02 王子の依頼
竜を受け止めた少女──メリルはグリースに住む町娘である。
年齢は十八歳、普段は街角の食堂のウェイトレスとして働いている。
花嫁トーナメントを控えて町はにわかに騒がしく、メリルの勤める食堂も大忙しだ。
なのでお昼の営業のためにメリルはいつもより少し早く家を出た。
その出勤途中で竜車の暴走に出くわしたメリルは竜を止めて事故を防いだのである。
メリルはその日の夕方に王城へと呼び出された。
食堂に現れた使者が告げることには、彼女を呼んだのはアルス・ヴェダ・ガーランド──この国の王子その人である。
食堂の亭主は慌ててメリルに仕事を早退させた。
仕方なくメリルはその使者の後について王城へと向かった。
メリルが通されたのは正式な謁見室ではなかった。
椅子とテーブルしかない簡素な部屋だ。
使者に案内されて部屋の中に入るとそこに王子がいた。
噂通りの美貌がそこにあった。
王子は剣も魔法も弱いとの評判だが、見た目だけは良かった。
その長身も、波打つ金髪も、描いたような目鼻立ちも、すべてが物語の中の理想の王子の姿そのままであり、その弱さにも関わらずご婦人方の心を捉えて離さなかった。
男の顔にさして興味のないメリルの目から見てもその麗しさは本物である。
玉座に飾る分にはさぞや映えることだろう。
「ちょっと二人きりにしてくれないか」
王子は使者とお付きの衛士に部屋から出るように言った。
「殿下、しかし……」
「いいから」
衛士は不承不承部屋を後にし、中にいるのはメリルと王子の二人だけとなった。
「えーっと、今日は何のご用で……」
メリルは警戒していた。
お貴族様なんてこれまでの人生に何の接点もなかったのだ。
「今朝は見事だったね」
「何のことでしょう?」
「とぼけても駄目だよ。ほら、竜車を止めただろう?」
「……見てました?」
「全部ね」
「アハ、お恥ずかしい……。あ、まさか、道路を弁償しなさいとか……」
「はは、そんなことは言わないよ。それどころか……ほら。これはご褒美だ。よくやったね」
「わー、ありがとうございます」
差し出された袋を受け取るとメリルの掌の中で中身がジャランと音を立てた。
この感触は金貨か銀貨か、とにかく貨幣だ。
それも結構な額の。
「正式な報酬はまた出るはずだよ。これは僕の気持ちだ」
王子はさわやかな笑顔で続けた。
「ところで君を見込んで一つ頼み事があるんだ」
「何でしょうか」
メリルもまたにこやかな笑顔である。
「私にできることでしたら何でも」
褒美に気を良くしたメリルはこの時どんな依頼でも気前よく引き受ける気になっていた。
「君については少し調べさせてもらった」
「え、ストーカー……?」
「違う。そこでだね──」
そして王子はメリルの私生活に関するある事情を口にした。
「あはは、よくご存じで……」
「そこでだ。王太子妃選考会のことは知っているだろう?」
「もちろんです」
花嫁トーナメントが三日後から開催されることは国民なら誰でも知っている。
そのためにメリルの食堂は今大忙しなのだ。
「君もあれに出場して、優勝してほしい」
「え……私が目当てだったんですか!?」
メリルは嫌そうな顔でススス……と距離を取った。
王子もまた不本意そうな顔をして手を振った。
「違う、そうじゃない。実は僕には心に決めた人がいるんだ。しかしだね、例の決め事が邪魔をする」
「王子様の結婚相手は花嫁トーナメントの優勝者だって、ずっと昔から決まってますもんね」
「そうだ。でも僕は好きでもない相手と結婚したくない」
「そりゃ誰だってそうでしょうけど、それはワガママじゃないですか?そういう自由がない代わりにいい生活してるんですから」
すると王子は肩をすくめた。
「僕の父陛下は最強の騎士、母は最強の魔法使いだ。でも生まれた僕は魔力は父譲り、体力は母譲りという体たらくさ。どんなに両親が優秀でも生まれて来る子供の能力は結局運次第……ねえ、選考会に意味なんてあると思うかい?」
「うーん……そう言われると……」
メリルには遺伝に関する知識はなかったが(そういえば近所の競馬狂いのおじさんが「競走馬は速い馬同士を掛け合わせて作るけど大抵は失敗作だ」って言ってたなー、猫だって子供の毛色はみんな違うもんなー)などと考えていた。
「もちろん君と結婚したりはしないから安心してほしい。報酬も出す。今渡した百倍の額を保証しよう。君は強い。あのゴリラの群れに放り込んだって君なら難なく優勝できるだろう」
「ゴリラって……仮にも女性に対してひどくないですか?」
「姿がゴリラで力がゴリラだったらそれはもうゴリラじゃないか」
「でも、心はきっと麗しい女性です」
「あのね、君。今回の大会で例えれば容姿は予選で心は本選なんだ。予選を勝ち抜かなければ本選には進めないんだよ」
「それはルッキズムですよ、王子様」
「じゃあ君はゴリラと結婚できるのか!?」
「王族に生まれた者の義務です、努力してください。私は人間と結婚しますので」
「我が国の国民は王子に冷たい……。寒い、心が……」
大げさに震えて我が身を抱える王子の姿になんとなくイラッとするメリルだった。
「……話がズレたね。ともかく強いとか弱いとか美しいとか醜いとかゴリラとかそういうのじゃなくて、僕は彼女がいいんだ」
「結婚は優勝者としておいて、その女性は愛人とかにすればいいんじゃないですか?身分の高い人ってよくそうしてるじゃないですか」
「それは僕の心が許さないし、彼女だって嫌だろう」
そこで突然王子はガバッと地面に伏せた。
全身全霊の土下座である。
「頼む!この通りだ!僕のために選考会に出場してくれ!」
「わあぁ!ちょ、ちょっと!頭を上げてください!仮にも王子様が恥ずかしくないんですか!?」
「僕の人生がかかってるんだ!恥も外聞もあるものか!」
「わかりました!出ます、出ますから!土下座はやめてください!」
「あ、ありがとう……」
体は伏せたまま頭を上げた王子のその顔は晴れやかだった。
メリルはため息をついた。
「今日会ったばかりの私をそこまで信じていいんですか?」
すると立ち上がった王子は何だかカッコつけながら言った。
「見知らぬ他人を救うためにあの竜車の前に身を投げ出した君の心は信頼できる。それに子供の頃から強者はいくらでも見て来たからね。人を見る目だけはあるんだ」
「だからって土下座までしますか?普通……」
(この王子様で本当にこの国大丈夫かな?)
祖国の未来が不安になるメリルだった。