31 王子の悩み
王子はスタジアムの自分の席に着いた。
目の下に広がる闘技場にはまだ誰の姿もないがまもなく決勝戦が始まる。
ようやく心が通じ合った人のことを思う。
危ないところだった。
アドリアが何故あのような勘違いをしていたのかは今もってわからないが誤解が解けて本当に良かった。
昨日王子は決勝戦で戦う二人と会って二人に棄権を勧めたが、二人ともに断られた。
アドリアは「戦って、勝ちます」と言い切った。
メリルには「こんな楽しいことを取り上げたら暴れますよ?」と逆に脅された。
もっとも二人を説得できなかったのは王子自身迷いがあるからだ。
アドリアと結婚する、そこに迷いはない。
問題はこの国を見捨てて楽な道を選ぶか、この国のために戦うかだ。
この二年間義務感を持って国政に携わってきたが、実のところ王子はこの国に愛想をつかしかけていた。
そうでなければ王太子の地位を捨てて公爵家の入り婿になろうかなどとは考えない。
この国は建国以来文武の武に大きく比重を置いている。
尚武の気風と言えば聞こえはいいがそこには為政よりも威勢、鳥が羽を広げて自分を大きく見せようとする滑稽さがつきまとっている。
誰に対しても常に喧嘩腰で居丈高、自分は相手より強いのだ、強いから従うべきだなどと考えている会話のできない野蛮人の何と多いことか。
ガーランド王国はこの二十年間で二回しか戦争をしていない。
そのどちらも防衛戦だ。
一度も他国に侵攻していないのはこの戦乱の世としては珍しいことである。
それは宮廷の事実上の支配者である王妃が富国強兵を旗印に民力給養を優先したからだ。
この国だけでなくどの国も度重なる戦争でガタガタ、戦争するのは力を溜めてからにしましょう、と提唱したのだ。
もちろん実際には戦争をしない方針だ。
もはや戦争というのは割に合う商売ではなくなっているからだ。
王妃一派は期限付きながら四か国間での不戦条約も締結した。
大ざっぱに言うとガーランド王国は西側を闇の森に接していて、南北に小国、東側に王国と同程度の面積の国を抱えている。
この三か国とさえ戦争をしなければどこともしなくても済む。
戦争をやめて内政に専念し産業を振興、周辺諸国との関係も表向きは良好で輸出入も好調、この二十年経済は右肩上がりだ。
国民一人当たりのGDPであれば周辺三か国の二倍近くにもなるだろう。
もう十分ではないか──との声が近年軍を中心に上がっている。
国力も戦力も充実した、そろそろ戦争を再開しようではないか、と。
彼らとしてみれば攻め込まれるだけで攻め込んでいないのは屈辱だ。
自国領を荒らされるのではなく他国を蹂躙したいのだ。
戦争しないと軍人も国民も弱くなるなどと主張する者もあった。
王子としては信じがたいことにその声に同調する国民がかなりいる。
武を重んじる国民性で誰もかれもが武力の信奉者だ。
一般人から軍人まで戦争したくて仕方がないのだ。
もちろん王妃は一顧だにしない。
そのせいで軍には相当不満が溜まっているし根が軍人である国王との仲も完全に冷え切っている。
王子が国王となればもちろん王妃の方針を継承するつもりだ。
しかしその場合の軍からの反発はすさまじいものになるだろう。
ただでさえ武才のない王子ということで軍からは人気がないのだから。
アルス国王の治世は難しいものとなる。
そこでアルス王子が王太子を降りてカルミール公爵家に婿入りしたとする。
王子自身は幸福だろう。
愛する人と結ばれて、責任のない立場で日々楽しく暮らすだけ。
もちろんそれなりの役割は求められるだろうが今と比べたら遊んでいるようなものだ。
しかし王国はどうなるだろうか。
次に王太子になるのは第二王子だが彼に軍を抑えきれるとは思えない。
というより国王似の彼のことである、むしろ率先して戦争を起こすだろう。
最悪のシナリオはこうだ。
条約の提唱国側からの一方的な条約破棄、加えて侵略戦争を起こす。
そこには大義名分など一つもない。
条約加盟国は激怒し、侵攻されたのではない他の二国も参戦する。
その場合王国は三正面作戦を強いられることになる。
敗色は濃厚、それに勝とうが負けようが大勢の無辜の命が失われる。
生活の基盤を破壊されて路頭に迷う者はさらに多いだろう。
せっかくここまで養った経済も水の泡だ。
カルミール公爵家を中心とした南部諸侯は王妃派つまり反戦派だ。
王国の方針に反発して独立を図るかもしれない。
しかし王国は地域大国であるから三方を敵に囲まれてもやってこられたのだ。
南部が分離したところで東と南に敵を抱えた小国ができるだけだ。
その先には今以上の困難が待ち受けているだろう。
このままこの国を見捨ててもいいものか、それとも苦難の道を選ぶべきか。
しかしそれを選ぶ権利は既に王子にはない。
迷っているうちに時間が来てしまった。
アドリアが勝てば王太子妃だ。
王子は王太子を継続し、やがて国王になる。
行方には困難が待ち受けているだろうが隣にアドリアがいてくれれば戦える気がする。
アドリアが負ければ王子は王太子を降りる。
その後は安楽に暮らせるかもしれないし、戦争が始まるかもしれない。
ここまで来たら勝って欲しくもある。
危ない思いをしないで棄権して欲しい気持ちもある。
気持ちはどうあれ今となっては王子にできるのは決勝戦を見守ることだけだった。




