21 村人たちの宝物
エリスは僻地の寒村で育った。
十年前、村はずれで行き倒れていた旅の女の死体の傍らで呆然と座り込んでいた三歳の子供がエリスである。
回復魔法を使えるが自分の診療所を構えるほどではない、そういう者が地方を巡り歩いていることがある。
女はあるいはそういう巡回医だったのかもしれない。
しかし女は身元につながるものを何一つ所持していなかったしエリスも記憶の混濁から自分の年と名前を言うのが精一杯だったので、実際のことは何もわからない。
ただ女の横に転がっていた魔法の杖だけが形見だった。
エリスは彼女と母を見つけた子供のない夫婦の養子になった。
二人はようやく五十歳になるかならないかという年齢だったが厳しい生活が若さを奪っていたせいですっかり老人に見えた。
なのでエリスは二人をおじいちゃんおばあちゃんと呼んで暮らした。
この桜色の髪の幼女はたいそう可愛らしく、物腰も柔らかく、あるいは都会のお貴族様というのはこういうものかもしれない、などと村人たちに思わせるものがあった。
それは母を失った不安から来るものだったのだろうが、彼女は寂しがり屋で、いつも養父母の後ろをついて歩いた。
そして養父母に追いつくと、あるいは村人たちと行き会うと、ぎゅっとしがみついて離れなかった。
まるで口のきけない子供が「自分はここにいるよ」と叫んでいるようだった。
エリスはまたとても賢くて、一度見たことは忘れなかったし、聞いたこともすべて覚えていた。
そこで村に一人だけいた知識人の老婆が彼女に文字を教えた。
エリスは乾いた砂が水を吸い込むように老婆の知識を吸収した。
老婆はすぐに教えることがなくなってしまった。
村人たちの誰もがこの幼女を愛した。
美しく、賢く、愛おしいこの幼女は世界の外れの寒村の唯一の希望、村人たちの宝物だった。
エリスは生まれつき精霊という目に見えない存在を感じ取ることができた。
神の懐は広く、その奇蹟に縋る神聖魔法は(もちろん得手不得手に個人差があるとはいえ)学べば誰でも使える。
一方で精霊魔法は使い手を選ぶ。
まず精霊が見えることが必要であり、意思疎通ができることが必要である。
しかしいずれも精霊が姿を見せる気にならなければ見えないし、声を聞かせる気にならなければ聞こえない。
また言う事を聞く気にならなければ聞いてくれない。
精霊の加護は一方的に与えられるものであって、要するに素質がすべてだ。
エリスの精霊使いとしての才能は類い稀れなものがあった。
誰に教わらずとも──いや、精霊たちの方から盛んに接触して教えたがった。
エリスが四歳になった頃のことだ。
養父母が痩せた土を耕すのをじっと見ていたエリスは、精霊たちがささやくのに任せて──それは言語的なコミュニケーションではなかったが──導くままに力を使った。
エリスが念じると畑の土が一息におこされて畝になった。
大の大人が数人がかりで一日かかる仕事をエリスはほとんど一瞬のうちに片づけてしまった。
養父母はびっくりして大声を上げたが、畑の脇でエリスがこてんと横倒しになったので今度は悲鳴を上げて駆け寄った。
エリスはすぅすぅと寝息を立てて眠っていた。
魔力を一度に使い果たしてしまったのだ。
それからエリスは本格的に畑仕事を手伝うようになった。
土の精霊の力で畑の土から混ざった石や小石を取り除く。
風の精霊の力で土に空気を含ませる。
水の精霊の力で川から水を導く。
火の精霊の力で土に温度を与える。
植物の精霊の「そうして欲しい」という欲求に従って村中の痩せた畑を肥沃な農土に変えて行く。
畑だけでなくそれまで荒れ地だった土地までも日に日に農地になっていった。
村人たちはこの幼女は神様がこの見捨てられた村を憐れんで遣わされた贈り物であると信じた。
五歳になった頃、いつものように畑の様子を見ていたエリスは畑の向こうに動物がいるのを見つけた。
森から出て来た猪だ。
猪は夜中に畑を荒らすので村人たちに嫌われていた。
この辺りでは珍しくもない生き物だが昼にさまよい出てくるのはやはり珍しいかもしれない。
(森に帰ってくれないかな)
そう祈ってエリスは小石を一つ魔法で飛ばしてぶつけた。
コツン、石を当てられた猪は突然エリス目掛けて突っ込んできた。
畑を横切る猪目がけてエリスは反射的に土の精霊の魔法を使った。
ドン!
間欠泉のように噴き上がった土砂が猪を空高く打ち上げた。
勢いのままエリスの上を越えて飛んで行った猪はまだ農地になっていない荒れ地の上を転がってそのまま動かなくなった。
エリスは精霊の力が畑を耕すこと以外にも使えることを発見した。
エリスの村は人類世界の最果てにあった。
ガーランド王国の、というよりオストランド地方の西側には闇の森と呼ばれる奥深い森が広がっている。
その先がどれだけ続いているのかわからない。
この森は名の知れた、あるいは名も知れない無数の危険な魔物に満たされていて、人間はこの先には誰一人住んでいない。
森の中からさまよい出る動物たちとの戦いは村の生活の一部だった。
猪は頻繁に畑を荒らしに来た。
狼は乏しい家畜を襲いに来るし、普段は人を見れば逃げる鹿だって繁殖期の雄は気が荒れている。
熊や虎、ときには竜を始めとした危険な魔物が村を襲うこともあった。
竜のような危険な魔物が現れたとき、従来であれば村人たちはそれが気が済んで森に帰るまで村を捨てて逃げるしかなかったがエリスは立ち向かった。
老人だらけのこの村でそういった脅威とまともに戦えるのはエリスだけだったからだ。
エリスは高い知能に裏付けされた観察力、洞察力、瞬間的な判断力を武器に初見の相手であっても対応することができた。
戦いの中で恐怖を殺す術を、そして数々の魔法を身に着けた。
エリスに戦い方を教えられる者はいなかったが実戦がエリスを鍛え上げた。
森の動物たちはごちそうでもあった。
熊を倒したときには村中総出で鍋にして食べた。
普段は何もない村がお祭りのようだった。
「よくやったね」
「ありがとう」
村人たちが一人一人エリスのところにやってきて抱きしめ、称えた。
あの時の誇らしさ、晴れがましさ、そして暖かさは忘れられない思い出だ。
エリスが成長するのと反比例するように養父は次第に病気がちになった。
何か決まった病に苦しめられているというわけではなく長年の過労と栄養失調が原因で抵抗力を失っていたのだろう。
養父はたびたび発熱して寝込んだ。
ベッドの脇に座り込んで布を絞り、養父の額に当てる。
この小さな貧しい村には医薬もなく、赤い、表情を失ったような顔でひたすら眠り続けるしか病をやり過ごす方法がない。
病のたびに養父の寿命は短くなっていくように思えた。
世界のすべてが失われるような不安と恐怖が十二歳の少女の肩にのしかかっていた。
ある日エリスは養母に連れられて近くの町へ野菜と森の獣の毛皮を売りに行った。
お金に換えて薬を手に入れようとしたのだ。
町の真ん中の公会所──それは公民館あるいは町役場のような役割を果たす建物だったが、その入り口の扉にカサカサに乾いたチラシが貼られていた。
王太子妃選考会の開催を告げるものだった。
文章を読むと「参加資格は十三歳から二十三歳の国内女性、十日後から西部の中心都市で予選が行われる」と書いてあった。
エリスに稲妻のような天啓が走った。
千載一遇のチャンスだった。
「私、行ってくる」
エリスは養母と村人たちに告げた。
「なんでそんな急に……」
「私が王妃様になれば、きっとみんなお腹いっぱいご飯が食べられるよ」
養父を治す医者や薬も手配できるだろうし、金銭的な支援もできるかもしれない。
「危ないよ。エリスが強いのはわかってるけど、他の人だって強いんだよ」
「それに都会の人たちは怖いよ。エリスなんかすぐに騙されてどこかに連れていかれちゃうよ」
村人たちはエリスを止めようとしたが、その意志が固いことを知ると最後には諦めた。
「気を付けてね」
「怪我しないようにするんだよ」
みんな心配してはいても同時に期待していることもわかっていた。
故郷の期待を背負ってエリスは一人旅立った。




