3. シャルロットの生い立ち
私がウィリアムからプロポーズをされたのは、十四歳の時だった。今から二年前になるけれど、その日の事をはっきりと憶えている。
彼の家の広い庭園を二人で歩いている時、緊張した面持ちで私に愛の告白をした。私を生涯大切にすると誓って。
でも元々プロポーズされるまでもなく、両家の間で婚約はなされていた。私は八歳、彼は十歳の時に親に連れられて出会い、その二年後に許嫁となった。だから改まって告白をされるなど思ってもなく、とても驚いた顔をしていたと思う。
用意していたネックレスを私の首にかけると、少し強張っていた表情が和らいだような気がした。もしかしたら彼にとって、これは大人の道を歩み始める儀式のようなものだったのかもしれない。その頃から親に連れられ社交界に顔を出すようになっていた彼だったから、男の責任というものを強く意識するようになっていたのだろう。
いつも私より先に立って、頼もしいウィリアムの事がずっと好きだった。
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煌びやかな夜は幕を閉じ、宮殿に集まっていた紳士淑女がそれぞれの家路に向かう頃。
「顔色が優れないけれど、さすがに疲れたみたいだね。今日はゆっくり身体を休めて」
ウィリアムから優しく気遣うように声を掛けられ、私は頷いて馬車に乗った。先に乗車していた父と共に彼に軽く会釈をし、私たちは宮殿を後にする。
「初めての宮廷舞踏会、シャルロットは随分と人気だったな」
馬車に揺られながら、目を細めてまんざらでもない様子で父がそう話す。
「何を暢気な事をおっしゃっているのですか、お父様。ジェラルド様からのお誘いもそうですけれど、本当にどうしていいかわからず戸惑っていたのですよ」
「すまんすまん。でも父として可愛い娘が人気だと鼻が高くてな」
「そんなことをおっしゃっていると、クラッセン伯爵に言いつけますよ?」
私はウィリアムのお父様、クラッセン伯爵の名を挙げて釘を刺す。いくら昔から懇意にしていただいている間柄だとしても、立場としては子爵の父が弱い。
少ししょんぼりした父を見て、くすりと小さく笑った。
こんな私のことを、これほど大切に育ててくださったお父様。来年にはウィリアムと結婚し、家を出る私は今の家族に思いを馳せる。
私は元々、貴族の子供ではなかった。というよりも父は間違いなくこのカール・バニエ子爵なのだけれど、母が平民だった。
父はまだ結婚もしておらず、子爵家の使用人で密かな恋人であった母が私を身籠った。しかし貴族の繋がりを強くしたかった祖父母は二人の結婚を大反対し、すぐに父の結婚相手となる女性を見つけてきたという。周囲に頭を下げ交渉をし、高位の伯爵令嬢を連れてきたらしい。
父方の祖父母に追い出され、実家に帰った母はひっそりと私を産み落とした。
それからは母と祖母の三人で王都の町に暮らしていたけれど、私が五つか六つになる頃に母は流行り病に侵され、あっけなくこの世を去ってしまった。
日に日に力を無くしていく母は私の手を取り、「愛しているわ」「これからは皆に大切にしてもらって」と語りかけていた。
幼心に母がいなくなることに怯えた私は、「早く元気になって」「いなくならないで」と泣いて縋った。うっすらとした記憶だけれど、今でもその時の事を思うと胸が痛む。
もっと優しい言葉をかけてあげればよかった、心穏やかに逝けるよう泣かなければよかったと、今振り返るとそんな風に思ってしまう。
けれど、母はいつも私の頭を優しく撫で、「こわくない、こわくない、お母さんもばあちゃんもシャルロットが大好き。あなたが笑顔でいるだけで、皆嬉しくなって大好きになるの。だから幸せになってね」
そう儚く笑う母は、間もなく息を引き取った。
祖母から連絡を受けた父が私に会いに来たのは、母が亡くなってひと月も経っていない頃だった。
母がいなくなって泣いて、それからなんとなく状況を受け入れ、これからはばあちゃんと二人で暮らしていくんだなぁとぼんやりと思い始めたところで、高級な馬車が我が家の前に停まった。
今よりも若干スリムだった父が私の前に現れ、大きな体を小さく屈めてぎゅっと抱きしめてくれた。初めて大人の男の人に優しく抱きしめられて、お父さんてこういう感じなのかなと、他人事のように思った。
そうして私は母の家を離れ、バニエ子爵の正式な娘として屋敷に迎えられた。君のお母様が亡くなってお祖母様がこちらに連絡をくれたのだと、まだ他人のようであった父がそう説明をしてくれた。
なんて優しく上品な言葉遣いをする人なのだろうと、幼い私は父をすぐに好きになった。母を亡くしたばかりの私は、もしかしたら頼れる誰かに縋りたい気持ちがあったのかもしれない。
屋敷に着くと、母とは全く印象の違う女性が父の妻として家を取り仕切っていた。綺麗なドレスを身に付けているものの、気の強さが前面に現れていてとても怖かった覚えがある。
紹介をされた時、あからさまに不機嫌さを隠さない女性を見て、父の後ろに隠れるようにじりじりと下がった。すると、その表情からは予想もつかない優しい声色で名を呼ばれた。
「あなたシャルロットというのね。なんて可愛らしいのかしら! これほど可愛い女の子は見たことがないわ!」
そう言って私の側に寄って、怖かったはずの顔がニッコリと笑顔を見せていた。
「今日からあなたの継母になるアデルよ。……いえ、それを伝えるのはまだ早いかしら。とにかく、ここへ来たからには心配いらないわ。これからはお父様と私たちがあなたを立派に育てますからね」
きびきびとした口調でそう話す継母に気圧されていた。
まだ礼儀作法など習っていなかった私は、ただ怯えながら「よろしくおねがいします」とだけ応えると、継母はハンカチを取り出して目頭を押さえていた。
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「帰ったらシャルロットの人気ぶりをアデルに話してやらないとな。きっと心配してやきもきしているだろう」
「余計な事を言って、お継母様を心配させないでくださいね。特にジェラルド様のことなど!」
この時はまだ、あの出来事はささやかな間違いのようなものだと、父も私も考えていた。