたしは正直に打ち明ける。
「辺境、って言うから、ちょっと心配していたのよ。どんな場所かしら、って。でも、マウザー卿に聞いたとおりのいい土地で」
「……今、なんて?」
わたしがこぼした言葉のなにかが、ルーチェに引っかかったらしい。
「え? だから、マウザー卿に聞いたとおりの――」
「じゃなくて、そのもうちょっと前」
「『辺境』?」
「それそれ。東方語だとなんて言ってるの?」
言われるままに『辺境』を意味する東方語を口に出す。
「それ、田舎、って意味で合ってるわよね」
「ええまあ。ニュアンスとしては『人のいない土地』、みたいな」
ルーチェが理解できないものに触れた表情になって視線を伏せ、数瞬のちになにかに気付いたように視線を上げた。
「ひょっとして、『辺境伯』って『田舎領主』みたいな意味になってる?」
「――だいたいは」
「その話、誰かに――」
「してないわ、さすがに」
被せるような返答を聞いたルーチェがほっと息をつく。
「ええと、そこからちょっと詳しく説明しないと駄目ね。こっちの言葉の元々の意味だと、辺境伯って『遠くにいる重臣』みたいな意味合いなのよ。共通語のニュアンスだと『地方の長官』かな」
訳に訳を重ねて最初の意味から離れてしまう、というのは、まあ、ありがちな話ではある。ひとつの言葉に対応する訳語はひとつとは限らない。だからたぶん、誰かが共通語を東方語に翻訳したときに、「地方の」を「辺境の」に、「長官」を「伯爵」に、それぞれ訳して繋げたのだろう。
「アルトフェルツに伯爵家は20以上あるけど、辺境伯家は3つしかないの。家格は伯爵の上、侯爵と同格。ただ、侯爵って、一代称号なのよね。宰相と大臣級の重臣、近衛長官、そのあたりの役職にくっついてる称号で、世襲はされないことになってるのよ。ちなみに侯爵の上の公爵は基本的に王家の傍流」
「――つまり、人臣の家格としてはいちばん上、っていう理解でいい?」
「話が早くて助かるわ」
頷いたルーチェに、続けて、と先を促す。
「辺境伯家は3家、領有してるのはどこもアルトフェルツにとって重要な領域で、隣国と対峙する前線でもあるの。だから、建国の頃からの重臣の家が、そこの支配を任されてるわけ」
「遠くにいる重臣、ってそういう意味なのね」
「そう。詳しくはおいおい教えるけど、だいたい3家に対して順繰りに王家の従姉妹筋あたりから血を入れて姻戚関係を維持してるわ。今の奥方様は国王陛下の従妹に当たる方だから――」
わたしはフランと顔を見合わせた。
「粗相、してない――わよね?」
「ここまでは、無難にやり取りをされていたかと」
意識しないような細かなところで何かやってしまっている可能性はある。そこはもう、異国からの客人ということで、大目に見ていただいていると信じるしかない。
「接し方、変える必要があるかな」
「どうでしょうか。お嬢様はここまで礼節を保って接していましたから、過度に気にされる必要はないかと」
不自然に接し方を変えては、かえって失礼になるかもしれない。ひとまず今のままで続けて、そのうちそれとなく訊いてみる、くらいがちょうどいいのだろう。
「あまりそのあたりをやかましく仰る方ではないと思うわよ、奥方様」
事情を察したらしいルーチェがフォローしてくれる。
「――どこまで話したかしら?」
意図せずに話の腰を折ってしまった。
「ごめんなさい、辺境伯家の家格のあたり。奥方様が国王陛下の従妹、って」
「そうそう。つまりは、そういうお家なのよ」
嫁ぎ先として悪い話ではない、というよりも最高の部類、ということではある。逆に言えば、将来的に、それだけの重責を担わなければいけない、ということでもあるのだけれど。
「――知らないって怖いわね」
「かえって肩の力が抜けて、良かったかもしれないわよ?」
ルーチェはあくまでも前向きだ。今までのことはどうしようもないし、急に接し方を変えるわけにもいかないから、わたしもそういう風に考えた方がいいのかもしれない。
「うん、今日はいろいろ聞かせてくれてありがとう、ルーチェ。あなたに誘ってもらって良かったわ」
「こちらこそ、ユーラ。また是非、こうやってお話をさせて? それと、そのうち、私の友人にも、あなたを紹介させてね」
「ありがとう。それじゃ、明日までに、衣装は持ち出せるようにして用意しておくわ。奥方様にもお話をしておかないと」
「ええ、明日の午後あたりかしらね。お屋敷に使いを出すわ」
服の受け渡しの約束をして、わたしたちは席を立つ。ルーチェとアスティが、車寄せまで見送ってくれた。
辺境伯領は辺境じゃないし辺境伯は田舎領主じゃない(定期)




