7. 強い想い
見ず知らずの老婆が、小さな丸いテーブルにお茶を二つ置いた。そして背もたれのないぼろぼろの小さな腰掛け椅子を二つ用意して、私たちはそこに座るよう促される。
「うちはあたし一人しかいないからねぇ。そんなものですまないね」
ひゃひゃと笑いながら老婆も一緒に席についた。
「では、早速彼女を見てもらいたいのですが、」
「ちょっと待っておくれ。先にお金を渡してくれないと困るよ」
ロザンヌ様がそう話しを切り出すと、老婆は言葉を遮ってそう要求した。その横柄な態度に驚いていると、彼女は特に気に留めない様子でバッグから小さな巾着袋を取り出した。
「こちらが報酬です。見て頂けたらもう一つ、こちらと同等の額を差し上げます」
老婆はその場で袋を開け、中身を確認する。そして満足げに頷いて私の顔をじっと見つめた。
私をこの老婆に合わせることがロザンヌ様の目的だと理解したけれど、このみすぼらしい老婆が【魅了】について何か知っている人なのだろうか。まあ、確かに見た目でも怪しい雰囲気は醸し出している。
「ふんふん。確かにこの娘は魅了魔法を持っているね。うっかりするとあたしも魅了にかかってしまいそうじゃ」
薄気味悪くにやりと笑う老婆に背筋が寒くなる。この得体の知れない人に、私の何かが見透かされているかと思うと怖かった。
「ですが、彼女はそれを知らないというのです。無意識に魔法を使うことなどありえるのでしょうか」
「ああ、それはあんたが勘違いしておるよ。このおなごは魔法を使っているんじゃなく、魅了を付与されておる。つまり、誰かから魅了魔法をかけられている状態ということじゃな」
「まさか、彼女が魅了魔法をかけられている側だというのですか? なぜそれで周囲の人間が魅了状態になるのですか」
納得いかないと言いたげに、ロザンヌ様が追及する
「例えていうなら、誰も食べないような古いパンに血の滴る肉をごしごしと擦り付けるとするじゃろ? そのパンを道に置くと、周囲の犬は匂いに騙され釣られてやってきてパンをかじる。このおなごはそのパンということじゃ」
そう言うと、老婆は私の奥を見通すかのように真っ直ぐに見つめた。
「しかし誰がそんな魔法をかけたのか……もう少し深く探ってみようかの」
老婆は私の前に手をかざし、ゆっくりと目を閉じた。どこか懐かしいような感覚が身体を包んで不思議な気持ちになる。先程まで薄気味悪い老婆だと思っていたというのに、安らぐような心地よさがあった。
「なんだか懐かしいような感覚があります。それにとても優しい、安心感のようなものも感じます」
私は目を瞑っている老婆に話しかけた。
「ふぇっふぇっ、それはとても大事なことじゃな。今あたしはお前さんがかけられた魔法と同じようなことをしておる。それで気持ちが安らぐのなら、その掛けた相手をとても信頼していたということじゃ」
ここまで言われて、脳裏にある記憶が蘇った。
(もしお母さんがちょっとだけ遠くに行ってしまっても、皆があなたを愛してくれるから寂しくないわ)
(お母さんもばあちゃんもシャルロットが大好き。あなたが笑顔でいるだけで、皆嬉しくなって大好きになるの。だから幸せになってね)
もしかしたら。
私は在りし日の母のことを思い出した。何度も何度も、私を安心させるように頭を撫でながら言われた言葉。あの時と同じような感覚だった。
「どうやら魔法は重ね掛けされているようじゃの。一つ一つの弱い魔力が、何度も重ねることによって強い魅了効果になっておる」
老婆は手を下ろして私を見つめた。
「最近ではなく、昔に掛けられた魔法のようじゃ。ここまで継続して持ちこたえているのは、それだけ強い思いが込められた現れじゃろうて。心当たりは……」
「お母さん」
老婆の言葉が言い終わる前に、遠い日の記憶に思いを馳せていた私は答えた。
「きっと私のお母さんだ。流行り病に倒れ日に日に弱っていくなかで、いつも私にかけてくれた言葉……」
思い出したら少し声がつまって、鼻の奥がつんとした。私は涙声にならないよう静かな声で、母を失うまでの悲しかった日々を二人に語った。
老婆は特に表情を変えることなく淡々とした様子で聞いている。そのまま話を続けようとしたところで、隣から嗚咽のような声が聞こえた。
「うっ……く……」
見ると、ロザンヌ様が声を押し殺すようにして、涙をぼろぼろと流していた。
「リクト……」
感情を抑えられないといった様子で、何かをつぶやきながらとうとう泣き崩れてしまった。話を続けることができなくて、彼女を見守りながら話を止めた。
老婆は黙ったままお茶を飲み、私は声を掛けることもできずに泣き止むのを待つしかなかった。




