【1 異国からの手紙】
貴族の家には様々な手紙が届く。
なんということもないやり取りの手紙、指示や命令、それらへの応答、取引の申し出、請願、要請から勅命まで。
それぞれの1通ごとに別の意味があるのだとしてもそれはそれで当たり前のもので、だからどの手紙が特別、というものではない。
まして、そのどれかひとつに人の運命を変えるようなものがあるなどと考えたことはなかった。
あの日までは。
あの手紙は、たしかにわたしの運命を変えたのだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「そのお手紙は、父上?」
「今日届いたものだ。アルトフェルツから」
呼び出された書斎の、机の上に置かれた書簡を、読んでみてくれ、と父様は言った。
いつになく難しい表情だった。
西の大国リオネシアとその属州の向こう、アルトフェルツ王国から届いた書簡だ、と父様が言う。
丁寧な古共通語の文字で署名があった。
ザールファーレン辺境伯、アレイン・エーレンハルト。
名だけは聞いたことがある。わたしたち、アウレーゼ家が取り引きする魔石、その産地を領する遠い異国の貴族家。その当主。
わたしたちの暮らすエリューシア王国は、魔法の利用について他国に一歩先んじている。50年ほど前に解読された古文書群から、魔法の術式の作成方法を取り出し、魔法の復興に先鞭をつけたことがそのきっかけだ。今や魔法と、そして術式を刻まれた魔道具は王国のどこででも活用され、生活に溶け込んでいる。
ゆえに、魔法の行使や魔道具の作成に際して何かと必要になる魔石は他国にも増して必須のもので、アウレーゼ家はその魔石の取引を財政基盤の中心に据えていた。
もっとも、取引とは言っても、家の誰かが直接行って買ってくる、というようなわけにはいかない。
船で片道1月を越そうかという距離はあまりに遠く、だから商人たちを介した取引ではあったのだけれども。
ともあれ、古共通語でしたためられた丁重な書簡の終わり近くには、用件の中でもっとも重要と思われることが記されていた。
『――当家嫡男アルフェネルに魔法理論の基礎なりと学ばせたく、遠路であるゆえ心苦しくはあるが、貴家の御厚誼をもって、適すると思われる人物を派遣いただきたい』
王国の上流社会において、他家に対して、婚姻の適齢にある子女に何がしかの教師をよこしてほしいと依頼することは、おおむね「当家の子女と貴家の子女を娶わせたい、ついては顔合わせを兼ねて貴家の子女を当家へ送っていただけないか」という意味になる。どうしても縁を結ぶ必要がある場合であればともかく、平穏な婚約と結婚のために、当人同士の最低限の相性というのは確かめておくのがよい、というのが近年の一般的な考え方だ。
そうなると当然、進みかけた縁談がなかったことになる、ということも珍しくはなくなる。縁談を断った断られたでは外聞が悪いから、まずは教師という名目で顔合わせをさせ、その上で問題がなければ縁談に進む、というような段取りが通例になった。
「父上、これは――」
最後まで読み終えて、わたしは尋ねた。
「読んでのとおりのものでしょう、ユーラリア」
一緒に呼ばれていた母上が割り込んで応じる。
「貰い手がついた、ということね。わたくしの心配事もこれでひとつ減りそう」
いつもわたしと話すときの不機嫌さはどこへやら、にこやかに決めつけて。
「まだこの話をうちで受けるかどうか、決まったわけではない、シェリア」
「決まったようなものでしょう、お手紙はうちへ来たのですから」
抗うように言った父様に、母上はあくまでも断定的だ。
太い息をひとつついて、父様は椅子から立ち上がった。
「どちらへ、あなた?」
「王城だ。ひとつ対応を誤れば国の大事になりかねん。この件、陛下に奏上せねば」
呼び鈴を鳴らして従者を呼び、身支度を整えて、父様は急ぎ登城した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「それで、父上」
夜になって屋敷に戻った父様は、書斎に家族を呼び集めた。
わたし、母上、そして妹のコーネリア。
「どのようなお話に?」
わたしの言葉は質問の形ではあったけれど、返答はなんとなく想像できた。ぐったりと椅子に身体を沈め、頭を抱える父様の姿を見れば、誰だって想像できようというものだ。
「――陛下は、先方のよきように計らってやれ、と」
ため息とともに吐き出した言葉は、わたしの想像と同じ。王陛下は老いゆえか、国政への関心を失われて久しいと聞く。よきように計らえ、というのが近年の陛下の口癖だそうだ。
「つまりどういうことですの、あなた?」
「重臣で相談して決めよ、という話だ。陛下のお言葉だから誰かを送り出さねばならんが、誰も引き受けたがらない。しまいには、取引があるのも書状が届いたのもアウレーゼの家であろう、と」
関わりが深いのだからその家から人を出せ、というのは、ある意味で当たり前の話ではある。当事者としてはそうも言っていられないところだけれど。
「気を落とされるようなことではありません。いいえ、むしろ名誉なことではないですか」
母上の反応も、おおかた想像の通り。
「そうは言うがな、シェリア、うちは娘ふたりだろう。どちらかを――」
「どちらか?」
父様が言いかけた言葉を、母上が遮った。
「コーネリアはまだ12。異国へ送り出すには早すぎます」
言いながら、わたしのほうへちらりと視線を送る。娘を遠く異国へ送り出すことを不安がる母の目ではなかった。
「――となれば、我が家にはちょうどいい人材がいるではありませんか。王立学術院魔法科の最優等生が。どう、ユーラリア?」
この期に及んでどう、もないでしょう。母上の中ではもう決まった話だというのに。
耐えきれなくなって、わたしは母上から視線を逸らした。コーネリアと目が合う。
「私も賛成よ、母様。姉様は、こういうときのために魔法を学ばれていたのではなくて?」
ふわふわと可愛らしい顔で――女のわたしから見ても可愛らしいと思える顔でにこにこと笑いながら、妹が言う。どことも知れぬ場所へ家族を送り出そうという態度ではない。
すべてわかっていたことだ。わかってはいたけれど、実際にこうも悪意を並べられれば気は沈む。
「お断りできる話でもありません、父上。ただ、せめて、あと半年、お時間をいただけませんか」
あと半年。半年の猶予があれば、学術院を卒業できる。学び続けたことを形にして持っていける。それに――。
「ユーラリア、あなたは賢い子だと思っていたのだけれど」
父様ではなく、うっすらと笑みを浮かべた母上が応じた。
「ザールファーレン辺境伯家は、わたくしたちにとってもっとも大事な取引のお相手。お待たせしてよいものかどうか、わからないようなことでもないでしょう。ねえ、あなた?」
椅子に腰を下ろしたままの父様が、ひときわ大きくため息をついた。
「ユーラリア」
押し出すような声。顔が苦しげに歪んでいる。
「父様、そのようなお顔をなさらないで。ユーラがアルトフェルツに参ります」
できる限り抑えたけれど、隠しきれない震えが、声に残った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
翌日の朝。部屋で鏡台の前に座ったわたしは、鏡の中で、琥珀色をした形のいい手がてきぱきと化粧の支度を整えていくところを、ぼんやりと眺めていた。
「あまりよくおやすみになれなかったようですね、ユーラお嬢様?」
すこししっかりめにお化粧しましょうか、と言いながら、侍女のフランツィスカが鏡越しにわたしの顔を覗き込む。わたしとは同年、背丈は彼女の方がだいぶ高い。琥珀色の肌に銀色の髪。鏡越しに、銀灰色の瞳が心配そうな表情でこちらを見つめていた。
わたしはと言えば、母様譲りの白磁の肌がくすみ、目の下に隈ができている。紫紺の瞳には疲れが浮かび、肩までの長さで切り揃えた黒髪はあらぬ方向へ癖がついて過剰な自己主張をしている。なかなか眠れずにベッドの中であちらこちらと寝返りを繰り返すうちにそうなったのだろう。付き合いの長い彼女ならずとも、何かあったと察せられる顔になっていた。
「さすがにね。フラン、聞いた?」
「使用人の間でも、もう噂になっておりました。奥様がパオラ様を通じてお話をされたようで」
フランが出したのはハウスキーパーの名だ。昨夜、家族の内々の話だったものが、今朝にはもう屋敷中に広がっている。そうやって既成事実にしてしまい、万が一にもわたしや父様が後戻りできないようにしているのだろう。念の入ったやりかたは、ある意味で母上らしいとも言えた。
「辺境とはいえ、オストノーリアとは様子も異なりましょう」
手慣れた調子で髪に櫛を入れながら、フランが言う。
「そうだといいのだけれど」
オストノーリア辺境領。エリューシア王国の北東の果て、広大な森林と氷原が広がる酷寒の地をそう呼ぶ。地面の下には大規模な魔石の鉱脈があるけれど、採掘ができるのは年に数か月、ごく短い雪解けの間だけ。それ以外の期間は長い冬に閉ざされ、固く凍った地面はゴーレムの力をもってしても掘り崩すことなどできなくなる。
辺境領に季節は2つしかない、長い冬と短いそれ以外だ、などとも言われる場所だ。
そしてそこは、この国の貴族の実質的な流刑先でもあった。政争に敗れた貴族を転封の名目で中央から遠ざけ、慣れぬ土地で政務に就かせる。早ければ数か月、長くても2年3年で失政を咎めて解任する、というのが既定路線だ。解任された者が中央へ戻ることはまずない――失政の咎で貴族の地位と特権を剥奪され、庇護する者もない元有力者を無事に返してくれるほど、辺境の人心は平らかではない。そんな辺境領への転封と赴任は、エリューシアの貴族にとって年限を切られた死の宣告と大差がない。領主の嫡男の地位などあってないようなもの、人によってはないほうがましとすら言うかもしれない。
「あちらの御当主様――伯爵様でしょうか、もうかなりお長いのでは?」
「――そういえばそうね」
オストノーリアと同じように長くて3年程度という事実上の流刑地であれば、ここ数年で領主が替わったという挨拶くらいはありそうなものだ。でも、わたしが覚えている限り、そういった話は聞いたことがない。流刑地ではない、ということなら、かなり話は変わってくる。
「ユーラお嬢様ならば、必ず先様の信を得ることができましょう」
気に入られる、でないあたりがフランらしい。
「そうだといいのだけれど――いえ、そうあらねばならないわね」
貴族の結婚は自分だけのものではない。もしこれが真っ当な結婚話であるのなら、アウレーゼの家の将来が、わたしの挙措にかかっている。そう考えると緊張もするけれど、逆に少々気分が晴れるところもあった。
――母上、コーネリア、疎んじたわたしに家ごと命運を握られるかもしれない、というのはおわかりなのかしら?
フランはそんなわたしに鏡の中でちらりと視線を送り、何も言わずにわたしの身支度に戻った。
久々の新作長編です。
どうかよろしくお付き合いくださいませ。
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