【15 夜会のあと】
アルフェネル様とのダンスの時間は、あまり長くは続かなかった。
切りのいいところで止めてくれたのは、たぶん疲れてボロが出ないように、という気遣いだったのだと思う。
そのあと休み休み、誘われるままに何人かと踊った。ラネス様やハンス様もその中に入っている。
アルフェネル様が気にされるかと思ったけれど、そのあたりはおおらかなのか、特に気にされてもいない様子だった。社交の一環なのだから、いちいち気にしていては務まらない、ということなのかもしれない。
皆、上手にリードしてくれたな、と思いながら、夜会が終わって部屋に戻ったわたしは、部屋着に着替えて疲れた足をさすっている。社交は体力勝負、と言っていたのは誰だったか。今のわたしには思い出せないけれど、たぶんそれは真実だ。
「お疲れさまでした、お嬢様」
そういえばフランも幾人かのお相手をしていた。わたしよりもよほど上手だったから、別の形で注目を集めていたかもしれない。
「ご挨拶したひとたちの復習、明日でいい?」
本当ならば、お会いしたときの印象が薄れないうちにもう一度覚え直しておきたいところだけれど、正直なところ、今日はもう何をする気にもなれない。
「手控えに落としておきましたから、明日でも問題ないかと。今日はごゆっくりお休みください――と言いたいところですが」
「なあに?」
尋ねたわたしも、なんとなく言わんとするところは理解している。
「お化粧だけは落としてくださいね、お嬢様」
想像通りの台詞を吐いたフランが、お湯の入った器と手拭を取り出して並べる。
「……やっぱり?」
「いくらお嬢様の調製した下地でも、一晩そのままで寝たら肌を傷めます。落として化粧水を使ってからお休みくださいませね」
こういうときのフランに容赦などという言葉はないけれど、おかげさまで母様譲りの肌が保てているのだから文句は言えない。のろのろと身体を持ち上げ、鏡台の前の小さな椅子に座りなおす。
「体力、足りてないのよねえ」
お湯を張った器に、洗浄効果のある魔法薬を一滴二滴と落とすフランの手を鏡越しに眺めながら、わたしは呟く。
「お嬢様は体力もそうですが、場数が足りていないのでしょう。緊張し通しでは、余計に疲れてしまいますから」
「慣れれば、少しはましになるのかしら」
「体力も必要ですけれどもね」
すげない口調で応じながら、別の小瓶から一滴二滴。今度は香草油だったようで、さわやかな香りが立ち上がった。フランが器に手拭を浸し、軽く絞る。
「さ、目を閉じてください、お嬢様」
フランの声とともに、温かい手拭が顔を拭ってゆく。思わず、ふう、と息が漏れた。
二度三度と拭われるうちに、肌の上に一枚乗せられた薄皮が剝がれていくような感覚と、肌が突っ張ってゆくような感覚が同時にやってくる。化粧を落とすときはいつもそうだ――肌の上に薄皮を残したままでは肌を傷める。洗浄の魔法薬は肌そのものの水分まで根こそぎ剥ぎ取ってゆく。だから、化粧を落とさずにいればいたで、化粧を落としたら落としたで、あとの手入れをしておかなければ大変なことになる。
別の魔法薬を配合した化粧水を、フランが手に取って馴染ませ、顔に塗ってくれる。温かい手拭で熱を入れられた肌に、冷たい化粧水が心地いい。
念入りに化粧水を肌に馴染ませてくれたフランが、よろしゅうございます、と言い、わたしはもう一度息をついた。
ふわふわとした気分のままベッドへ倒れ込み、わたしはそのまま眠りに落ちていった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
翌日目が覚めたのは、もう日が高く昇ってからだった。
フランはとうに起きていて、昨夜散らかしたままだった服や小物を片付けてくれている。
あのあと、フラン自身の化粧を落とし、肌の手入れを済ませ、片付けるべきものを片付けて、それからようやく眠ったのだろう。それなのにわたしよりも早く起きている、というのは、信じられないところではある。
場数は似たようなもののはずだから、体力か覚悟かその両方か、たぶん様々なものがわたしとは違うのだ。
「朝食は部屋に運んでいただきました」
「ん、ありがと」
もそもそと起き出して、フランに手伝ってもらいながら、最低限の身支度を整える。
朝食はパンとハム、チーズ、幾種類かのジャムが用意されている。スープとお茶は、頼めば温かいものを運んでくれるということのようだ。
「今日はなにも予定、なかったわよね?」
「ございませんが」
運ばれてきたスープをいただきながらフランに尋ねると、なにか言いたげな答えが返ってきた。
「じゃあ、食べ終わったら昨夜の復習からかな」
「はい」
言わんとするところに先回りした話題は、どうやら正解だったようだ。あまり身体を動かす気分でもないし、昨夜顔を合わせたひとたちのことを覚え直しておくのは悪くない。
食事が済み、食器を下げてもらったところで普段着を用意してもらい、軽く化粧を済ませてから机の前に座る。
「こちらです、お嬢様」
フランが差し出してくれた手控えには、丁寧な字で、昨夜ご挨拶したひとたちの名と肩書が記されていた。
「結構いるのよね」
主賓という立場だったし、ほぼ誰とも知り合いではなかったから、挨拶に来てくれた方は数多い。次に会ったときに顔や名を思い出せないでは失礼に当たるから、こうして記憶が薄れないうちに頭に叩き込んでおく必要がある。
「主賓のお立場でしたから。でも、内々だけの会でまだ良かったかと」
「そうね。このあたりも閣下のお気遣いかしら?」
「そうかもしれません」
いきなり大々的にお披露目されたのでは、おそらくこの数倍の人数からご挨拶されてしまうし、そうなるとさすがに一度で覚えきるのは難しい。内々から徐々に広げていっていただければ、一度に覚える数はそう多くならないし、既に知り合いになった方から紹介していただくこともできる。
そういうことであれば、手を抜いて済ませるわけにもいかない。非礼失礼があってまず恥をかくのはわたしだけれど、伯家の皆様の顔にも泥を塗ることになる。
「抜けがないようにしないといけないわね」
並べられた名前と肩書の一覧をひとりずつ、記憶の中の外見と照らし合わせてゆく。
踊りに誘ってくれた方はさすがにきちんと覚えていたけれど、ご挨拶だけの方はいくらか記憶が曖昧だ。
「このひと、どういう感じの方だったかしら」
「最初の方にご挨拶にいらした方ですね。中背でがっちりした体格で、ちょっと癖のある黒い髪の」
「……服の色使いがちょっと残念なひと?」
「その方です」
この場だけの話だし、きちんと覚えるのが第一だから、わたしもフランも遠慮などない。
ご挨拶をした方は様々だった。肩書は伯領准男爵や騎士、その子息、伯領の代官やその子息、領都の有力商人の子女、穀倉地帯の豪農の子息、伯家の相談役の学者の子女などなど。
「名前と肩書はいいとして、伯領の中での立ち位置ってよくわからないのよね」
「そこは、どなたかに教えていただくほかありませんね」
と言っても、わたしに具体的な当てがあるわけではない。訊けそうな相手といえばアルフェネル様くらいしか思い当たらないし、そもそもアルフェネル様に尋ねてよいものかどうかもよくわからない。
だいたい、立ち位置もなにも、辺境伯領の状況そのものをあまり知らないのだから、まずはそこから学ばなければいけない。
「ラネス様あたりに、それとなく訊いてもらっていい?」
「はい。あとはやはり。アルフェネル様でしょうね」
フランの返答に、そうね、と頷く。
伝手のないところで貴族社会に入っていくというのは、案外苦労が多いものだ。辺境伯閣下もアルフェネル様も、気を遣ってくれてはいると思うけれど、自分でも相応の努力は――エリューシアにいた頃よりも格段に多い努力は、必要になってくる。
人付き合いを一切苦にしない母上やコーネリアならどうだったかしら、とふと思った。
作者は他人様の顔と名前を一致させるのがものすごく苦手です。
顔は憶えられても名前と結び付けられない(スゴイシツレイ)




