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第五話 すがるリンゴ

 貴子が身を縮こませて涙を流し続ける間、勇樹は、黙ってその姿を見詰めていた。そばに寄るでなく、触れるでなく、ただ、静かに見守る。

 やがて、貴子は段々と落ち着きを取り戻して、部屋にはファンヒーターの送風音だけが、一定のリズムを刻む様になっていた。

「ごめんなさい」

 貴子が、小さな声で言った。

 その声に頷いてから、勇樹は席を立った。

「お茶を……入れましょうか」

 勇樹は、場所を空ける様、食卓になっていたこたつから、器を下げ始めた。その幾つかを台所へ運んで戻って来た時、自分も手伝わねばと思い、貴子が立ち上がろうとした。だが、何年か振りにあんな泣き方をしたもので、脚に上手く力が入らずよろけて倒れそうになった。

 すかさず、勇樹の手が貴子の両肩に添えられ、転倒が避けられた分、二人は、間近に向き合う格好となった。

 女性としては上背うわぜいの有る貴子と、男性としては小柄な勇樹の視線が、ほぼ同じ高さで結ばれている。

 また、この眼。この瞳に見詰められると、吸い込まれそうになる。

 勇樹の表情はこの前と同じで、貴子を慈しむ様であった。妹が居るからであろうか。自分の方が年上である筈なのに、まるで、居もしない兄になだめられているみたいに。

 いたたまれず、貴子は視線を外して下方に泳がせた。涙で化粧の崩れた顔を見詰められているのが恥ずかしい気もするし、そのまま見詰め合っていたら、自分が自分でなくなる――いや、作り上げて来たものが崩れ去り、本当の自分をさらけ出してしまいそうで怖い。

 そんな気持ちを察してか、勇樹の手から貴子の身を支える力が抜け、離れて行きそうになった。

「待って……お願い」

 ヒーターの音に掻き消されそうなくらい弱々しい声。すると、また、支えが少しだけ強くなった。

 貴子は、胸の前で所在無く組んでいた手を、ためらいがちに勇樹の腰へ回し、もう一度勇樹の眼を見ると、そのまま、そっとまぶたを閉じた。

「あ……っ」

 当然、次の瞬間に訪れるのは、唇同士の触れ合う軟らかい感触だと思い込んでいた貴子は、思わず、初心うぶな少女の様に声を漏らした。

「これが、今、僕に出来る精一杯です」

 勇樹は、貴子の身体を強く抱き締めていた。

「子供っぽいと思いますか?」

「ううん、そんな事無い」

 貴子にしてみれば、こんな風に身体ごと包み込まれる事の方が、今は、口づけよりも幾倍にも大胆に思えた。

 もう何年も、誰かとこんな気持ちで抱き合っていなかった。その先へ進む為の前戯でない、相手の温もりを全身で味わう為の抱擁。

 寒い夜で良かった。もしも、硝子が結露していなければ、リンゴの様に紅潮した自分の頬が、窓にくっきりと映った事だろう。そうしたら、こんな風に素直に抱かれてはいられなかった筈だ。

「私の方が子供みたい」

「どうして?」

 そう、自分の方がずっと子供っぽい。

「あんなに泣いて、眼も真っ赤よね、私。会う度、酷い顔して」

 かぶりを振って、よりしっかりと抱き締める勇樹。

 どんなに、きつく抱き締められても、痛いとは感じなかった。

 出来る事なら、いつまでも放さないで欲しい。

 胸の高鳴りを抑えたくて深く息を吸い込と、勇樹の耳の後ろの匂いがやけに心地良かった。

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