6:部屋は清潔に
気を取り直して2階に上がり、自室に到着する。
流石に気が抜けきって、中に数歩入って座り込んでしまった。
「ゔぇはぁぁぇぇ……」
「ふふ、お疲れ様。よく頑張って、生きていると思うよ」
「ほんそれです。生きてるだけで、拍手喝采ものですよ」
この20年の人生で最大級のお褒めの言葉をいただいたぜ。
室内を見渡していた師匠が、奥に進んで窓を開ける。
「さて、掃除…の前の片付けだけど…
君はしばらく、休んでいるといい。ザッと僕たちでやるから、触ってほしくない物とかある?」
「何にもございません。どうぞ、御心のままに...」
その言葉を受け、二人の両眼がキラリと光ったような気がした。
◇
部屋の隅っこでクッションを抱えてウトウトしていた俺が揺り起こされたのは、どのくらい時間が経った後だったのだろうか。
「起きて。お母さんが来るよ」
「...む…」
寝ぼけながらも立ち上がったところに、階段を上がる足音がする。すぐに部屋の扉がノックされて、一拍置いて開かれる。
「夕飯よ、出ていらっしゃい...あら?
まぁ…まあまあまあ!」
母の心境はよくわかる。
なにせたった今目覚めたばかりの俺も、同じ事を思っているから。
自室が生まれ変わっていた。
…いや、一度も死んでいないはずなのだが、生まれ変わっていた。
乱雑に並んでいた物の配置がセンス良く整い、よく換気されて空気も良く、その辺のゴミもどきも一箇所に纏められ、家具の配置が少し変わっている。どこから引っ張り出したのか、変な所に、妙な角度でスタンドミラーも置いてあった。
目立たない所に、ひっそりと盛り塩まで設置されている。
やばいくらいに雰囲気が良くなっていた。
同じ部屋、だよな…?
「ど、どうしたのコレ!?
お祓いの準備!?」
「う、うん。オハライノ、ジュンビダヨ...」
感動したように目を見張る母よ、息子も全く同じ気持ちです。
いつのまにか五峯さんは再び作務衣に着替えて片付け作業をしていたらしい。
清廉になった部屋に、甚平と作務衣が妙に似合っている。
というか、寝ぼけ眼で汚れた服もまだ着替えていない部屋の主が一番浮いている。
「よくわからないけど、息子がグースカ寝こけている間にありがとうございますぅ...!
どうお礼をしたらよいか……!」
げっ、寝てたのバレてた。
「お礼だなんて、とんでもない。こちらが好きでやっている事ですから。
―――そうだ。後で、掃除用具をお借りしてもいいですか?」
母と俺は、同時にブンブンと頷いた。
階下のダイニングに降りると、当然のようにお客さまたちの分の食事まで用意されていた。急な来客の上に何も言わなかったのに…本当にありがたい。友達を招いての夕食をとった事が一度も無かったから、気が回らなかった。
さっきまでは居なかった父親が帰宅して、席についている。いつものように、ヘロンヘロンに疲れているようだ。また後で肩を揉まねば。
「お。神社でコケた玲史を助けてくれた友達だって?
ありがとうな、のんびりしていくといい」
「お邪魔しています。
雲訪神社で巫女の助勤をしております、五峯と申します」
「同じく、お邪魔致しております。
偶然立ち合わせた、湊と申します。
突然ご相伴に与ることになり、恐縮です」
丁寧に頭を下げた二人に、俺たち家族の方が慌てて恐縮する。
「あばばば…ちっ違う、いやほんと、お世話にな…ったのは俺の方だから!!」
「聞いてよお父さん、玲史の部屋が神聖に生まれ変わったのよ、この人たちのお陰で!
巫女さんたちだったのね!」
「なに、あの中国の観光街のような、変な私室が!?」
どんな例えだよ。
父の肩辺りを透かすように見ていた師匠が、軽く問いかける。
「玲史くんのお父さん、右の肩が重くはありませんか?」
「どっ、どうしてそれを...はっ、まさか…」
「祓わせていただいても?」
目を白黒させながらも取り敢えずなんとか頷いた父親の右肩に向かい、師匠が何かした――ようには見えなかった。
それなのに、急にガバッと父が立ち上がる。
「とれた...!!」
とれたの!?
っていうか、なんか憑いてたの!
俺は、何かが居た肩をいつも揉んでいたのか…コリが取れないわけだわ。
「ありがとう、ありがとう!
君は右肩の恩人だ!」
「どういたしまして。
また何か憑いたかな? と感じたら、冷たいシャワーを浴びるといいですよ」
「おおぉ、ぜひそうさせていただく!」
ふと見ると、母が感動に打ち震えている。
「やっぱり、ホンモノだわ……!
あまりにも部屋が清々しくなり過ぎだと思ったのよ…!」
まぁ、ニセモノではないわな。空飛んでたし。
そっち方面に対する両親の理解が予想以上にあった事に密かに驚きながら、2日ぶりの母の食事を堪能した。
自室に戻って掃除機をかけながら、その事を喋っていると、師匠が頷いた。
「子供は無意識に親の思想の影響を受けて育つからね。君の話を聞いていた時からなんとなく予想はついていた。
―――あのご両親なら、正直に話しても大丈夫だと思うよ。もっとも、凄く心配をかけるだろうけど」
「私は、言う必要はないと思いますよ。
結果的に無駄になる心配なら、かけさせないに越したことはありません」
二人とも、実にごもっともである。
話す必要に迫られるまでは、黙っておく事にする。
「そういや部屋の掃除って、やっぱ一番大事なんすか?」
「うん。水回りは、それ以上に大切だけど。
汚れた所には穢れが湧くから」
「神社では誰かしらが竹箒を持って、お寺では坊主さん方が雑巾掛けしているイメージでしょう?」
「ああ、なるほど!」
悪いモノを発生させないためにも、神聖な所は清潔が不可欠なんだな。
俺の部屋はまぁ、うん…不潔って程じゃなかったと思うけど、色々湧いてもおかしくはなかったかも...
俺が床の水拭きをしている横で、五峯さんが、持参した線香を焚き始めた。
ん、巫女さんが線香?
首を傾げていると、彼女が軽く説明する。
「私は巫女のバイトをしているだけで、神道の神職ではありませんから。
お線香、とっても良いんですよ」
そーなのか。
しかし線香を持ち歩く大学生ってどれくらいいるのだろうか…
「あ、因みにアロマの防虫線香です」
納得した。
この後は何をするのかな?
―――そう思うのと同時に、師匠が俺の額にピトッと人差し指をつけた。
◇
湊が玲史の額に指を当てた瞬間、玲史の表情が抜け落ちる。
彼の霊能力を抑え、夜刀神を表に出したのだ。
―――玲史が仮眠をとっている間。
湊と五峯は、ただ部屋の片付けをしていただけではない。
準備をしていたのだ。
玲史の意識に気づかれぬうちに室内の各所に御札を貼り、部屋一つを霊的な空間として、閉じた。
鏡や家具の位置が変わっていたのも、気の流れを操作するためである。
敢えて一つだけ、窓の外への抜け道を作ってある。
湊が一時的に封じた蛇神は、後、数時間程度しか現状を保てない。このままでは、真夜中にまた玲史とバトルし始めるはずだったのだ。
どうして神社ではなく彼の自宅で出すのかというと、単純に相手を油断させるためだ。先程のように神職に囲まれて拘束された状態では、もう敵の不意を打つことは出来ないだろうから。
「九字ってわかるよね。切ったことある?」
仮眠をとっていた玲史を起こさないようにせっせと片付けをしていた五峯は、湊の声に動きを止めた。
「わかりますよ。でも切ったことはありません。
遊び半分で無闇に切ると危ないと聞きますし」
「そうだね。実際に効果のある呪法だから、力の無い者が行うと、対象を怒らせるだけで終わる」
ウレタン製のおもちゃの剣で叩くようなものかな、と彼はスマホを弄りながら続けた。
「だけど君がやれば、ちゃんと刃が生じるだろう。まだ研いでいないだろうけどね。
自分の身を守る用に、いつでも放てる心持ちでいて」
「……手の結印は覚えていませんし、一般的に有名な早九字しか出来ませんが…それで?」
「うん、それでいい」
―――というやり取りがあった。
しかし基本的には、彼女は鎮火・非常時対応係である。何かするのは湊に任せて、特に何もすることはない。
ゆえに、片手に塩水鉄砲を構えて、静かに立っているだけだ。
眉を顰めた蛇神は眼前の湊を突き飛ばすと、線香の煙にケホケホと咽せた。
あっさりと尻もちをついた湊が、挑発するように彼を見上げる。
「君には虫も入ってるのか?」
「...何がしたい……」
「やっぱり彼から出てもらおうと思って」
え、そうなの?
最後まで責任をもって祓うとか言ってたじゃん…と、思わず五峯が微妙な顔になる。
「標的の魂を吸収することに失敗して力を削がれている君が、元の縄張りに戻るには大変だろうが...
ま、頑張れ」
夜刀神は考える。
今取り憑いている玲史は、明らかに異常だった。
自分は仮にも「神」として祀られていた存在であり、普通、人間にならば一切の抵抗を許すはずが無いのだ。
――霊能力を扱った経験も無いくせに自分を封じ込めて見せた、危険な小僧。
そんな奴がそうそう居ては堪らない、もしやコイツは...という疑念はあったが、いかに彼でも1500年の年月を遡っての確証は得られない。
蛇神は、玲史の身体を抜けた。
実体の無い霊体のまま、唯一の逃げ道である窓から外へ飛び出す。
すると運良くも目の前に、呑気そうなジャージの男が佇んでいた。
彼に取り憑いてやろうか。
そう、一瞬だけ油断してしまった。
部屋は2階であり、普通の通行人がすぐ前に居る訳がないのに。
「『禁』」
いつの間にか、悪神の周りに大量の小さな白い半紙が、フラフープのように浮かんでいた。
特に何も記されていないのに、一枚一枚に宿った強い力を感じる。あまり、力が出せなくなっていた。
「さ、『戻れ』」
その言葉を受け、何かに押されるようにして悪神は部屋の窓から中に戻らざるを得なかった。
ブツブツと祝詞を唱えながら、片手に掴んだ塩を大盤振る舞いして投げつけてくる五峯によって地味にダメージを受けながら、フヨフヨと勝手に玲史の元へと吸い込まれる。
悪神が離れている間に、玲史は要によって、大幅に擦り減った霊能力を回復されていた。
あと少し…とまではいかないにしても、このまま時を経れば取り殺すことができたのに。
玲史に霊感は無いが、それでもなんとなく悪妖の存在がわかったらしい。
真っ直ぐに、ソレに向けて強い視線を送ってくる。
「戻ってこい。必ず俺の中で、消してやるから」
依代から離れて言葉を発する事のできなくなっていた悪妖は、猛烈に反発しつつも、彼に吸い込まれていった。