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おまけ 伯爵令嬢の婚活事情

 試合の翌日、マリエラはお見舞いのため公爵家に赴いた。アドリアの右腕が決勝戦で大変なことになっていたので心配になったのだ。様子を見て、悪いようならまた治して差し上げようと思っていた。

 前回はアポイントもなしで押しかけたが今回は昨日のうちに使者を出してあった。


 公爵家に着くと出迎えた執事は「お嬢様はご自分のお部屋でご静養なさっていらっしゃいます」と言った。先客があるとも。昨日のうちに約束していたはずなのだが……?


「急なご来訪でして……」

 執事は言葉を濁した。


 一度奥に下がった執事が戻って来て、部屋に入る許可を得たというので後について行った。案内された部屋に入ろうとすると中から声が聞こえた。ちょっと不穏な様子だったので、礼に反するとは思いつつもドアをそっと細く開けて部屋の中を覗き見た……。


 アドリアはベッドに横になって……はいなかった。ベッドの端に腰かけて、隣には何故か王子がいた。アドリアは彼に体を近寄せて、ほとんどしなだれかかっているようだった。


「ねえアルス様、私とても頑張ったの」

「うん」

「とてもとても頑張りましたの」

「本当にね」

「酷いわ、私をあんな化け物と戦わせるなんて!」

「ごめんね」

「怖かった……」

「でも逃げなかったね」

「え……」

「君は僕の誇りだ」

「アルス様……」

 潤む瞳が見つめ合った。


 マリエラはそっとドアを閉じた。


 え?

 入っていいって言ったよね??

 私をあの雰囲気の中に招き入れるつもりだったの???


 マリエラは結局部屋には入らず退散した。

 代わりに執事に明日の来訪を念押しして公爵家を後にした。


(あんなアドリア様は見たくなかった……)


 馬車に揺られながらぼんやり考える。戦士としては肉体の完成度、修行の年数、いずれにしても年が上の方が有利に決まっている。今大会の出場者たちだって、まああの十三歳は例外として若くて十六歳、半数以上は王子より年上だったのだ。

 ということは自分の子供を選考会に参加させようと思ったら、なるべく早く産んであげなければ遅れるほど不利になる。


 二人の正式な婚儀は一年後だが、あの様子だと即ご懐妊即第一子ご生誕ということになりそうだ。何なら結婚式の時には既にお腹が膨れていてもおかしくない。

 アドリアは約束を守ったが……マリエラも約束を守ろうと思ったらできれば今年、遅くとも来年には結婚を決めて、子作りに励まないとならないようだ。


(お見合いしかないか……)


 マリエラは同世代の貴族の間での知名度があまりなかった。目標を王太子妃選考会に絞っていたマリエラは、実力を隠すため他の公式戦にはほとんど出たことがない。

 それに赤毛の女というのは顔色が青白くなりがちだ。実際にはマリエラは非常に強い回復魔法の使い手で大抵の女よりも健康である。あるのだが、見た目の印象はどうしても拭えない。またこれはマリエラの知るところではなかったが、準決勝で吐血したのも不健康なイメージに一役買っていた。


 そういうわけでマリエラは今まで男性から相手にされたことがない。パーティーでもアウラが次から次へとダンスを申し込まれているのをカティアと一緒に壁の花となって眺めているのが常だった。アドリアとまでは言わなくても、せめてカルトゥール伯爵令嬢くらいの胸もとい容姿があれば引く手あまただっただろうが……。

 子供のためにはなるべく強い男……とは思うのだが、マリエラ自身の好みはどちらかというと線の細い男だった。それこそ王太子のような。しかし、そういう男性に相手にされる自信はまるでない。


 マリエラは馬車に揺られながらハードな戦いになりそうだとぼんやり考えていた。




 出場者十七名中、大会終了後も身分不詳である選手が一人だけいた。

 イオンである。

 名誉を重んずるイフタール家としては自分の家の娘をサポートさせるために侍女を出場させた、などと公言したくはなかった。他所の貴族が聞いたら「いやだからってそれで予選を勝ち抜ける侍女がいるならウチだって出すわ」と言っただろうがイフタール家的にはナシだ。さすがに選考会実行委員会には伝えてあるものの一般には身分を伏せていた。


 選考会でのイオンはわざとどこかの商家のお坊ちゃまと言った装いを着込んでいた。普段主人の側に控えているときのメイド服からなるべく離れた服装を選んだのである。ところが、その男装まがいの服のせいで偏った一部の層から人気が出た。腐……ほどよく発酵のお進みになったお姉様方から。

 イオンは彼女たちの間で『イオンきゅん』と呼ばれていた。


 その日もその淑女の皆様方は定例のお茶会で気勢というか奇声を上げていた。

「あんな可愛い子が女の子のはずがないわ!」

「そうよ!」

 一人が高らかに断定すると同意の合いの手が鋭く飛んだ。


「あのフラットな胸……細い手足……。女の子というより思春期の男の子みたいじゃない?」

「それ」

「イオンきゅんは男の子でありながら王子への許されない恋に苦しむの」

「続けて?」

「かなわない恋、でも諦めきれない恋の、苦しみと葛藤……。イオンきゅんは思い余った挙句、女しか出られないはずの大会に女装して出場するの……」

「え、待って、尊い……」


 発酵の姫君たちの間で『イオン男の娘なのに王子への愛のため出場した説』がまことしやかに語られていた。


 で、そのうちの一人がトチ狂ってそれを書いてしまった。




 ガーランド王国ではこの頃お嬢様方の間で恋愛小説が流行していた。誰かが書いたものが回覧されて、それに刺激を受けた誰かがまた書いてみたりするという、いわゆる同人活動が結構にぎわっていた。


 アウラも御多分に漏れず恋愛小説好きである。布教活動にも熱心で、マリエラは以前押し切られて……いや勧められて読んでみたことがあった。

 読んではみたのだが……自称普通の女の子が身分の高いイケメンたちに寄ってたかって熱愛されるというご都合展開で、マリエラにはちょっと受け入れられなかった。その上なかなかドギツイ描写も多くて(これ子供に読ませていいものなの?)との疑念が拭いきれなかった。

 ならばというので一応男性向け創作も読んでみたのだが、こちらも無数の女の子たちからいとも容易く惚れられるという結局男女を入れ替えただけの内容で、子供だましの性愛描写が増えただけでなく金と出世の話も絡んできて、もっと受け付けなかった。欲望に忠実すぎるでしょ、この作者たち……。


 そんなマリエラには女性向け創作で男性同士の同性愛が取り上げられるというのがもうまるで理解できなかった。


 その日イフタール家を訪れたアウラは「ボーイズラブは守備範囲外なんだけど」と断りを入れた上でその本を差し出した。

「おすすめされたので読んでみたの……」

 その簡素な装丁の本の表紙には手書きで『上を下へのディレッタント』とタイトルが記されていた。


 ページを繰るにつれてマリエラの眉間に刻まれた皺は深さを増していった。

 それは愛憎渦巻く宮廷を舞台にした男性同士の恋愛劇だった。もう少し言えば二人の貴族から権力と暴力でねじ伏せられる少年の攻守逆転劇だった。

 まあそれはまだいい。問題は固有名詞だ。舞台はどう見てもこの国の王宮だし、何より登場人物が……『マルス王子』に『キオ男爵』に『イアン君』って……。


「これって……」

 読み終えたマリエラが呟くとアウラも深刻そうにうなずいた。

「どう考えても殿下とイオンよね」

「キオ男爵はキアラさんかしら」

「こんなことカティアには言えないわ!」

「そうね……」

 だって作中にチョイ役(濡場あり)で登場する『カティス』という騎士、これってどう見ても……。


「これはちょっと問題ね……」

 マリエラが重々しく口にするとアウラもブンブン首を振って同意した。

「大問題なの! ナマモノしかもガチリバということで界隈大荒れなのよ! リバ表記なしなんてありえないしイオン攻めも解釈違いだし炎上も仕方ないけど! 出来自体はいいものだから読まずにいられないのが始末が悪くて──」

「なんて?」

「あらごめんあそばせ。それはともかく、当分イオンは令嬢たちの前に出さない方がいいと思うの。彼女たちの間で大人気なのよ、あまり良くない感じで。悪く言いたくはないんだけど、中には興奮すると見境のなくなる方が若干名いらっしゃるし……」

「そうね……」

 答える声が弱々しかった。おまけにダラダラと冷や汗を流している。訝しんでアウラは尋ねた。

「どうしたの?」

「ごめんなさい、手遅れだわ」

「どういうこと?」

「だって、もう紹介しちゃったんだもの!」

「……ええっ!」


 実は選考会後に開かれた親族への報告会で従姉妹たちにイオンをお披露目してしまったのだ、とマリエラは言った。

 本当は同席させたかったのにイオンがどうしても譲らないものだから、メイドとして給仕に現れたのを捕まえて無理矢理に。

 その従姉妹のうちの一人が自分の同好の士であることをアウラは知っていた。


「どうしてそんなことを……」

「だって、私のために大会に出場した可愛い侍女を自慢したかったんだもの!」

「……」

 この主従は普通の家とちょっとズレている。


 謎の候補者を発見した令嬢たちがどのような愚挙に及ぶかわからない。そうでない方でもイオンを見てどこでどう話すかわかったものではない。人の口に戸は立てられないと言うし。

 イオンにどう説明したらいいものやら……。


 相談の結果、マリエラは静養という名目でグリースを離れることにした。ほとぼりが冷めるまで、イオンを連れて。婚活に励まなければならないこの時期に……。

 自分の愚かさと(くだん)の同人誌の作者を恨みつつマリエラは伯爵領の実家に避難した。




 ところでこの一年後、この本に大変な衝撃を受けた令嬢がいた。


 フィリル・グラムは二回戦で敗北したとはいえその舞うような戦いぶりは大勢を魅了した。すっかり有名人になったフィリルはたびたび招かれてグリースの上流階級にも出入りするようになっていた。


「まあ、フィリル様も詩集をご覧になるの?」

「ええ、嗜み程度ですけど」

 園遊会の後、令嬢たちの集まる部屋の中で、この日の話題は最近評判の詩人とその詩についてだった。


 淑女らしい微笑みをたたえて答えたフィリルに、その令嬢は辺りを憚りつつ一冊の本を差し出した。

「……では、こういうのはご存知?」

「それは……?」

 簡素な装丁のその本の表紙には手書きで『上を下へのディレッタント』と書かれていた。


「ね、お貸しして差し上げますわ。是非ご覧あそばせ」


(はすーはすー)


 衝撃だった。こんな世界があったなんて……! その夜フィリルは興奮して眠れなかった。


 まだ活版印刷技術が発明されていないこの世界では同人誌は基本的に手書きで、増やすにも書写するしかない。著作権の概念が整備されていない時代である。書写の許可を得る対象は著作者ではなく本の所持者だった。フィリルは持ち主に許可を得て、書き写して自宅に持ち帰った。フィリルは熱心な信徒となり、布教活動に邁進した。


 これが北部の町で大流行した。フィリルは求められるままに何冊も写本を作った。

 書物は正確に書き写そうとしても誤字脱字衍字はつきものだ。中には文字どころか文章を削ったり書き替えたり書き加えたりする者もいる。

 フィリルはその後者だった。清書の際にちょっとずつアレンジを加えた。ポエミーな感性が爆発してつい筆が滑って、ちょっとしたアレンジはちょっとではすまなくなっていった。


 フィリルは上流階級といっても平民であり、交際の範囲は上から下まで幅広かった。グリースでは貴族の令嬢たちの間で秘かに読み継がれていたにすぎないこの同人誌は、北部においては平民層にまで急速に浸透していった。

 本というものは高級品である。同人誌ならすべてが紙だが高価な本の装丁はその豪華さを際立たせるため革で作られていた。さらに高価なものでは宝石を埋め込むこともあった。

 フィリルの家は有力な宝石商だ。当然そのような需要もあり、本を装丁する職人とも付き合いがある。フィリルは実家の伝手を最大限に活用した。グリースでは簡素な紙製だったこの本は北部では立派な装丁がなされて、堂々と流通した。


 そしてフィリルはもちろんのこと、この本を読んだ少女たちの中から真似をして新しい物語を書き始める者が現れた。後に北派文学と呼ばれる文芸上の一大潮流の嚆矢が著作者不明のこの同人誌であった。嫌な源氏物語もあったものである。


 アウラは自分の『上を下へのディレッタント』を自邸の図書室の書棚の奥に固く封印した。そしてそのことを忘れたまま嫁いで行ってしまったため、伯爵家の誰も知らないこの本はその後も長く残されることとなった。

 百年後、このオリジナルに近い『伯爵家本』の発見により北部本との比較対照研究が進むこととなるのだが、それはまた別の話。




 慣れないパーティーから帰ってきたカティアは入浴しようと服を脱いだ。髪をほどくとふわっと広がった。静電気のせいだ。広がるというかふわふわ命があるように蠢いていて、うっとうしいことこの上ない。さっさと濡らすとようやく普通の女の子になった。ちょっと腕が太くて腹筋が割れているけど、普通の女の子だ。


「うあー……」

 お湯に浸かると気疲れがすーっと抜けていった。


(子爵くらいが一番楽なんだよなー)

 カティアは風呂に入るたびに二人のことを思い出す。

 伯爵令嬢の二人と付き合っていて、身分の壁を一番感じるのは何より生活習慣である。生活水準ではなく習慣だ。伯爵家以上の上級貴族では気を配る格式も多い。つまり支出が多い。ギリギリ伯爵家でない子爵家の方がかえって生活水準は高かったりする。


 では習慣の何が違うのかというと、伯爵家以上の家柄だと何をするにも制約が多くて、例えば入浴だって一人ではしない。侍女に体を洗ってもらわなければならないのだ。

 以前恥ずかしくないのかと聞いてみたことがあった。アウラは「別に何とも思わないけど。子供の頃からそうだし」と答えた。

 普通の感性を持っていそうなマリエラにも聞いてみた。

「私も別に。イオンのことは私が洗ってあげているし」

「……」

 あの主従は普通の家とはちょっとズレていて、あまり参考にならない。


 そのイオンのために実家に隠れていたマリエラが半年ぶりにようやく帰ってきた。こそこそと、世間の様子を伺いながら。そして帰ってくるなり何件もお見合いしたり、精力的にパーティーに出席したりし始めた。親の期待を一身に背負った娘は自分の娘に一身に期待を背負わせるべく婚活に励んでいた。

(正直なー、あの家はどうなんだろうなー)

 と思わないでもない。親の期待を子供に背負わせるのはあまり良くないと思う。


 もっとも、婚活は全然上手く行かなかったのだけれども。

 全身で傷つくマリエラを見かねたカティアは自分の階級のパーティーにマリエラを誘ったのである。


「おや、貴女は……」

「あら、貴方は……」


 その小さなパーティーで、マリエラは若い男爵と出会った。イフタール一族の端に連なる男爵家の、背が高くて繊弱で、王太子にも劣らない美貌の当主と。


(なんかいい感じだったな)

 二人の様子を思い出したカティアは心の中で応援した。

「うまく行くといいなー……」

 湯船に鼻まで浸かるとブクブクブクッと泡が漏れた。


 線が細い分には武力も弱く、一族内では顔だけの男と見られていたその男爵と、マリエラは恋に落ちた。弱い上に格差婚ということもあって父親には渋い顔をされたけれども、マリエラは押し切った。


「ち、違うのよ。話が合うの。性格が合うの。顔で選んだわけじゃないの。いえ見た目も好きなんだけどね? それにほら私の娘って将来王妃になる予定だから、でもあのお二人の間に生まれる王子って絶対美形じゃない? だから私の娘も美人に産んであげないと可愛そうだから父親は顔のいい男を選んであげないと──」

 婚約おめでとうと祝福しに行ったアウラとカティアを前に、マリエラは顔を真っ赤にして身振り手振りも総動員して婚約者について説明した。

 早口でまくし立てる友人に二人は呆れかえっていた。

(そんな言い訳しなくてもいいのに)

(マリエラってああいうのが趣味だったんだな)


 さてその後、よほど相性が良かったのかマリエラと夫の間には女の子がポコポコ五人も産まれた。さらによほど相性が良かったのか全員顔は父親譲り、頭脳と魔力は母親譲りという恵まれた能力を持っていた。男爵家の評判の五人姉妹はきっと王妃を目指すに違いないと噂されていた。


 そして時は巡って次の選考会では長女と次女が本選に出場した。二人は順調に勝ち進み、決勝は史上初の姉妹対決となった。どちらが勝っても一族の娘が王妃になることは確定、しかも可愛い可愛い孫娘たちの優秀さが世間に示されて、マリエラの父は絶頂のあまり死にそうになっていた。

 まあ残念なことに最後はどちらも魔力も体力も尽きて低レベルなつかみあいになってしまったのだが……。最終的には姉の方が貫禄を見せて勝った。


 こうしてマリエラは約束を守り、イフタール家の悲願もまた果たされたのである。

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