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32 決勝戦

昨日の入場通路でのことだ。

抱きしめ合う二人の耳に足音が近づいてきた。

メイドが医者を連れて戻ってきたのだ。


秘かに婚約した二人は甘やかな語らいをする暇もなく腕をほどいた。

名残惜しい。

体を離した王子に「殿下」と呼び掛けると彼は首を横に振った。


「殿下はやめてくれ」

「では何と」

「名前で。アルスと」

「アルス様……」


それまでアドリアの心の中一人だけの呼び方だった名前は二人の秘密となった。




空は快晴で闘技場の砂を白く照らしている。

整備員の仕事は万全で砂は真っ平にならされアドリアの前には何もなく、後ろには足跡だけが残されている。


「公爵家の令嬢にして麗しき美貌の主、そして最強の剣士!」

「この方ほど王妃に相応しい人物が他にいるのでしょうか?アドリア・ヴェダ・カルミール候補が入場です!」


そうだろうか?とアドリアは考える。

個人と個人の結びつきでいえばアドリアは誰よりも王子と縁が深いが、家と家との繋がりという点でいえば、実は弱い。


候補者の中で言えば──例えばマリエラがもし王妃となれば、王国軍から今一つ人気のない王太子の支えとなるだろう。

彼女の実家のイフタール家は王国最大の軍閥だ。

伯爵家の私立軍はもちろんのこと王国軍上層部の中にも一族の者が何人もいる。

イフタール家は強いバックアップとなるだろう。


アウラの実家は国内の貴族でももっとも裕福と言っていい。

実家からの資金的援助だけでなく長年培った経営・利殖の知識と技術を持った家臣たちは国家運営の助けになるだろう。


平民でもティナのアズール家は王国最大の貿易商で周辺諸国の政財界と太いパイプを持っている。

彼女が王妃になれば平和外交の一助となるだろう。


一方公爵家は元々王家と親戚筋、今更縁を深めてもあまり意味はない。


それでも王子はアドリアを選んだ。

そんなアドリアが王子にしてさしあげられることは一つだけ。


(私がアルス様を国王にしてみせる)


それにこんなことを申し上げては不敬に当たるかもしれないが、現国王陛下は何と言うか脳筋にあらせられて、書類仕事を大変苦手にしていらっしゃる。

即位からこちらずっと王妃が輔弼奉っていたが、二年ほど前からは王太子が国王代理として決裁していた。

今や国王が決裁すべき業務の半分は王子が受け持っているのである。

その判断は聡明にして果断、知らない者は王子を弱いと侮るが、知っている者からすれば今や王国の柱石が誰であるかは明らかだ。

そして第二王子は父親譲りの脳筋、第三王子はまだ十三歳で将来は未知数。

もしアルス王子が王位継承権を失えば王宮の官吏たちは絶望することだろう。


アドリアは自分のため、王子のため、そして王国のために負けられない戦いに挑もうとしていた。


反対側の出口から吐き出された人影がアドリアと同じ歩調で近寄ってくる。

ただの体操着に身を包んだ、どう見ても普通の町娘。

しかも彼女は剣術や格闘技の類を一切やったことがないということを今はアドリアも知っている。

しかし彼女こそが人類という種の最強の個体であることを疑う者はもういない。


「最強のド素人がッ!ついにこんなところまで来てしまいましたッ!」

「『超人』ッ!!メリル候補の登場だ──ッッ!!!」


ワァァァァ……ッ!!!


二人が開始線に揃うと割れるような大声が会場に降り注いだ。



試合の前にアドリアはメリルに問いかけた。


「あなたは何のために戦うのかしら?」


かつてしたことのない行為だったが、王子から事情を聴いた今となってはどうしても尋ねておきたかったのだ。


「その気のない者が勝ってもいいと思いますの?」


アドリアの意図が読めずメリルは首を傾げた。

何のために戦うのかと聞かれたら、最初は頼まれたからだったけど、今は……。


「楽しいから」


思いもよらない答えが返ってきた。


「戦うのって楽しかったんだね。私知らなかったよ。何でみんなこんなことしてるのかと思ってたけど」


そしてメリルは正拳の構えを取った。

アドリアは腰の刀を抜き払った。


「始めッ!」


誰もがメリルはいつも通り真正面から突っ込むと思っていた。

アドリアも下段から斜めに跳ね上げる「浮舟」の型で迎撃しようと考えていた。


しかしこの時メリルは初めて構えたまま動かず、今度は自分からアドリアに語り掛けた。

「知ってた?導引術の呼吸って全部意味があるんだよ」


導引術。

平民に伝わる健康体操だ。

呼吸と運動を組み合わせた一連の動作、つまり型によって成る体操の系統だと聞く。


「まず基本は何と言っても鶴の呼吸。天地の間の魔力を吸引する」


コォォォォ──


メリルが息を吸うとドン!と巨大な魔力の衝撃が走った。

空の彼方から降りてきた莫大な魔力の流れがメリルの体を通り地下へと抜けていった。

天上から地下まで一本巨大な柱が通ったかのようだ。

思わず怯みかけたアドリアは自分も呼吸をコントロールして落ち着きを取り戻した。


(そちらが来ないならこちらから──)

アドリアは「迅雷」の型で突っかけた。

しかしメリルの目の前で急ブレーキ、剣先を右肩に担ぐように逸らして自分の頭をがら空きにする。

誘いに乗ったメリルが右ストレートを顔面目掛けて打ち込んで来た。

アドリアは左足を引いて下がりつつその腕に刀を鋭く打ち込んだ。


「横雲」の型だ。

手加減なしの一刀、肉の下で骨の砕ける感触があった。

しかし──


「鰐の呼吸、その身を養い傷を癒す」

メリルが息をひとつ吸うとその折れて曲がった腕がひとりでに元の位置に戻った。

ぶらぶら手を振って見せる、何の支障もない。

痣すら残さず治っている。


「くっ!」

わずかに動揺しつつも追撃、首筋に横薙ぎの一閃──

ガツンと固い手ごたえがして弾かれた。

「亀の呼吸、その身は鍛えられた鋼より硬く」


斬撃が効かないなら──刺突!

アドリアは全身の力で喉目がけて突きを放った。

メリルは──


……観客の誰もがあっけにとられた。

誰よりもアドリアが信じられなかった。


メリルは突き出された剣の上に乗っていた。

なのにまるで重さを感じない。


「蝶の呼吸、その身は空を漂う鴻毛のように」


「に、人間じゃねぇ……」

観客の誰かが呟いた。


メリルは軽く剣を蹴って大きく飛び下がり、体重のないもののようにふわりと舞い降りて立った。

そしてアドリアを見てにこやかに言った。


「それから、私が何で勝つかっていうと、強いから。強い方が勝つのは当然でしょ?」


何と言う傲慢──だが事実に裏付けされた強さを傲慢と言えるのだろうか?


「思いの強さが力の強さを覆すって言うなら──やってみなさいお嬢様!」

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