【13 夜会(上)】
最初の気恥ずかしさが通り過ぎてしまえば、あとは案外どうにかなる。フランが言っていたとおりだった。控えの間の空気は少々微妙ではあったけれど、居心地が悪くなるよりも前に、またノックの音がした。
「旦那様、皆様お揃いでございます」
うむ、と辺境伯閣下が頷いて椅子から立ち上がり、開かれた扉を通って廊下へと出る。わたしたちもその後に続いた。ふたたび廊下を歩きながら、もう一度、堂々と、と自分に言い聞かせる。
広間の扉の両脇には、使用人が控えていた。見事に揃った動作で扉を開け、ひとりが声を張る。
「ザールファーレン辺境伯、アレイン・エーレンハルト閣下、ご入室!」
明々と照らされた広間から、がたがたと椅子の鳴る音が聞こえた。皆が立ち上がって閣下を出迎えるのだろう。閣下とご家族と、そしてわたしたちを。広間へ入り、ここと定められたテーブルの前に立つ。
「方々、寒い中をよくおいでくださった。今日は心ばかりの宴ではあるが、どうか楽しんでいただきたい」
閣下がよく通る声でそこまで言って一旦言葉を切り、座を見渡した。
「さて、今日のこの宴に当たり、方々におひとり、ご紹介したい人物をお招きした。エリューシア王国ジェスレント伯爵、カルノ・アウレーゼ閣下ご息女、ユーラリア・アウレーゼ嬢」
ふたたび閣下が言葉を切るのに合わせて、一歩進み出て一礼する。
「アウレーゼ嬢は魔法学の教授役として、遠路エリューシアからお越しいただいた。方々、アウレーゼ嬢に歓迎の拍手を!」
わっ、と広間に居並ぶひとたちの間から拍手が起きた。わかってはいても面映ゆい気分になる。ひとしきり拍手が送られると、閣下が手振りでそれを抑え、わたしに顔を向けた。
「アウレーゼ嬢、当家所縁の者たちに一言ご挨拶を」
はい、と一礼して、皆様の方へ向き直る。
『ジェスレント伯爵の息女、ユーラリア・アウレーゼでございます。皆様にご挨拶をする栄誉を賜り、まことに喜ばしい限りです』
一言目は共通語ではなく、西方語――リオネシアから西で使われる地方語で、と決めていた。広間のあちこちからざわめきが起きる。
「――ここからは共通語でご容赦ください。西方語は教えていただきながら覚えてまいります」
笑顔で付け加えると、広間が沸いた。笑い声と拍手。
「ご紹介いただきましたとおり、エーレンハルト閣下のお招きによりエリューシアから参りました。いまだ浅学の身ではございますが、皆様の御期待に沿えるよう、力を尽くしたく存じます」
一礼すると、もう一度拍手が起こった。わたしはほうっと息をつく。歓迎されているらしいと知って、少し心が落ち着いた。
供される料理は贅を凝らしたものだった。ポタージュ、冬野菜の温サラダ、白身魚と貝の蒸し物、香辛料をまぶした鴨肉のロースト、白パンと幾種類かのチーズ、焼き菓子とお茶。
エリューシアとは味付けが違うのか、食べなれない味のものもあったけれど、どれも美味だ。特に蒸し物は絶品だった。ハンス様が言っていた「これからは魚がいい季節」というのは、本当に言葉通りなのだろう。
そのハンス様は、少し離れた別のテーブルについている。隣にお顔のよく似た年嵩の方がいるから、そちらがお父上なのかもしれない。こういった場ではだいたい、主催や主賓に近い席がよい席ということになっているから、ヴィスカール商会はかなり重きを置かれていることになる。
「エリューシアの学術院では、西方語も教えているのですか?」
ぼんやりそんなことを考えながら食事を楽しんでいると、アルフェネル様から声がかかった。
「一通りは学術院で習いました。リオネシアの文献に当たるのに必要でしたので。ただ、話すのと聞くのはあまり得手ではありません。身近に母語として扱う方がおりませんでしたから」
「それにしては、お見事な」
「二言三言の短いご挨拶くらいならば、練習することもできますので」
自在に操ることはできなくても、使いどころと使い方を自分で決められるのなら、それなりの準備はできる。たとえば、今日の挨拶のように。
「拙いものでしょうけれど、皆様に喜んでいただけたようで幸いでした」
半ば謙遜、半ば本音で付け加える。発音などは西方語を母語として使う方からすればひどいものだろうけれど、意味が通るという自信はあった。
拙くとも、自分たちの母語で話そうとする異国の娘。どう捉えるかは人によって様々だとは思うけれど、悪感情を抱かれることはない、と踏んでいた。
「私も含めてですが、皆、どういった方が来られるのかと思っていたのです。エリューシアの学術院と言えば、こちらでも名の通った学問の府ですから――」
「その権威を笠に着るような娘が来るかもしれない、と?」
冗談めかして尋ね返すと、アルフェネル様が小さく笑いながら首を振った。
「そこまでは。しかし、対等にお話をしてくださらない方が来られたら、と考えてはいました。しかし――」
「しかし?」
「西方語でご挨拶いただけたことで、皆安心したことでしょう。我々の方を向いていていただける、丁寧に接していただける、と」
わたしがどことも知れぬ土地、と不安だったように、呼んだ側は呼んだ側で誰とも知れぬ相手、という不安があったのだろう。知ってしまえばどうということのない話であっても、知らなければわからないし、わからないものは不安のもとだ。
「ご安心いただけたようで何よりでした。練習した甲斐があったというものです」
「私も安心しました。遠路お越しいただいたのに、家中の者たちと反りが合わないとなれば」
なるほど、と頷く。ここまで気を遣ってくれているのだから、わたしとしても振る舞いには気をつけなければいけない。
「あとは、わたしが何を為せるか、ということですね」
せっかく得られた好意も、無為に過ごせばじきに失われてしまうに違いない。そうならないためにも、やるべきことはきちんとやらなければ。
「期待しています」
――ああもう。
その笑顔でそういうことを言われたら。できるだけのことを、という気分になってしまう。
もちろん、それで全く問題はないのだけれど。
態度までイケメンなイケメン。




